第227話・天使が喚ばれたもの
「話はそれだけならば、私は行くわ」
単なる痴話喧嘩に時間を消費した事を、理香はげんなりした。
しかし狙った獲物は逃さぬ眼差しで、
繭子は、自身を横切ろうとした娘の華奢の左手を掴んだ。
爪が食い込む程に繭子は理香の腕を掴んで離さない。
理香が静かに冷ややかな眼差しを向けると、充血した瞳で睨み付けていた。
「………何でしょう」
「話はまだ、終わっていないわよ。何の為に、貴女を呼んだと思うの」
「……………?」
「心菜、あたしの介助者になりなさい」
「………………」
理香は、無言。
理由は解り切っている。けれどもとぼけたふりをした。
「…………何故、私が?
それに一人で輝いてきた貴女が、誰かを求めるとは意外です」
「…………あんた、あの日、会場に居たでしょ。
この目でハッキリ見たのよ。会場に居て、あたしに
起きた不幸を目の当たりにしたのならば……」
「目撃ならば、視力を失いつつある、自分自身をフォローしろ、と?」
理香の言葉に、繭子は瞳を見開いた。
確かに理香は会場に居た。だが、何故、自分自身が
視力を失いつつある身である事を知っているのだ?
理香の表情は変わらない。
娘の言葉に繭子は怖じ気付いてしまい、震えた。
「…………何故、それを………」
「脇が甘いわ。貴女から目を反らすとでもお思いで?」
理香は、ゆっくりと微笑んだ。
繭子が異母姉を憎悪を抱き執着しているように、
悪魔の復讐の為、破滅を見届ける為に、理香自身も余念が無いのだ。
悪魔を一ミリも逃す気持ちはないのだから………。
「事情は理解しているわ。全部、知っているの」
「…………何故」
「…………それは何故かしらね? けれども、私も節穴ではないの」
不敵の微笑を浮かべた彼女に、繭子は震えた。
しかし同時に繭子の心に、思惑が生まれ、開き直る。
(なら、手間が省るわね)
理香を誘き寄せるだけ。
彼女が自分自身の状況を知っているのは意外だったが。
「でも、不思議だわ。
介助者が必要ならば、追放した私等、必要はないです。
何も私でなくても良いでしょう。プロもいる事なのですから、素人の私より………」
「嫌よ」
天使の謙遜を、断末する悪魔。
繭子を狙った獲物は逃さないかの様に、
掴んだ腕を引っ張って更に力を強めた。
「漸く、元通りに戻りつつあるのよ。
そんな中で弱味を見せるのは盲点になってしまう。
そんなの嫌よ。今まで通りのあたしで生きていきたいの。誰にも知られたくない」
「何故、私なのです?」
「…………娘だからよ。子供は親孝行するものでしょ。
親を助けるのは子供の役目なの。その役目を果たしなさい。
親不孝なあんたに、チャンスをあげる」
「……………」
良く言えば、気の知れている相手。
悪く言えば、自分自身だけの操り人形。
親らしき事をして貰った事等無いのだから、親不孝と呼ばれるのは論外だ。
今の地位を捨てるのは嫌だろう。この悪魔なら
石に齧り付いてでも、欲望の為ならば、選択肢は選ばない。
自分自身の介助者に選定したのは、娘として固執する
感情故に。
自身の秘密を知れたくない為に。
(所詮は都合のいい、お人形。
でも、追放して棄てた筈の娘にすがり付くとは意外ね)
自身に害を及ぼすなら見棄てる、
自身の道具になるならぱすがり付く。
なんて利害関係しか生まない関係なのだろう。
沈黙を守っている理香に、繭子は身を震わせる。
理香はゼンマイ仕掛けの人形の如く硬直し無表情故に、掴んだ腕から伝わる冷たさ意外に彼女の考えが全く持って分からない。
此方には猶予がない。焦らされるのは後免だ。
「…………まさか母親を見捨てる、親不孝を重ねたりしないわよね?
子供は親に尽くすべきなの、それなのに、貴女は親不孝ばかり。
たまには母親の為に成る事の、行動をなさい」
「…………………」
理香は静かに目を伏せる。
伏せられた淡く長い睫毛、その白陶器の様な美貌。
まるで眠り始めた眠り姫、人形の様にも思えた。
一瞬の沈黙が、永遠にも感じる。
「解りました。_____成りましょう、貴女の介助者に」
繭子の表情が緩む。安堵に包まれた。
だがその刹那。理香は屈で目線を合わせると、不敵な微笑を浮かべた。
「_________条件が、あるわ」
「…………………え………?」
理香は微笑しながら、
ゆっくりと掴まれた腕を解いた。
捕まれた腕にはびっしりと悪魔の爪痕が残っている。
「佳代子への執拗な、執着が凄いのね。
貴女が抱く憎しみは解るわ。けれども、
それは憎しみだけではないわよね?」
「…………え?」
理香は、悟り始めていた。や
繭子が異母姉に執拗に執着するのは憎悪だけではないと。
憎悪を盾にして守り、その奥底にあるものに、
繭子は震えているのだと。
「私は今まで貴女は、
佳代子の憎悪だけを抱いているだけだと思っていたわ。
でもこの憎悪だけでは成り立たない。きっと何か隠し事があるのでしょう?」
「なっ………!!」
佳代子の事故の真相を語れ。
それが、交換条件だ。
「貴女の、後ろめたさは、なに?」




