第194話・試される父性
終盤、残酷なシーンあり。
『和久、お前は高城家にとって誇らしい。
プランシャホテル、私の後継ぎとして、
プランシャも父さんも嬉しいよ』
心から溢れ零れる、父から息子への温かな愛情。
理事長は愛しそうに後継ぎである息子の頭を撫でた。
その表情は一寸の曇り一つのない温かな声音と共に満面の笑みを浮かべられている。
それは端から見ても父性愛に満ちたものだろう。
机に向かう少年の顔は伺えない。
頭を撫でられ、さらさらの髪が無造作に揺らされるだけ。
父てて兄の姿は
理想の父と息子の姿で正に絵になりそうだ。
その光景を、遠い、何処か寂しげに見詰める灰色の瞳。
微かに空いたドアから見える父と子をただ漠然と見詰める彼の次男_____。
同じ血を引いていた兄弟でも、
自分自身には決して、向けられる事のない父の温かな笑みと眼差し。
『邪魔だ』
『お前は兄さんを支え立てなさい。
兄さんはお前と違ってプランシャホテルの理事長となるのだから』
自分自身に向けられるのは、
冷酷な冷め切った逆鱗の声音と眼差し。
まるで冷えきった冷気の様に、哀れみと軽蔑の双眸。
(…………あの人にとって、僕はどうでもいいんだ)
(兄さんだけ、大事なんだよ)
何処からか、聞こえた声。
そうだ。自分自身に兄の様な温かな眼差しや微笑みが与えられる事はない。
次男に与えられるのは、逆鱗の冷や水の様な冷たい声音と肩身の狭い境遇だけだ。
「………僕は、要らない子……」
小さい少年は両手で、耳元に手を当てると、
そのまま身を縮ます様にそのまま塞ぎ込んだ。
和久と芳久。
同じ血を引いている兄弟でも、
父から与えれる愛情も態度の格差はかなり粗雑なものだった。
そして悟りを開いた。自分自身の立場と身分、
その温かみのある声音は一生、向けられる事はないと。
縦長に設計されたリビングルームには、
調度な高級な家具や珍しい骨董品等が、置かれている。
その家具や骨董品、部屋には塵や埃は一つもない。
この家の家政婦代わりである次男によって綺麗で清潔な環境な保たれている。
バーを連想させるキッチンルームにて、青年は立っていた。
角切りにした林檎を放り込むとジューサーにかけ、
その間に器用に林檎を剥き、兎の形に切られ整えては、皿に乗せる。
ちらりと盗み見した青年の所作はかなりしなやかで手際よく綺麗だ。
ソファーに座っている美菜は内心恨めしげに、芳久を見詰めている。
まるで華麗な所作、その佇まいは人形の様だ。
表情を一つ変えずに青年は、
ロボットの様に与えられた役割を失敗する事なくこなしている。
芳久は出来ない事はない。
流石、秀俊が次期理事長候補の座に座らせるだけの逸材ではある。
何でも器用に華麗にこなす所作は文句が付け所がないが、
それが美菜は腹が立って仕方がない。
それに、芳久が居る限り、美菜には”ある不安”を加速させる。
有名な硝子職人に特注で造らせた世界で一つのワイングラスに注いだ果実樹のカクテル。
控え目に添えられたサクランボが華やかな存在感を放つ。
これは英俊に対して用意したものだ。
珍しくリビングルームに居る父親は眼鏡を掛け、
ただタブレット端末を見詰めている。
「ねえ、」
へばり付く様な媚びた声音が、英俊に寄り添う。
「______プランシャホテルの後継者は、この子よね」
己の腹を撫でながら、英俊に言った。
英俊に微笑みながら寄り添っていたが
その前に一瞬だけ芳久に向かって、違う微笑を浮べている。
勝ち誇ったかの様な微笑、それは嘲笑というべきか。
芳久は気付いてはいたが、その平然とした面持ちは変えず微動打しない。
美菜には、一抹の不安があった。
高城英俊の実子を身籠っているとはいえ、
彼の実子を一人は亡くなったものの、一人は現に此処に居る。
高城芳久が英俊の跡目を継ぐ予定だと決まっているが、
それは美菜にとっては気に食わない。
何としても、生まれてくるこの子に後継ぎの手札を与えたい。
(どれだけ優秀かは知らないけど、
先妻の子に後継者の跡目を渡すものですか)
芳久は、憎い女の息子。
理事長夫人の座は手に入れた。後は“腹にいるこの子”だ。
この子をプランシャホテルの後継ぎにさせて、
夫に、子供にも熱心に教育を注ぐ良妻賢母として注目され、
英俊や実子に愛でられたい。
そんな黒い思惑が、美菜を包む。
(………さあ、合理的主義者の貴方は、なんと言うか)
意外にも芳久の心は凍り付いている。
表向き理事長の忠犬のふりをしているだけで
自分自身だって、プランシャホテルの跡目を継ぐ気はない。
それは後継者であった和久がいなくなってしまったからに過ぎなくて、
あれだけ蔑ろされて冷遇を受けてきた芳久にとって
勝手にプランシャホテルの跡目を押し付けられるのは御免だ。
、これは試されたものだ、と芳久は分かり切っていた。
英俊が芳久を選んだのなら、それなりの情を示した事になる。
反対に芳久ではなく美菜との子を選んだのなら。
(それは、それでいい)
(…………俺は、単なるあの人の駒使いの人形だ)
寧ろ、高城家から離れ自由の身となる方が好都合だ。
リビングルームには重く硬い沈黙が、佇む。
美菜はにんまりと深い微笑を浮かべている。
不安感は拭えないが、こんな話を持ち出したのは美菜の中では絶対的な自信があったからだ。
英俊に目をかけられ愛されているのは自分自身。
芳久等、自分自身の役目を蹴って実家を飛び出した裏切り者に過ぎないのだ。
自分自身の子供が選ばれるに決まっている____そんな絶好的な自信がある。
「その子次第だな。その子が如何に優秀か。
高城家の器に見合った子供かで、私が決める。
ただ今の時点では、後継者は芳久だ」
如何に優秀か。高城家の器の持ち主か。
実子である事であるには代わりないが、
高城家の器に合う優秀者かが基準だ。
芳久にはぴったりと高城家の器に、
プランシャホテルの理事長に備わっている。
生まれてくる子供の素質を理解するまで、
否、その子には高城家の器がないと分かれば
芳久に自分自身の跡目を継がせる。
その瞬間、美菜はむっとして不服な表情を浮かべた。
「______何よ!!」
リビングルームに響く怒号。
「貴方の子よ!? 高城家の血も引いてる。
だから素質を持っているに決まっているじゃない。
なのに、この子は要らない子っていう事!?
