第259話・天使が求めた贖罪
高等裁判所。
この日、森本繭子の罪状の判決が下される。
「自分勝手極まりない、自分自身の心情により
姉である尊い命を殺めた。そして未成年者略取という、
まだ幼き少女に精神的苦痛を味わわせた罪は重い。
自己反省や己を省みず、罪を重ねている事から
犯行の計画性と共に悪質性は非常に高い」
「よって求刑通りに、森本繭子を、死刑と致す」
裁判官は威厳に満ちた顔で、そう判決を下した。
悪魔がどんな顔をしているかは、分からない。
しかし記者の席で傍聴していた理香にとっては、
その後ろ姿は弱々しく何処か震えているのを見逃さない。
しかし、もう悪魔には情はない。軽蔑する様な眼差しで
その判決を傍観者の様に見詰めていた。
裁判は、必死の弁護や被告の発言も虚しく
森本繭子の悪の本性が全て洗いざらい暴かれていた。
悪魔も司法の前では唯我独尊を唄っても、無意味だったのだ。
数日後。
刑務所の死刑囚となった森本繭子の元に、届いたテープ。
(貴女は、刺激がないと生きていけない。
だから牢屋を移してあげる。私が用意した特別な牢屋に…………)
優雅なバイオリンの音。
なだらかな夕の凪の様な穏和で、優しい音色。
唯一無二の誰にも真似は出来ない音響は、人の心を穏やかにさせた。
けれど、繭子には、それは毒薬だ。
このバイオリンの音色は嫌でも、覚えている。
佳代子がいつも奏でていた音色だ。
母親からちやほやとされ褒め称えられていた証拠。
佳代子への憎しみも勝り、繭子はこの音色は大嫌いだった。
佳代子が消えて、この数年間は忘れ切っていたのに。
その穏やかで優しい音色は、繭子の中に眠る
憎悪を蘇らせるには完璧だった。
「止めてよ……。止めなさいよ………」
頭を抱えたまま、前のめりに蹲る。
音色は鳴り止まない。繭子の脳裏で憎しみと共に優雅に踊っている。
森本繭子は絶命の断末魔の様な悲鳴を上げ
哭き喚き続けた。
元々、アルツハイマー型認知症の傾向が見栄隠れし
逮捕や拘留により発見が遅れた。事情聴取の度に手が付けられなる程に暴れていたのも、
レビー小体型認知の症状が現れて始めていた。
けれども、理香はそれらの事実を認めながらも
その症状を加速させたのは、繭子の根本的な人格。
他人任せで自分勝手な歪み切った人格や性格が影響し拍車をだと考えている。
あれだけ姉を憎み、恨み、妬み、その娘の心を壊す程に虐待していた。
森本繭子が元々から正気ではない事を、嫌でも理香は深く知っている。
(貴女は、もっと魘されるべき。
死刑なんてまだ甘いわ。大嫌いな孤独と
佳代子の音色に身を浸しながら生きて生きなさい)
司法が下せない、天使しか下せない悪魔への贈り物。
誰かも悪魔と関わった者達は不幸の奈落に突き落とされ
そして悪魔を恨み続けている。理香も、健吾も。
………ただ唯一、佳代子の心情は分からないけれども。
理香は、正しい行いをしたとは思っていない。
自分自身も地に落ちるべきだと考えている。
けれども返り討ちにされたままでは、居られなかった。
目の前で
母親を奪われた憎しみは、きっとこれからも消えない。
けれども何処かにあった胸のつっかえは、取れた様な気がした。
(私は、貴女の事は忘れない)
(もう惑わされない)
そして繭子も、忘れはしないだろう。
自分自身を破滅へ手招きした偽の娘の事を。
不意に脳裏に、健吾の言葉を思い出した。
「そう言えば、高城君とはどうするんだ」
「……………」
理香は固まった。
「理香。僕達が不出来なせいで、
君には多大な苦労と迷惑をかけてしまった。
繭子の事も落ち着いただろう? そろそろ見切りをつけなさい。
囚われていたら、君は自分自身の人生を蔑ろにしてしまう。
…………それは、不釣り合いと思わないか?」
「お父さんはいいの? お父さんだって苦労してきたでしょう?」
「僕はもう良いんだ。娘と再会してこうして暮らしているんだから。
ねえ。理香。
高城君はいい人だ。
もう一度、高城君の行いを振り返ってみなさい。
そして良い縁を、
………自ら突き放す様に、手離す様な事はしてはいけないよ。
そして、理香にはこれから、
せめてでも幸せに生きて欲しいんだ」
「……………」
それが、健吾の願い事だった。
沢山、苦労や心労、煮え湯を味わってきただろう。
不穏な人生を歩んできたが、これからはそれらを取り戻す様に生きて欲しい、と。
高城芳久。
あれから、暫く連絡を取っていない。
此方も目まぐるしい生活に追われていた影響もあって
御座なりになってしまった。
今はどうしているのだろうか。
芳久にとって心の整理は着いたのだろうか。
理香は終末を迎えた。
26年に渡る、縄の様な操り人形の糸を絶ち切り
悪魔決別と断絶したのだ。
次にて、最終回です。




