第256話・悪魔の半生 2
クラブの女性は、
せっかくだから、と理香を店に招いた。
暗転し仄かにワインピンクの照明の淡い世界。
カウンターに腰掛けると、向こう側の棚には様々なお酒が置いてある。
様々な酒気の香りが交ざり合い、独特の香りを仄めかせている。
清純かつ清楚な容姿、
凛として何処か薄幸を匂わせる端正な美貌。
この町を歩くのはどうも不釣り合いに感じてならない。
その儚さと、物憂げな瞳が、何処か近寄りがたい雰囲気を漂わせた。
『……妹が、大変、申し訳ございません………』
何処かで、脳裏を霞めた姿と言葉。
なんだか、彼女は初めて出会った気がしなかった。
(………何処かで、見たこと、あったかしら?)
クラブの女性_____富美子は、不審に思った。
「ウィスキー、ロックで」
「あら、意外とお酒強いのね」
「………と、言いたいのですが、酔ってしまうと
本末転倒なので、ジンジャエールでお願い致します」
少し他愛のない会話を交えて、その警戒心を解く。
なかなか、その物言いはしっかりとしているが、
その言葉一つ一つに憂いと素っ気なさが混じっている。
謎の記者という人格と雰囲気だけを残しながら、
どんどんその存在は遠ざかっていく。
「長続きしなかったね。
男性には人当たりも愛想もいいの。だから好かれてた。
そして決まって、接待した男性と消えて行ってしまう。
最初は、なんとも思っていなかったの。
でも同期の子が『森本さんと男性をホテルの前で見かけた』って、驚いたけれども流石にあたしも納得して悟ったわ。その……」
「アバンチュールですか」
理香の一言に、富美子は驚いた。
清純さが取り柄の様な彼女なのに、発言は意外と大胆だ。
「その森本さんと会っておられた、
男性は、今もお店に来られている方はおられますか?」
「ああ、今も来ている常連さんはいるわよ。少し待てる?
もう少しで常連さんが来るのよ、確か」
森本繭子は、大変人気だった。
親しくなった新規の顧客と語り合うと、
後に必ずその相手と消えてしまうのがお決まりのパターン。
森本繭子の愛嬌に惹かれて、親密になる顧客は沢山いたが、
取っ替え引っ替えする様に、その恋は長続きはしない。
「一ヶ月持ったのが精一杯って感じだったわ。
半月事に恋人が変わっていくの。あたしでも目まぐるしくて。
だって恋人と紹介されて、次には知らない誰かに変わっているから」
親切なのか、単に口が軽いのか、
富美子は丁寧に、繭子の交際相手を丁重に教えてくれた。
繭子は子供が玩具の自慢をする様に、
交際相手の話を富美子にしていたのだと言う。
IT化が進む時代に従い現れたITの若き実業家、
自動車の社長、大地主の跡取り息子。
一世を風靡した今は亡き若手大物俳優……とその恋愛遍歴は華やかだ。
玉の輿を狙っていたのか、どうなのかは知らないけれど
当然ながら愛人契約も結んでいた。
だが反面、華やかな恋愛遍歴の中で妊娠、中絶は絶えなかった。
妊娠する度に必ず富美子に打ち明けて、そして、中絶を繰り返している。
「すみません。中絶の同意書は、
パートナーの署名が必要ではなかったでしょうか。
その辺りはどうなされていたんですか?」
「あたしの弟がしていたわ」
「…………そうですか」
丁重に理香は、手帳に話の内容を走らせている。
この悪魔には冷めた嘲笑と呆れしか浮かばない。
どんどん感情は冷めていく。
相手には妊娠を打ち明けず、
富美子の弟が中絶の同意のパートナーとなっていたらしい。
何せその弟とも交際していたというのだから、
驚き失笑を越えて呆然とする気持ちは拭えない。
そして、男性からは決定的な証言を聞く事が出来た。
その男性も繭子と援助交際をしていた一人。
「援助交際していたよ。
繭子ちゃん、ご両親が亡くなって、大学の学費を
稼いでいるって言ってた。愛嬌があって人懐っこいから、つい、可愛さと心配故に金銭を渡していたんだ」
(大きな嘘を)
相手の同情を買う為に、嘘と偽りで固めた女。
全ては金銭目的で、愛嬌を振り撒き、相手に
寄り添ったふりをして援助交際にこぎ着けて、
援助交際だとをバレない様に、短期間で恋人を取っ替え引っ替えし続けていたようだ。
高校生の時は単位だけを取る為に在籍していただけで
それ以外は年齢を詐称して、クラブの嬢としての過ごしている。
家にもあまり帰らず、交際相手の家や、友達の家に宿泊していたらしい。
そんな順調だと思っていと繭子の奔放な日々に、
ある日突然、異変は現れたのは、20を過ぎた頃だった。
「………梅毒の症状が現れたの」
「そうですか」
神妙な面持ちで、富美子は呟く。
梅毒_____梅毒トロポネーマによって感染する感染症。
何もかも無防備に奔放に生きていたならば、必然的な気がした。
富美子により治療に促され、それがきっかけとなり
長年勤めていた仕事を引退されざる終えなかった。
そうして夜の顔を持っていた繭子は消えたのだ。
「ちなみに、金銭関係は………」
「それはねー、確か貯金に回していた様な……豪遊は交際相手持ちだった筈よ」
「…………分かりました」
華やかな夜の蝶として
居た事は確かで、その後で会社を起業している。
自由奔放な生き方に、突然変異に現れた横槍に
人生を狂わされるとは思っていなかっただろうに。
(やっぱりね)
理香のある疑念は、確信に変わっていた。
だが、不意に思う。
繭子が、そのまま夜の住人として生きていたら、
母は、佳代子は、27という若さで、
娘の前でこの世を去る必要はなかったのだろうか。
(繭子の欲望の横槍すら無ければ……)
悪魔の半生を辿り、
理香は、静かに心に不協和音と陰鬱を佇ませた。