じゃあ、この子をプランシャの後継者に選ばないって事よね!?」
「そうとは言っていない」
きっぱりと断罪する様に冷静に告げる英俊。
しかし美菜の思考は昂り、頭に血が昇っていく。
「じゃあ、アイツがプランシャの後継者なの!?」
「ねえ、答えなさいよ!!」
美菜は立ち上がり、
英俊の持っていたタブレット端末を奪うとそれをそのまま投げた。
タブレット端末は骨董品に激突し、衝撃によって硝子細工の骨董品はひび割れ粉々に散らばっていく。
芳久は素早く粉々に割れた骨董品の片付けに取りかかりながら、実父と継母の様子を伺っている。
英俊は黙り込んでいる。
沈黙を貫いているというべきか、
それとも、その沈黙が答えだと言うべきか。
美菜は、そんな英俊の肩を掴み酷く激しく揺さぶり始めた。
「ねえ、答えなさいよ!!
裏切り者に跡目を継がせて、この子を蔑ろにするの!?」
その刹那。
芳久の脳裏に幼き日の自分自身と兄の姿、
その兄弟に酷く分け隔てをする英俊の態度が映った。
幼き日の自分自身の姿を思い出し、
絶句しながら、高城夫妻に視線を向けた。
偶然、欲深い夫人と視線が混じり、
きっ、と美菜は視線を芳久をきつく睨んだ。
けれどそれを芳久は知らないふりを突き通す。
言葉は違えど芳久は初めて継母から名指しされた。
「アイツは、貴方を、実家を、裏切ったじゃない。
高城家の器にそぐわないに決まってる!!貴方は
裏切り者に跡目を継がせるというの!? この子じゃなくて!?」
「_________黙りなさい!!」
今まで黙り込み、沈黙を貫いていた英俊が声を荒げた。
「大体、まだ生まれてもいない。君は急ぎ過ぎだ!」
「急ぎ過ぎ? 大切な事でしょ。後継ぎの問題は……」
「何度も同じ事を言わせるな。生まれてからの話になる。
今は早過ぎる。それに私の歳を考えて、その子の素質を見届けられるかも分からない。
だったら、幼い頃から見てきた
芳久に私の跡目を継がせるのが、合理的だ」
(…………何と言うべきか)
合理的主義者には正論を述べているだけだろう。
しかし、相手には残酷な話だ。
芳久は、目を見開いた後に視線を伏せた。
(……………)
『だったら、幼い頃から見てきた
芳久に私の跡目を継がせるのが、合理的だ』
脳内に冷たい響く声。
その言葉を聞いた瞬間、美菜の目の前は真っ暗になった。
やはりこの男は、裏切り者の息子に、自身の跡目を継がせるというのか。
「…………なんだ、」
ぽつり、と呟いた。
英俊の言葉や態度は、
美菜の自信を打ち砕くのには十分な代物だった。
その刹那ら美菜はさっと気持ちが冷めていくのが実感があった。
英俊は、自分自身を選ぶのだと思っていた。
自分自身の地位は、彼の息子よりも勝るものだと思っていたのに。
今まで、腹にいるこの子が選ばれるだと思っていた。
けれど、裏切り者の息子を選んだこの男の本心を知った今は。
(もう、いいわ)
自分自身を、腹にいるこの子を、選んでくれないならば。
まるで嘲笑うかの様に、狂気に狂った高笑いをして見せた。
「美菜?」
英俊の声かけを他所に、美菜は走り出した。
美菜が向かった先は、木製のロークローゼット。
(______不味い)
美菜の行動を悟った芳久は、手を伸ばした。
ロークローゼットは、美菜の身長を考えると腹辺りの高さにある。
それが意味するのは………………。
「…………っ」
何故だが、声が出せなかった。
刹那_______。
腹に衝撃が走る。
刃物同然の衝撃が走った瞬間、
込み上げてきたのは、黒い何かを吐き出したくなった。
悔しい、憎らしい。
痛みが迸るがけれどそんな事はどうでもいい。
自分自身の今までの、あの努力は何だったのだろう。
自分自身の思惑に嵌めた筈の男は、先妻の忘れ形見を選んだ。
優子に負けた。
美菜にとっては、それが憎い程に悔しい。
自ら、ロークローゼットの角に己の腹を当たらせた美菜は
様々な思いが腸に交錯させながら、意識が遠退いていく。
「ぐはっ……」
それは理事長の夫に依存し、
自らが抱いてきた欲望を晴らそうとした女の呻き声。
美菜はロークローゼットにぶつかると、そのまま倒れ伏せた。
物語の構成に必要だと言えど
ご気分を害される描写である事には変わりません。
ご気分を害された方、申し訳ございません。
この場をお借りしまして謝罪させて頂きます。




