第218話・焼却炉の秘密
繭子は寝室をうろうろと、歩くのを繰り返していた。
腕組みをしながら歯軋りを繰り返している。
何をする訳でもない。ただ。夢遊病者の如く、
一人歩きしているだけだ。
JYUERU MORIMOTOの株価が、急激に暴落している。
あの娘への愛憎が勝っていて、自分自身の会社の事は
放置していたに近い。
閉鎖にも近い形だった為に業績のグラフも、白紙のままだ。
それでもJYUERU MORIMOTOの崩壊を留めているのは
プランシャホテルとの業務提携をしているからに過ぎない。
しかし、週刊紙に全ての不正が暴かれた事により
JYUERU MORIMOTOの株価は暴落、社員の半数が依願退職を願い出ていている。
JYUERU MORIMOTOはもう
もう会社として成り立っていない。
(これも、椎野理香の時間稼ぎだったの?)
自分自身の、異父姉の絶えない憎悪を激情を利用して
JYUERU MORIMOTOの事は考えさせない事にしていたのか。
(けど、もうあんたに出来る事は何もない)
逆手に取ればそうだ。あの憎らしい小娘に出来る事はもうない。
もう見苦しい自分自身の不正も虚偽も世間に明らかになった今、
椎野理香は自分自身を奈落には落とさないだろう。
(もう、あたしから
奪うだけ奪ったんだから、もう奪うものはないわよね)
繭子はそう開き直る。
後は椎野理香さえ消えてくれればいい。
生憎、会社を再び立て直すだけの資金は十分にある。
(あんな憎い子娘に、あたしの人生を台無しにされて堪るものですか)
そうしたのならば
JYUERU MORIMOTO社を立て直す事も可能だろう。
邪魔者が消えればまた、自分自身の野望が、果たせる。
信頼と名誉挽回を果たせば後は元通りになり簡単だろう。
(全てを奪わられたのなら、また新しいスタートが始められるわ)
「見ている通り、
JYUERU MORIMOTOの株価の暴落は、右肩下がりだ。
プランシャホテルには被害はまだ出ていないが、
この調子だと、プランシャホテル理事長も黙っていない」
「…………そうね」
「これは、父さんに聞いた話だが、
JYUERU MORIMOTOとの提携経営は、契約解除する、と」
理香は、やや目を見開きながら、芳久の方へ視線を向けた。
だがすぐに納得出来た。あの理事長の性格だ。
ずっと前から腹を括り、決まっていた事柄に違いない。
高城英俊が望んでいる事を森本繭子は避け続けきた。
「…………待って」
「どうした?」
「その、提携経営解消するという話は、いつ話されたの?」
「JYUERU MORIMOTOの騒動が出て間も無くだよ。
その為の話し合いもする、と話していたけれど実現化していない筈だ」
「…………そう。有力な情報、ありがとう」
微かに動いた理香の口許の微かな変化を、芳久は見逃さなかった。
繭子は、何処か怯えている節があった。
それは『JYUERU MORIMOTO』『女社長・森本繭子』というブランドが地に堕ちていくのと別に。
それと同時に伺えるのは、JYUERU MORIMOTOへの異常な執着。
単に自身の華やかな名声が、地に堕ちてしまうのが怖いだけかとばかり思っていたが。
_________JYUERU MORIMOTO、社長室。
暗闇の砦。そんな静寂な部屋の中、靴音だけが響く。
JYUERU MORIMOTOから出禁にされたというのに、
何処か女社長のガードは甘い。社員証や社員番号は消されていないままだ。
(………愛情の裏側は無視。心菜には興味がない証拠よね)
それは、場合によっては有難いのだけれど。
ここには、悪魔が隠した秘密の在処がある。
それらは巧妙に隠されているのだけれど、物を見付ければいい話だ。
だからこそ、理香は今、此処にいる。
指紋を丁寧に拭き取りながら、理香は悪魔の隠している証拠を探していた。
そしてあるものを見つけた。
デスクトップの内側の空間には、意外なものが存在した。
こじんまりとしたポスト型の金庫らしきものを、理香は見つけた。
暗証番号を打ってポストの受け口、金庫の扉は開くという仕組みらしい。
金庫を開けるには予め設定していたパスワードが必要だ。
理香は静かに屈んで、それに手を伸ばす。
金庫にはパスワードが設定されている。
物憂げな瞳で見詰めた後で困難と言える代物に
