第1話・逃げられない籠 (ー娘の回想ー)
嫌い____。
鮮やかな
茜色の空色を見詰めていると
少女の心の奥底の何処かで、その思いが潜伏する。
真冬特有の冷たい風が、頰を撫でる。
その冷たさに思わず、少女はマフラーに顔を竦めた。
身を竦めたマフラーにはもう無情な温かさが宿っていて、
冷たい感覚をほんのりと優しく温かく染めてくれる。
けれど。
少女自身の本当に欲しい温かさや、温もりは其処には無い。
どれだけ、自分が欲っし求めたとしても、自分に与えられることはないのだと。
学校帰りに立ち寄った公園の
時計台を見詰め、少女は首を横に振り切って思い直す。
(________帰らなきゃ)
何を考えていたのだろう。
少女は悟りの表情を浮かべ、目を伏せ立ち上がった。
だか思うように足取りや感情は立ち止まったまま、動けないでいる。
(………まだ、此処に居たい)
例え、真冬の極寒の地だとしても。
本当は帰りたくない。あの場所に帰りたいとすら思えない。
けれど無力な自分には、逃げ場は何処にも無いのだ。
重たい足を無理に進ませて心菜は、家路へと向かった。
静観な住宅地。
その中で、一際目立つ外壁の豪邸が聳え立っていた。
地上二階地下一階の豪奢で特徴的な外壁、誰もが目に付くであろう。
この静観な町では一番に存在感を露にし、有名な建物であった、
この家の設計も独特な存在感を示す外壁も家主の希望で作られている。
ただ。
この豪邸も有名だけれど
豪邸の家主も有名と言えば、とても有名だろう。
少女は豪邸に_____自宅に、靴を脱いで家に上がる。
早足で自室に防寒具や鞄等の荷物を置くと、制服のまま
彼女はリビングへと入り 壁に掛けられている時計に目を遣った。
時計が差す時刻は、5時半。
今から夕飯の支度に取り掛かかれば、丁度良い頃に帰ってくるだろう。
腕を捲りながら自前で作ったエプロンを着けると、颯爽と支度を始めた。
惜しみなく作られた広々としたアイランドキッチン。
土台は家主の大好きな大理石であり、無垢な輝きを放っている。
リビングルームはかなり、広々としているがちゃんと
埃一つ落ちて居らず、キッチンルームは特に清掃が行き届き
物はきちんと並べ整えられている。
少女は慣れた動作で
素早く食材を刻み、フライパンに火を通していく。
本日のメインである魚をフライパンに入れようとした時。
地獄にも近い鐘鳴りが音も無くして響く。
錆びれた金属音がして、ぴくりと神経が反応した。
心の片隅では何処かで恐怖が生まれ影を落とす。
重たいドアが閉まる音と、靴のヒールの音が聞こえて
此方へと来る存在感に固まりそうになる体を無理矢理動かして
平常心を保とうするが、それが上手く行かない。
心が、
心が気付かぬ恐怖心を宿す瞬間。
心の底に植え付けられた、何かが叫んでいる。
けれどその叫びは少女に無視され心の奥底に沈められている。
だから、心が何を叫んでいるのかすら、本人も知らない。
特に切羽が詰まり現状が迫って来た今は、
その理由を感じている暇も無く、解らないままだ。
否、そんな事を考え感じている余裕は無い。
そんな心の片隅で、強く思ったのは________。
(早い…………)
心菜は、心の内でそう思った。
何時は6時過ぎに帰って来るのに、今日は6時にも回ってない。
滅多に無いが、仕事を部下に任せら自分だけ早く終わらせて帰ってきたのだろう。
震える心臓を押さえながらリビングに来た人物に、
心菜は後ろへ振り向いて特意義となってしまった作り笑顔で告げた。
「おかえりなさい、お母さん」
機嫌が悪いのか仏頂面で面倒臭そうに頭を掻いている。
相手__母親は、不機嫌そうな面持ちで気怠く、深い溜め息を吐き
「疲れたわー、全く……」
彼女に娘の声は、届いていない。
そしてキッチンに佇む少女と、少女の後ろにある調理しかけの食物を見るなり、
途端に少女とその光景に向けて表情が険しくなった。
まるで蚊を睨む様な眼差しで、彼女は少女に問う。
「心菜、ご飯は?」
「まだ………です…………」
視線を落し、重たくそう言えば、
更に怪訝な表情が更に深まってから、地雷が走った。
「なんですって? 出来て無いの?
あんた、何を考えてんのよ!
人が早く帰って来る事も想定して、物事をやりなさいよ!」
「すみません…………」
「全く、使えないんだから……あたしは疲れているの!
仕事で疲れて帰って来たって言うのに………どうしてこうなのよ!」
根知の張った執念の様な声。
その罵声が、酷く鼓膜を痛くさせ、心を揺らし恐怖を植え付ける。
耳を押さえたい衝動に駆られる程に、それは聞きたくない。
自分の心情とは裏腹に、相手は止められない。
「どうしてこんなに無能なのかしらね。情けないわ。
全くアンタは全く昔から、使えないグズなんだから……。それ、治らないの!?」
「……ごめんなさい……」
心菜は、思わず身を竦めた。
失敗してしまったと、どん底の思いを抑え隠しながら
不機嫌なまま、ソファーに座る母親を見届けた後、引き続き夕飯の支度に戻って
何事も無かった振りを続けているのが、彼女に出来る唯一の策だった。