第221話・悪魔の誤算
暗転するホール、ざわざわと混乱する人並み。
それでも理香は目の前の現実を、
何処か他人事の様に見詰めていた。
“悪魔の再生の晴れ舞台”は、偶然によって、壊された様だ。
キーン、というマイクの独特の音。
『申し訳ございませんが、会見は中止とさせて頂きます。
取材関係者の方々は係員のアナウンスに従い、お出口に、お引き取り下さい』
ホールのアナウンスが、流されている。
しかしアナウンスの女性自身も突然の事態に
焦燥と混乱が隠せないのがその声音に含まれ重々と分かる。
理香は目を凝らしてみたが、暗闇に悪魔の姿は見当たらない。
そんな中、健吾がこっそり耳打ちする形で話しけた。
「_____行きましょう。見つからないうちに」
「………分かりました」
意識していたかは、不明だが
会見の最中にいる悪魔と視線が絡んだのではないか
と理香は密かに思っていた。何故ならば視線が絡んだ後、
繭子の華やかな表情が一瞬だけ
ムスっとした仏頂面に変わったからだ。
この混乱の中で、健吾の声音も冷静沈着そのものだった。
理香も健吾も、繭子に対しての感情は、
クオーツの刺の如く氷の様に凍り着いている。
裏切りにあった者同士、繭子の身など一ミリも案じていない。
混乱する会場を他所に、静かに健吾と理香は去った。
________JYUERU MORIMOTO、
記者会見にて、照明落下により会見が中止。
森本繭子社長の身元、怪我の具合は不明。
機材落下は、ホテル側の整備不備。
翌日のネットニュースは、
JYUERU MORIMOTOの話で持ちきりだった。
再生の謝罪会見にて転落してきた照明により、会見は中止。
女社長の身元の怪我も現状が図れないという。
______謝罪会見に至った
JYUERU MORIMOTO、森本社長、
落下した照明の下敷きに。怪我の具合等は公表せず。
_____再起を図ったJYUERU MORIMOTOの社長に襲った悲劇。
奪われた営業再開と復帰。
森本繭子は、落下した照明の下敷きになったが、
すぐに関係者に助けられ、病院に運ばれ処置と治療を受けているらしい。
怪我は負えども、悪魔がまだ息をしている事は明白だろう。
息をしている限り、悪魔の野望は息をする様に蘇る。
理香は携帯端末を操作すると、電話をかける。
「芳久、悪いけれども
仕事終わりに時間を割いて貰ってもいい?」
『いいよ。俺からも聞きたい事があるんだ』
手短に通話を切る。
先手を打たなければ、と理香は思った。
芳久は、
手に小さな樹脂性で出来た紙袋を持っていた。
空が青い。無情な冷たさのある風が、頬を掠める。
雲は優雅に泳いでいるが、理香の世界は、優雅でもなく
モノクロームの中で殺伐としている。
青年は、密かに覚悟を決めていた。
これから起こる緊急性も見詰めた上で。
携帯端末で、その謝罪会見の、森本繭子の顔の画像を
冷や水を浴びせる様な凍った瞳で、理香は見詰めていた。
懲りもせず欲望を絶えなく求めようとするから、こうなるのだ。
内心、理香は繭子をずっと嘲笑していた。
お咎めも無く華々しく生きる悪魔が、何処かで
痛い目に遭うといい、という願いが、無意識に現実化してしまったのかも知れない。
(貴女が悪いのよ。
全てを手に入れて、自分自身のものにしようするから)
人間、例え、全てを求めても、
全てが懐に入る訳がないのだから。
多少の諦観も受け入れなければいけないものだ。
プランシャホテルのホテルのバー。
照明があまり当たらない、奥行きの席に座り込む。
カウンターの先ではバーテンダーが、手際よくシェイカーを振っている。
JYUERU MORIMOTOの女社長の件は、暗礁に乗り上げている。
身の程知らずの、思い通りに生きてきた強欲の女。
たまには自分自身に予想外の事が起これば良い。
自らの手を汚した事すらない、自分自身の綺麗な身体に何かが加えられ
