第219話・奇想天外と女社長の掌の駒
話があるの、と言われて椎野理香の後ろへ付いていくと
其処はプランシャホテル旧食堂であった。
今ではすっかり廃墟となっている場所。
「……ごめんなさい、急に呼び出したりして」
「構わないよ。それより何かあった?」
完全な職場復帰してからというもの、椎野理香の成績は鰻登りだ。
椎野理香自身も顧客とエールウェディング課の期待に応える為に、自身の努力を微塵も惜しんでいない。
だからこそ、不明確だった。
実母への復讐はどうなっているのだろうか、と思っている反面
遠慮もありなかなか、探れなかった。
芳久の問いに、垂れ目がちの目を見開かせた後
顔を俯け、そのまま鞄の中をごそごそと当たり
数枚の封筒を見つけると机に綺麗に並べた。
それに芳久は絶句する。宛名は「“プランシャホテル理事、高城英俊”」からだったからだ。
「あの人は、貴方のお父様からの手紙を無視していたみたいなの」
「…………これって」
「社長室の隠し金庫から大量に出てきたわ。
この金庫はあの人にとって、葬りたいものだったみたい。
現に理事長との会食を断っていたのも、それが証拠だった思う。
提携経営が解消される事を怖がっていたのか、
恐れていたのか、分からないけれど」
「俺が目を通して、読んでもいい? 」
「勿論。どうぞ読んで下さい。貴方にはその権利がある」
封筒の数は膨大だった。
一番、色褪せた封筒を一通、手に取ると開ける。
中には提携経営の契約解消、そして父親の直筆で書かれた手紙。
(………意外だ)
昔人間かつ横暴で、
相手側から自身に頭を下げるのが
当たり前だと思っている男とばかり思っていたのに。
手紙の文章を見るなり、手紙の中にいる理事長は
腰が低く相手側の機嫌を伺っている様にも解釈出来た。
しかし、賠償金や慰謝料・延滞金を求めているあたりは
高城英俊の本質は変わっていないのだと知る。
情の一欠片もない男は、裏切られた代償は莫大な金額で求める。
あの冷徹な男が欲しいものは、“情”ではなく“金”だ。
お金で全ての関係で見限ろうとしている事は分かった。
(血も涙もないな、あの人)
「…………ごめんなさい」
暗闇の中で、復讐者はぽつり、と呟いた。
父親が森本繭子に寄せた封筒を机に置きながら
芳久は首は傾ける。理香は深々と頭を下げている。
その物腰の低さからは誠実な態度が溢れていた。
「どうして、君が謝るんだい?」
「………認めたく無くても私はあの人の娘。代理人。
あの人は絶対に自分自身のの非を認めたりしないから。
貴方も理事長も被害者である事も代わりないないもの」
そう呟く理香に芳久は、
毒親を持つ苦労を身にして感じた。
例え絶縁し『娘として認めたく無くとも』彼女は、母親の尻拭いをしている。
プランシャホテルに対しては、かなりの自責の念に駈られている。
(これは、母親から娘へのとばっちりだ)
「………理香。君が謝る必要ない。
それに復讐者の代理人をするなんて君らしくないよ」
「…………でも」
「良いんだ。これで。ありがとう」
それはまるで兄の様に芳久は理香を諭した。
森本心菜の身分を捨てまで、椎野理香が謝罪する必要はない。
芳久はひっそりと口角を上げて、微笑んだ。
(………?)
理香は、その芳久の微笑みに違和感を覚えた。
穏和ながら何処か影を落とし潜んでいる微笑み。
長年の付き合いだからか違和感、と思ってしまったのか。
果ては気にし過ぎた気のせいか。
「この手紙、一つ貰っていい?」
「一つも何も。どうぞ」
「理香は理香で必要だろう。今は数通貰っておくよ」
________プランシャホテル、理事室。
経営の書類、各課の業績をまじまじと見詰めながら
真っ直ぐに歩き、直立不動のまま青年は立っている。
書類類に目を話し、理事長は呟いた。
「話とは何かね」
威圧的な言葉。
それに青年は全く動じない。
「まずは、此方はご覧下さい」
芳久は静かに理事長の机、目の前に差し出した。
ポーカーの様に並べられた封筒達。
それを見て英俊は、目を見開く。
これらは自分自身が
JYUERU MORIMOTO、女社長宛に差し出したものだ。
今ではすっかり色褪せた封筒や紙切れが、そのまま入っている。
中には封を開けていないものすらも存在した。
しかし、
これらを何故、息子が持っているのだろう。
英俊は、そのまま息子を見上げた。
相変わらず掴めないポーカーフェイスの面持ち。
「………何故、お前がこれらを持っている?」
「………とある筋から譲って頂きました。現状も聞いております」
「なんと?」
「森本社長は、提携経営を解消するつもりはない、との事です」
「なんだと!?」
芳久は机を叩いて身を乗り出した。
感情的な物言い。その表情は憤慨し、瞳は血走っている。
「…………落ち着いて下さい。
森本社長が何故、この手紙を封すら開いていないのは
森本社長の意図は見えているかと思います」
「………なんとだ」
高城芳久は始終、冷静沈着だ。
物言いも落ち着いたもので、姿勢すら変わらない。
しかしポーカーフェイスの裏側で、実は今か今かと現状を伺っていたのだ。
芳久は身を乗り出した。
「滑稽な事を申し上げますが
提携経営の解消はしない。その面は現実として
見えていた事ではないですか。
その証拠に、JYUERU MORIMOTOから返信は来ません。
理事長が提案した会食の事も有耶無耶のまま中に浮いています」
「……………………」
「一社員であり
まだ半人前の私が、こう申し上げるのも大変恐縮ですが
プランシャホテルはJYUERU MORIMOTO、森本繭子の手によって泳がされているのでは。
……私には、そう思えてなりません」
「…………つまりは」
「理事長は、森本社長に泳がされて遊ばされている、
という事では」
そう芳久が冷静に呟いた一言に、英俊は目を見開く。
表情は険しくなり見開かれた瞳は、充血していて
閻魔大王みたいだ。
英俊は頭を抱えた。
確かに芳久の言い分は的を的中している。
手紙の森本繭子の返信は一つもない。一度、電話で
話題を切り出した事があったが有耶無耶に終わった。
芳久の言い分は、十分なものだ。
もしかしたら、プランシャホテルは
JYUERU MORIMOTOの掌にあり、
プランシャホテルは駒で動かされているだけかも知れない。




