第233話・本当の娘
______数日前。
プランシャホテル、廃棟にて。
「…………”遅かったね“」
芳久の呟きに、理香はぴたりと止まった。
「婚姻届、もう提出してしまったよ」
「…………………………」
理香は微かに驚いたが、何処かで納得して頷く。
そうだった。
念の為にと婚姻届は二枚、それぞれ書いて持っていたのだった。
理香が燃やして婚約破棄した所で無効果なのだ。
「俺は何とも思わない。
寧ろ、今から“殺人者の娘”と思えと言われても出来ない。
大体、身勝手過ぎるよ、そういうのは」
「…………………」
「それに」
寒空の下、芳久は呟いた。
「__________そもそも君は、森本繭子の娘ではないだろう?」
「__________…………………」
宣戦布告の様な言葉。
冷静沈着な芳久の宣告に、理香は固まる。
そして恐る恐る青年の方へ、視線を向けた。
「…………どうして………」
「……これを見てしまったから」
芳久は紙切れを渡す。
丁重に折り畳まれた、それを理香は微かに震える指先を抑えながら開く。
「君の目的は、森本佳代子……お母さんを殺した犯人を知りたかったんでしょう?」
「…………………」
切なげな瞳を青年に向けられて、
理香は悟った様子で眼を伏せて俯いた。
「………そう。私は、森本繭子の娘じゃない。
本当は………森本佳代子の娘………」
吐露する様に、理香は告げた。
解っていた。
理香、基、森本心菜は森本繭子の娘ではないのだ。
本当は叔母にあたる森本佳代子と白石健吾の実娘であるのだから。
12年前_______椎野理香に成る前、繭子から
全てを知らされ絶望したまま、戸籍謄本を取得した時だった。
何故か自身の両親の欄は
知らない男女の名前が、戸籍に記載されていたのだ。
そして、繭子の戸籍謄本を取得した時に悟ったのだ。
______自分自身は、森本繭子ではないのだと。
何より繭子の詰が甘かった。
戸籍を偽装して届けたのは、
自分自身が知る市役所だけで他には手回ししていなかったのだ。
森本家の戸籍謄本は
ぐちゃぐちゃで支離滅裂に相応しいもので混乱しそうだった。
元は森本相子が、
全ての連鎖を生み出した佳代子と繭子の母親が元凶。
そして偶然を装い、
音楽劇団を畳み、孤児院を営んでいる。
団長だった女性の元に駆け込んだ先でそして全てを知らされた。
自分自身は、森本佳代子の娘である事を。
(私はあの人の娘ではなかった)
その時の衝撃はショックを受けた反面、何処かで安堵したのだ。
あの強情に満ちた感情的な母親の娘ではない事に。
ヒステリックで何処か幼稚、森本繭子みたいな人にはなりたくない、それはずっと思っていたからだ。
佳代子は相子の娘ではない。
森本の血を引いている娘でもない。
元は森本家とは無縁の養女だったのだと。
相子の夫は子供が作れない人物だったらしい。
その為、森本夫妻の子供として孤児院から養女として
引き取られたのが、佳代子だった。
幼少期から
彼女の器量の良い、品行方正な才女だったらしい。
その溢れる才能に、森本夫妻からは大切にされ
大変可愛がられていたという。
しかし。
血縁の野望を持った相子は、佳代子では事足りず
不倫によって不倫相手との間にもう一人、娘を設けた。
森本家の血を引いた娘に興味を奪われても、佳代子は構わない。
物心付いて養女に引き取られた彼女は、
大切に可愛がられる何処かで引け目を感じていたのだから。
寧ろ、妹が生まれた事で過剰に、
相子から寄せられる“森本家の子女”の期待の肩の荷が下りた筈だった。
けれど現実は、上手くいかない。
繭子が、相子の期待外れの行動をする度に、
森本家の子女としてそぐわないと相子を失望させる度に
相子が繭子に寄せる期待はどんどん薄れて行き、
再び佳代子に過剰な期待を寄せる様になった。
佳代子に寄せられた重荷。
相子の期待を寄せる度に、その身勝手さに
佳代子は呆れ果て強情な欲望を見る度にげんなりとして、
