第198話・継母を追い詰める驚異
夜の夜景がよく見える病室だった。
その夜景は綺麗な筈なのに、何故、霞みぼやけて見える。
彼女の目許は腫れ、瞳は虚ろ気味にかなり赤い。
「___________“残念でしたね”」
冷酷な声音が聞こえた。
はっとして目の前を見ると、義理の息子が凛然とした青年が現れた。
気配は全く感じられなかった。いつの間に此処に居たのだろうか。
美菜はかなり憔悴し切った面持ちで、ベッドに横たわっていた。
リクライニングでベッドを上げているので、座っている様にも見えるか。
継母の憔悴し切った面持ちは初めて見た。
流産してしまった時も強気な面持ちをしていたというのに今は弱り切った小鹿の様の様だ。
「________君には失望した」
先程、仕事を抜け出して
妻の様子を見に来た理事長はそう冷たく告げた。
今まで自分自身に向けられていた眼差しや表情、態度は一切温かみのない氷の様な眼差しだった。
美菜には、夫が変わった態度を見せるその理由が分からない。
毎日、様子を見に来ては体調はどうか、と労ってくれていたのに。
今はその素振りすら一切なく、ただ、そう告げただけだった。
あなた、と言ってスーツの裾を握ろうとしたが
あからさまに、それは振り払われて、睨まれる。
その瞳は邪魔だと言わんばかりに疎ましく、また軽蔑する様な冷たい眼差しだった。
『もう君とは暮らせない』
『え?』
『……………離婚しよう』
『なんでいきなりそんな事を言い出すの!?』
美菜は声を荒げ叫んだ。
訳が分からない。そんな冷たい眼差しを向ける意味も
急に変えたその態度も。
ただ、“離婚”という言葉に強い衝撃と拒絶を示した。
(この人と離婚してしまったら、
プランシャホテルの理事長夫人という肩書きは消えてしまう)
それは嫌だ。自分自身が最も執着しているものだ。
偶然を装い近付いて、辛い愛人という立場を経て
やっと手に入れた『理事長夫人』という華やかな肩書き。
それを手離されてしまえば、また惨めな身元に戻ってしまう、それは何としても避けたい事だった。
嫌だと心が拒絶し、プランシャの理事長にしがみ付こうとした。
『………あたしが勝手な行動して流産したから?
ごめんなさい、また妊娠出来る様に頑張るから……』
『……………』
英俊は無言だった。
美菜は冷や汗をかき、背筋を凍る感覚を覚えながらも
この男をどうしても逃したくない。
それは高城英俊という一人の人間ではなく、高城英俊が持っている“プランシャホテル理事長”という肩書き。
その華やかな肩書きは、美菜にとってかなり魅力的で絶対に放したくないものだ。
離婚を拒絶し募る焦燥感から、
現実を受け入れられない美菜はまだ、引き下がる。
『………アイツ、いいえ、貴方が求めていた芳久の態度も改めるわ。
貴方の言う通りにするから……だから離婚なんて言わないで!!