痛々しい目に遭ってしまえ。
(佳代子叔母さんは、半日も下敷きになっていたというのに_____)
森本繭子の下敷きなったという話を聞いて、
理香は無意識に佳代子を思い出して、繭子を重ねていた。
すぐに助けられた繭子と、半日という長い時間、冷たい世界で下敷きになっていた佳代子。
この異父姉妹の差は一体、なんなのだろうか。
欲しいものは、欲望ままに手に入れた繭子と
全てを奪われながも自身で道を切り開こうとした末に若くして現世を去った佳代子。
欲深き強欲の妹と、薄幸ながらも細やかなものを願った姉。
(良いわね。佳代子叔母さんと違って貴女は)
異父姉を葬り去った上に、
異父姉に渡るものを全て自身のものにした。
あれは偶然だったのか。
神が下した罰なのか、彼女に積年の恨みを持つ者が下した罰が、偶然化したものか。
真意は分からないけれども悪魔の計算を打ち砕いたのは如実だろう。
JYUERU MORIMOTOの営業再開は、必然的に遅れる。
今、森本繭子がどういう元に生きているのかは分からないけれど、
これはチャンスではないかと理香は思った。
“佳代子”というパワーワード。
佳代子という言葉は、悪魔の理性を失わせる特別なもの。
青年は彗星の如く現れた。
残業なのか、胸には高城というプレートを外していない。
理香を見つけると手を微かにひらひらさせて、此方へ来た。
「ごめん、待たせたよね」
「いいえ。私も今、来たところ。お疲れ様」
「そうか」
「またまた一波乱が起こった様で」
「あの、先日の記者会見、私、あのホールにいたの」
「……………」
芳久は密かに驚きを隠せない。
理香は復讐者のターゲットの様子をあの場で見詰め、聞いていた。
「此方はライブビューイングで、見ていたよ」
「…………え」
「理事長はピリピリとしているからね。
俺も理事長の後ろを見ていたんだ。……ライブビューイングは途中で途切れたけれど」
「そう……」
あの日。
理事長の後ろを直立不動で立ち、芳久も
JYUERU MORIMOTOの記者会見、森本繭子の動向を見ていた。
しかし照明機材の落下によりライブビューイングは突然に切れた。
「………それで、理事長の様子は」
「緊急事態に呆然していた。それから取り憑かれた様に
JYUERU MORIMOTOの動向を凝視しているよ」
「………そう」
理事長もJYUERU MORIMOTO、森本繭子を見過ごしていない。
なんせ提携経営を解消としている会社だから当たり前だ。
「理事長の様子はどう?」
「提携経営の事だよね? 提携経営解消する意思は変わらない。
けれども謝罪会見であの事態になった以上、踏み出せないみたいだ」
「そう……」
高城英俊は、森本繭子の回復を願っていた。
回復を願う。それは素直なものではなく、
自分自身の行動を先に進めたいという黒い思いが含んでいる。
最早 高城英俊にとって、
JYUERU MORIMOTO、森本繭子は邪魔者になっているのだ。
しかしながら提携経営解消に従い、
JYUERU MORIMOTO、森本繭子が首を縦に振らずにいたら、
プランシャホテル、高城英俊の逆鱗に触れる事になる。
彼は何よりもプランシャホテルを大事に、命の様に思っているのだから。
荒れ狂う事も考えられる。
それに、森本繭子が秘密している事柄を知った時には
荒れ狂う事も考えられ、捻り潰す事も容易だ。
理事長が何か、行動を移す前に。
理香は内心、頭を抱える。
そんな中、芳久は身を乗り出した。
これを、と言われて、小さな箱を芳久は差し出した。
理香は脳内疑問符を浮かばせたまま、その箱を開ける。
中を開けるとシンプルなシルバーリングが入っていた。
驚いたまま青年へ視線を戻すと、彼は真剣な表情をしていた。
「_______結婚しよう」
その言葉に。絶句した。




