第23話・変化と決意と
芳久の悟りの思考や
冷めきった感情に変化が現れたのは、あの日だった。
あれは丁度、二年前の春____綺麗な桜が咲く季節。
跡目を継ぐ者の役目と弁えとして、父親の会社
表向きのプランシャホテルのエールウェディング課に勤める事になった。
跡継ぎとして完璧に成長し、
プランシャの内情を自分自身の目で直接見詰める事。
それらをリサーチし、己の中に取り込み成長してからプランシャホテル理事となる事。
だが自分自身の素性は、絶対に明かすまい。それらが条件だった。
エールウェディング課に
社会人として入社してきた同期は、芳久を入れて僅か二人。
ここ近年の不景気により、
この会社も多少は落ちているとは聞いていたが
中でもエールウェディング課に入社する人間は、少ないと聞いていたのは覚えている。
(俺一人だけで良かったのに。その方が気楽だったのにな)
新入社員がもう一人と聞いて、憂いに思った。
理由は母と兄が去ってから芳久は人間関係を疎ましく感じていたからだ。
同僚というからにはそれ相応に、付き合わなければなければ無理だろう。
だが誰が来たところで、どうでもいい。
実母と実兄、二人が居なくなった以上、自身自身は
実父の敷かれた道を歩くしか選択肢は残されていなかったのだから。
なるべく人間関係を築くのは億劫なので避けたい。
特にプランシャホテルの人間関係ならば、尚更。
そんな時、彼の同僚として彼女が現れた。
新人、同僚だからか彼女のデスクとは隣同士だったのである。
彼女はウェディング業界に飛び込んだ新人だったらしい。
資料の事について、尋ねてきたのが始まりだった。
「……あの、
この資料のこの欄、教えて頂いてもよろしいですか?」
奥ゆかしい、遠慮気味な声音。
芳久の最初の印象は、控えめな花、という感じだった。
プランシャホテルの事ならば、嫌という程に飲み込まされてよく知っている。
聞かれた内容に、
詳しく答えている間に彼女の事が気になった。
なんとなく、大人しく咲いている花様で
その姿は繊細な花の如く儚く消えてしまいそうな雰囲気だった。
端正な顔立ちを持つ彼女が纏う薄幸で、何処か悲壮感の様にも見える。
「ありがとうございます」
「いいえ。確か同僚の方、ですよね。お名前は?」
「私は、椎野理香です。よろしくお願いします」
控えめに微笑みながら、彼女はそう言った。
一目見るだけでも分かる程に、良く整った顔立ちの綺麗な女性。
高城家の人間としか関わりしかなく、全くと言っても過言ではない異性に興味も示さない。
大人は穢れの塊。そう思い込んだ思考故に、何事にも無興味_それが芳久だった。
だが。彼女だけは
外見もその中身も優秀で優しく、
何故か桜の花みたいに綺麗だと思う反面、
その薄幸の顔立ちや雰囲気、何処か触れれば儚く消えてしまいそうな雰囲気が気になった。
最初は、単なる同僚だと思っていた。
同い年で何かと、気の合う仲間であり、親友同士。
けれど、同僚として彼女と関わる事が増えていたある時、些細なこと。
芳久は、何気のないそのふとした瞬間に気付いてしまった。
________彼女は何処か、自分自身に似ていると。
一人を好んで、誰も寄せ付けない孤独な佇まい。
凛然とした顔立ちと雰囲気で、細やかな気遣いで顧客には仕事をこなすのに、
不意に見せる何処か人生に疲れた様な物憂げな表情。
そして、何よりも凛とした表情の中で時折に見せる寂しげな眼差しの理由は分からない。
けれども何故か、何処か親近感が湧いた。
(掴めない上に読めない、不思議な人だな)
最初は興味本意で眺めていた。
けれど、次第に彼女の傍に居たい。そんな思いが湧いた。
その思いは彼女の中身の性格を知るにつれて、益々、思いは強くなる。
自分自身でも不思議だと疑問に思った。あまり他者に興味を示さなかった芳久が、
次第にゆっくりと無意識的に、彼女に惹かれて行ったのだから。
その理由と、
感情の名前は気付きかけていたけれども、気付かないふりをした。
彼女の纏う何処か遠ざける様な雰囲気が、何か救い様がないものか。
些細な事を考えた瞬間に浮かぶんだものは。
彼女が倒れた時、心底から心配した。
けれど、最近は忙しさに追われていたから、こうなる事は何処かで
予想出来た事で、誰もが騒然とする中で最後まで責任を持って付き添うと言った。
それはミステリアスな女性に少しでも近付きたくて、
興味ではなくミステリアスで謎多き彼女を知りたくて。
そんな心情の時だった。____あの言葉を見てしまったのは。
彼女の胸ポケットから、落ちてきた紙切れ。
二つ折りにされた紙は、少し開いて中身の文字が伺えた。
見るつもりなんてなかった。人の個人情報は見てはいけない気がした。
見るモノじゃない。
けれど、其処には信じられない様な言葉の事実が書かれていたのだ。
椎野理香____本名、森本心菜。
森本繭子の一人娘で、彼女は母親を悪魔と呼んだ。
ずっと憎悪の感情から、仕返し____即ち復讐を遂げると書かれてあった。
その言葉に指して芳久は驚かなかった。
けれど、強く思った事は、彼女は母親に抗おうとしているという事だ。
諦観で穢い大人と世間を見詰めてきた芳久にとって、それは新鮮な衝撃だった。
復讐。それは、何かのきっかけで一を動かすのか。
寧ろ、彼女の口から聞いた経緯を見れば親近感すら強く抱いたのだ。
経緯は違えど、彼女も自分自身と同じ冷遇されて生きてきていたのだと。
でも。全てに驚かなかった訳じゃない。
芳久が驚いたのは、メモに書かれた"森本繭子"という名前。
それは先日、プランシャホテルと提携経営を結んだ先の社長だ。
詳しくは知らないがその社長のホームページには、生き別れた娘を捜していると。
そんな話は見たくらいの事は、覚えていた。
それが、その一人娘が目の前に居て、
長く接して見守ってきた同僚だと思えば不思議な気分で何処か、
そして彼女の纏ってきた雰囲気と
時折に見せる寂しげな眼差しの理由が分かった気がした。
偏見だなんて、思わなかった。
自分自身も同じ様な立場のモノだから。
そして、ふと脳裏に余儀ったこと。
彼女の進めようとしている事に、協力は出来ないか。
本人に言えば、馬鹿げていると笑われてしまうかも知れない。
けれど、その冷遇された境遇の心境は、痛い程に分かっていて
言葉には出来ない親近感が湧くからだ。
益々、興味が湧き、視線が向く。
彼女はどんな人間なのだろう?
自分自身が見ている彼女の本当の姿は一体どんなものだ?
人間にある“表の姿”と“裏の姿”。
大人の腹黒さにある“穢れ”を知っていた芳久は、
また一つそれを知りたくなったのだ。
そんな思いが浮かんだ時から心境は、決まっていた。
助けになりたいというのは、行き過ぎた思い思いかも知れないけれど
どうか彼女の力に慣れて、それで自分自身の気も晴らせる様な気がしたから。