あたしはまだ………』
『しつこい!!』
鼓膜を反響する、英俊の怒号に、美菜は固まった。
『これは、私の決めた事、………命令だ。
覆すつもりはない。近々、離婚届を用意する。
否応無しに署名する様に、………いいな?』
ドスの籠った声が響いた刹那、
奈落に突き落とされた気分の様だった。
絶対王政の様に高城家の主には逆らってはならない。
あの息子が忠実に守り抜いてきた事を、美菜は軽々は違反している。
英俊は、素っ気なく冷たく言い放つと踵を返した。
『待って………!! 英俊さん!!』
病室に響く叫びすらも、男は無視し、去ってしまった。
そのうち振り返りもしない冷たい男の姿に、
美菜は絶望の淵に突き落とされた。
見棄てられた、そう確信したからだ。
『……ああ、』
『ああああああああああああ____!!』
刹那。
欲望の夫人の絶望的な悲鳴が、病室に響いた。
病室から出た英俊は、
奥歯に物が挟まった様な不快感を抱えていた。
感情的な英俊の事だ。あの事実を知ってから、
男と不倫し、身籠っていた子供を、高城家の籍に入れようとした。
感情的な英俊の事だ。
妻が隠し通そうとしていた様々な事実を知ってから、
本当は声を荒げ、妻を責め、罵倒している事だろう。
しかし英俊の心には、あの言葉が引っ掛かかっていた。
『悪循環を二度も同じ事を繰り返すおつもりですか。
母さんにした様に、妻を責めて棄てる権利は貴方にはないと僕は思います』
今までの次男とは違う。
芳久の変化を英俊は、黙って悟るしかなかった。
普段は害のない大人しく咲く薔薇な筈なのに、
実際、その薔薇は凍り付いた鋭い棘の様な逆鱗を持っている。
(………あれが、高城芳久の本性というものか)
見て来なかっただけ、目を背けていただけで、
隠された芳久の本性なのか。
「…………全部、あんたのせいよ!! この疫病神!!」
自分自身のした事を棚に上げ、そう美菜は叫ぶ。
憎いあの女の息子。
偶然を装い近付いて、辛い“愛人の期間”を経てやっと掴んだ、
華やかな“理事長夫人”という肩書きは無惨にも消え、夫にも見棄てられた。
睨み付けながら、美菜は枕を投げた。
血走った瞳、取り憑かれた様な血眼の形相。
しかし意図も簡単に、青年は器用に投げられた枕を受け取る。
今、目の前をいる芳久は、美菜の知っている青年だ。
自分自身のペースを崩さず、喜怒哀楽のない、まるでロボットの様な人間。
自分自身が不気味がり疎ましく思っていた、あの義理の息子。
「そうとも限らないと思いますが」
枕を軽く叩き、
素っ気ない冷たい声音と共に此方に歩み寄ってくる。
芳久の鞄から出され、消灯台に置かれたのは、封筒。
美菜は怪しむ様にそれを見詰めていたが、
軈て封筒を破り棄てる勢いさながら、乱暴に封筒を開け資料を見た。
(哀れな成れの果て、とはこういう事か)
(自分自身が招いた自業自得を前に、まだ抗うか、やっと諦めるか)
美菜は、自分自身の身辺調査に驚きを隠せない。
不倫の密会現場をばっちりと撮られている写真達。
そしてその日はどうしていたか、その日の行動も事細かに書かれていた。
強気な面持ちをしていた美菜の面持ちが、
みるみる顔面蒼白になり、紙を握っていた指先がわなわなと小刻みに震え出した。
「…………御納得なされましたか?」
凍り付いた声音。
不意に見上げたその灰色の瞳は、哀れみと軽蔑の眼差しが注がれていた。
「不倫して身籠った子供は
高城英俊の子供として育てるつもりだった。図々しいですね。
それに貴方が衝動的な行動を起こさなければ、お子さんもまだ貴女の中に居た筈です」
「ああ、でも。貴女が最も大切なのは、自分自身ですよね。
肩書きから着き離されない様に、高城英俊を繋ぎ止める為に、
子供の存在を取って着けた様に出してきた。
最初から可笑しいと思っていました。
貴女は母性愛があまり感じられない。悪阻も煙たそうにしていましたよね。
普通の母親ならば母性愛故に耐え抜いて、我が子への愛しさを実感するんだそうです。
…………母が実際に語っていました。
でも、その事は、高城家の血も、高城英俊の血も引いていない。
けれど自分自身の身を守る為に子供を作り、父親を偽り、
高城英俊だとし、利用しようとした。
本当は子供にも愛情なんてない、自分自身を着飾り守る盾だと。
_________そうでしょう?」
「……………………」
絶句せざる終えなかった。
言葉を失ったのは、全て芳久に図星を突かれてしまっていたからだ。
自分自身の立場が安定する様に、計画的に子供を妊娠し、
高城英俊の子供だと言い張るつもりだった。
「……………そろそろ良いでしょう?
貴女はそろそろ一文無しになる。自暴自棄の気持ちも込めて
白状しませんか。______僕の母の事を」
その穏やかな凍り付いた微笑を浮かべ、青年はそう告げた。
【お詫び 母性愛の描写について】
私は子供を産めないので、
母親の立場や目線に立つ事は事は出来ません。
母性愛の面の描写に付きましては、お詫び申し上げます。
作者である私の独断で母性愛については書きました。
また連日の投稿で登場人物である
美菜の行動に対して謎や疑問、不快感を与えてしまった方、
申し訳ございません。




