第186話・青年の持ち出したある交渉
知っているならぱ、誰か教えて下さい。
何故、死した“私”が、あの人の前に現れる運命だったのか。
これは、“偶然”だったのですか。
それとも、“必然”だったのですか。
理香が消えて、もう数週間が経つ。
一言で、現せば『異様』というべきか。
最初こそ何か彼女にとって
またショッキングな事があったのでは、と思い
それならばそっとして置いた方が良い、と距離を置いていたのだが、
これ行方知れずだと事実は、見過ごせない。
連絡も着かないので、
心当たりのある場所や、以前、一緒に向かった嘗ての森本邸があった町に足を運んで
地元の人にも理香らしき人物が居なかったか、尋ねたが皆、皆無で手掛かりすら掴めなかった。
それに、森本繭子と尾嶋博人が共謀していると
怪しんだ今、芳久は気が気では居られなかった。
「では、プランシャホテルにいらっしゃったのは」
「………椎野さんと連絡が着かないので、僭越ながら、椎野さんの勤務先まで出向きました」
「………そうだったんですか」
漸く、相手の正体を知った芳久は、視線を落とした。
「椎野さんは」
「数週間前から、無断欠勤のままです。
彼女は真面目で律儀な人なので、無断欠勤なんてあり得ないのですが_______…………」
「……………………」
今、娘がどうしているのか。
神隠しの様に突然にして消えた彼女は、何処に居るのか。
椎野理香が娘だと悟った刹那、健吾の心には次第に父性愛が、身に付きつつあった。
「心当たりはないんですか」
「…………何もありません。身寄りがない方なのでどう探していいのか」
仮にも初対面で会い素性を知ったばかりだ。
まさか、繭子と繭子が定めた婚約者が怪しいなんて、言えない。
ちらりと芳久は、白石健吾を盗み見した。
(理香に会って、森本社長の情報提供が欲しいのか)
人は誰も、新しいものに群がりたがる。
森本繭子社長のスキャンダルは、
えげつない程にセンセーショナルで話題を拐う。
繭子の秘密を共有し取り引きしていた仲ならば、
一秒でも彼女に会って、新しい森本繭子の情報を知りたい筈だ。
だが。
(本当にこの人は森本繭子の情報が、欲しいだけ?)
肩を落とし落胆した表情と雰囲気は、まるで葬儀に参列する者の様だ。
憔悴仕切り心配そうな顔をして、彼女の身辺を聞くなんてするだろうか。
この男は、椎野理香が消えた事を、決して他人事には思っていない様な気がする。
(………………それは、何故だ?)
疑問は浮かんだとしても、答えは出ない。
年は50代半ば。若々しいから、40代半ばかも知れない。
少しだけ白髪混じりの無造作な髪。
よく見れば西洋劇の映画に出てきそうな、端正で紳士的な顔立ちをしている。
しかし気怠く、人生の何かを悟った窶れた顔付きは、
なんとも言葉には出来ない悲壮感を表していた。
それにそぐわぬ、
ラフな服装や出で立ちがギャップを感じさせるのかも知れない。
ただ森本繭子のスキャンダルの情報が欲しくて
椎野理香を探しているならば、理香は単なる玩具だ。
情報提供された情報だけを手に入れれば良いものだろう。
相手の身辺なんてどうでもいい筈だ。
なのに。
(………どうして、そんな心配そうな顔をしているのか)
芳久には、それが謎だった。
今まで通りにしていたのに、何故、椎野理香は突然消えたのだろう。
失踪する様な素振りは、見せていなかったのに。
母親を奈落に突き落とす為なら、情熱を燃やしていたのに。
「高城さんと言いましたね」
「はい」
「色々とありがとうございました。
一つお聞きしたいのですが、椎野理香さんに可笑しい素振り等はありましたか?」
「いえ。彼女はいつも普段通りでした」
「そうですか」
そう芳久が告げると、健吾は再び目を伏せた。
その何処か憔悴した様な姿が何処と無く、芳久に違和感を感じさせる。
ただ椎野理香は、情報を提供をする人物だけなのだから、
落胆する必要も、心配する必要はないだろう。
なのに、彼女を心配する必要がある?
(記事が書けなくなるからか……?)
好奇心が芽生える。
何故、彼女を過剰に心配するのか。芳久は知りたくなった。
それは純粋な心配なのか、利害が一致した役割を果たす為の、心配したふりをした偽善者なのか。
人間観察も含めて、
この白石健吾という記者がどんな人間なのか知りたくなった。
(俺は、悪い人間だな)
嘲笑いながら自分自身で、つくづくそう思ってしまう。
「あの」
「………はい?」
「椎野理香さんを捜すには手掛かりはありません。
ですがこの際、椎野さんを捜す為に、僕に協力させてはくれないでしょうか」
「それはどういう事ですか」
乗り掛かった船に、相手は乗ろうとしている。
「白石様も、椎野さんが居なければ、
記事はお書きにはなれないでしょう? それは……貴方にとって不利かと」
「そうですね」
森本繭子と椎野理香の関係や秘密は、椎野理香にしか聞けない。
自分自身は何も知らないから、自分自身が勝手に書いてしまえば、虚偽になる。
(それは嫌だ)
書きかけの記事は未完成のまま、闇に葬ってしまう事になるだろう。
それは繭子を貶める為には勿体無い上に無駄になってしまう。
今まで、椎野理香と共謀して、
此処まで繭子を貶めるシナリオを作ってきたのに。
否。それ以上に健吾は理香が行方知れずという事が何よりもの気掛かりで心配だった。
「せっかく書いてきた記事も、椎野さんの思いも無になるでしょう。
それに椎野さんの行方は僕も心配しています。
この際、協力して椎野さんを捜しませんか?」
青年の表情や眼差しは真剣そのものだった。
一寸の曇りすら感じられない。
娘を心配してくれるのか、と思えば健吾は有難く感じる。
その提案に乗ってもいいか、と思ったところで、
健吾の脳裏に、自身を裏切り捨てた女の事を思い出し臆病になった。
あれから、安易に人を信じられない。
しかし。この青年はあの自身を裏切り捨てた女とは違う。
物静かで、冷静で、一見は穏和な微笑を浮かべた上品な青年。
特別、情熱がある訳でも、熱血漢な訳でもない。
寧ろ、それらとは真逆だ。
それらは微塵も感じられない。
青年は冷静さを伏せ持ちながらの、本気の様だった。
その証拠に、誠実な瞳が表している。
本気ならば娘の事を心配してくれるのは有難いけれど。
(いいだろう、乗ってみようか)
これが、誠実か、裏切りか、知らないけれど。