理香は手を伸ばし、迷う事なく4桁のパスワードに数字を打ち込む。
【1124】と。
そう入力すると、金庫は意図も簡単に、心を許した。
鉛と変わらぬ重さの扉は微かに開いて、中身が少し見える。
理香にとって繭子の秘密を暴くのは、最も簡単な術だ。
森本繭子にとって最も可愛いのは、自分自身だった。
クレジットカードや自身の所有する金庫や
銀行振込の暗証番号は、自分自身に関係する数字が込められている。
半信半疑だったが自分自身の可愛さ故に、悪魔のガードはかなり甘い。
【1124】というパスワードは、繭子の誕生日が11月24日に由来する。
大切な秘密を秘めた箱はガードが硬いと見せかけて、
ミルフィーユの様に簡単に崩れている様にしてしまっているのだ。
何故、金庫が、と思った。
金庫の扉を開いた瞬間、雪崩れの様に
中の大量に詰め込まれていた書類がバサバサと落ちて床に広がる。
大量の納税申告書。
その日付を見ると自分自身が、生まれた年のものもあり
それらの封筒の文字は色褪せて、文字が消えかかっている。
納税申告書は真新しいものとしての日付は、今年のものもある。
26年分のもの。
彼女は税金を払っていなかった。
勧告書の書類も大量に見つかったが、悪魔は無視していたらしい。
大量に床に広がった書類を片付けていると、
金庫の中に書類と、何枚かの封筒がある事に気付いた。
封筒の形や文字に見覚えのあるそれは、迷う事なく手に取る。
JYUERU MORIMOTO 森本繭子様、
______プランシャホテル理事・高城英俊。
高城英俊が、森本繭子へ送った手紙。
それは高城英俊の直筆の手紙と共にある書類が同封されている。
【プランシャホテル、JYUERU MORIMOTO
提携経営契約解消書】
“_______プランシャホテルは、○○年 ○月 ○日に
契約致しましたJYUERU MORIMOTO社に対して、
提携経営契約を解消したい所存でございます。
またJYUERU MORIMOTO社が、プランシャホテルを部外、
ジュエリーブランド・auroraと業務提携経営の契約を致しました事は、契約違反であり
賠償を求める”
プランシャホテル、高城英俊は憤慨していたのだ。
自身の会社を裏切り、JYUERU MORIMOTO、森本繭子がauroraと業務提携経営を結ぼうとしていた事に。
書類には提携経営の解消、裏切りとして賠償金を請求する旨が記されてあった。
賠償金・慰謝料の金額は1600万。
延滞金も請求、と書かれてある通り、延滞金の金額も発生するに違いない。
となれば、森本繭子は多額の負債額と、納税しなければならない筈だ。
理香は、微笑んだ。
この砦には、悪魔の弱味と秘密がある。
そして悪魔が隠した秘密は、自分自身を破滅させるものだと。
(貴女は墓穴を掘るのね、そして秘密を見え見えの隠したがる)
理香にとってこの金庫は、悪魔の焼却炉の様に見えた。
絶対に公には出来ないもの達ばかりだが、
これらの書類は悪魔には興味はない。否、認めたくはないものを、この焼却炉に詰め込んで見ない様にしている。
(貴女は、何処まで人の道を外れたら、気が済むのかしら………?)
高城英俊の言葉を無視し、納める税金も滞納している。
そう思った時、革に包まれた刃物が見えた。
理香は何気無くそれを手に取る。彫刻刀の様なもので
刃はかなり使い込まれ、擦り切れて、だいぶ草臥(くたびれている。
刹那に零れ落ちた木の破片。刃物の隣に置かれていたメモ帳。
(…………これは)
“○月○日、5cm擦れて切れた”
“○月○日、アイツは14日に出ていくらしい”
(…………どういう事かしら?)
これは繭子の筆跡だ。
14日、と聞いて思い出したのは佳代子の月命日だ。
そして何故、彫刻刀と、木の破片が金庫に仕舞われているのだろう。
しかし不意に次の項をめくった時に、理香は眉を潜めた。
“_______これで、佳代子を消せるわ”
嗚呼。
やはり。
半信半疑だった。疑っていた。けれど。
何処かで血迷っていた答えは此処にある気がした。
(……………あの人が消えたのは、貴女のせいね……)
やはり繭子が、佳代子を殺めた事は知っていた。
けれどもその確信がこんな所で明らかになるとは。
(…………いいわ。見てなさい。そして見届けてあげる。
“貴女の破滅“を)