その度に思う。この母親の前では自身には人権はないのだと。
そして疲れてしまった。そして見切りを着けた。もう付き合いきれないと。
その頃だった。健吾からプロポーズを受けたのだ。
健吾は言ったのだ。疲れたなら、おいで、と。逃げようと。
健吾と再会した後に、理香は詰め寄った。
そして健吾も認めたのだ。
健吾がJYUERU MORIMOTOの社長秘書として勤めていたのは
佳代子の義妹がどんな人物であるか知りたかったのと
佳代子に手を出さない為に見張る為だった。
健吾と付き合っていたのは、佳代子だった。
重ねて驚いたのは健吾と佳代子は既に入籍を済ませ
娘を身籠っていたのは佳代子の方で、
夫以外の誰にも知られないままひっそりと娘を生んでいた。
それには理由がある。
『僕が悪かったんだ。疲れたならおいで、って。
駆け落ちしようとしたから………』
『佳代子は言ってたよ。“この子はお義母さんに取られるから隠して欲しい”と』
過剰に期待をかけている娘の子供なら、相子に奪われてしまう。
佳代子はそれを避けたいと言った。
我が娘にも肩身の狭い思いをして欲しくないと。
音楽劇団の団長が理解ある人で、
生まれた娘は団長の元で隠して貰える事になった。
全てに整理を着けた後で姿を消す筈だったのだ。
けれど。
悲劇は起こった。
あの日、無情にも義妹によって、佳代子は絶命した。
「君の名前は、本当の名前は森本心菜じゃないでしょう?
本当は“白石理香”でしょう?」
「…………」
冬の風が髪を揺らす。
理香は表情を失ったまま、静かに頷いた。
悲劇は母親を奪われただけではない。繭子は何処からか
佳代子が娘を産んだ事を知り、何を思ったのかその娘を拐ったのだ。
『娘が拐われて、必死に探した。
けどその途中に僕も拐われたんだ。
海外支社転勤の話は聞いていたけれど拒否したよ。
でも。
繭子にとっては、それが不都合だったんだろうな』
白石健吾は、繭子が雇った次の秘書、石井によって
海外へと飛ばされ、捨てられた。
そして邪魔者である健吾を海外へと飛ばし
二人の娘である白石理香の名を奪い消して森本心菜と名付け、
戸籍を塗り替えた。
そしてその無垢な娘は
精神虐待を受けながら操り人形として育てられた。
きっと繭子は、可愛がられて、
自分自身よりも優れていた女への恨みや憎しみを
その娘に刃を向けたのであろうと。
負の連鎖。
両親を奪われ、精神的虐待を受けた末に、
母親を殺めたであろう悪魔に復讐してやる、と誓ったのだ。
「破滅させるなら、最後までやってやれ。
君は、殺人者の娘なんかじゃない、被害者なんだよ」
「………被害者」
理香は、項垂れたままだ。
でも育ての親は、あの悪魔だ。あの悪魔に洗脳されて生きてきた。
それが理香にとっての重い足枷になる。
「“JYUERU MORIMOTOの案件”で、プランシャホテル理事長は動き出す。
復讐の延長戦ならば、最高のチャンスだと思うけれど」
「……………案件とは?」
理香がそう呟くと、芳久は耳許でこっそりと告げた。
「婚姻届を勝手に提出した事は謝るよ。ごめんね。
でもこれを成す為には契約結婚をした上での方が
都合が良いと思わないか」
「………そうね」
芳久は誠実に謝罪しながらも、諭す様に呟く。
理香は瞬時に思考回路を巡らせた。
“青年が提示した案件”ならば、悪魔はもう逆らえない。
(破滅を見届けるならば、相手が倒れるまで、ね……)
もう憎しみをぶつけて仕舞おう。
………遺族である、理香には、その権利があるのだから。
混乱させてしまった方々、すみません。
実は今までの物語は演技でもあり、本当でもあります。
ただ真相として、心菜は繭子が描いた娘の名前で、
心菜は本当に理香という名前であり、佳代子の娘です。
ですが
物語というのは
読み手の読者様の解釈によって
成り立つものだと私は思っております。
解釈には、読み手の皆様にお任せ致します。




