第183話・理想郷の結婚へのカウントダウン
大変お待たせしました。
理香は、無言。
理香、繭子、博人の居るリビングルームには思い沈黙が佇む。
こんな無意識的に緊張感に晒されるのはいつぶりだろうか。
JYUERU MORIMOTOに出禁宣告されてから、
JYUERU MORIMOTOにも出向いて居らず、森本繭子に会うのも久しぶりだった。
ずきずき出で立ちに、ぎょりとぎらぎらとした眼球。
まるで獲物を狙って離さず、見逃さないかの如く
繭子は理香を睨み据えている。
それはまるで、鬼の様に。悪魔の様に。
(…………貴女は変わらない)
ちらり、と盗み目をしたリビングルームは
整理整頓されながらもやや少し生活感に溢れた雰囲気を醸し出していた。
恐らく繭子は此処で生活しているのだろう、と理香は察した。
悪魔は此処でひっそりと息を潜めている。
破滅しても、仕方がないというのに。
(全てを失った癖に、まだ貴女には野望があるというの?)
その心内の問いかけは、繭子の姿勢や態度が示している。
(________野望も、欲望の尽きぬ浅はかな女)
そして隣には、無言の威圧感を感じる。
本来ならば自分自身はこんな場所に、繭子や博人に用はない。
だから早く蹴って帰ってしまいたかった。
けれど出来ない。
博人に捕まれた右手のせいで、逃げられなかった。
“執着”という焦がれた感情は、その博人の絶えぬ注がれている視線と掴まれた腕が物語っていた。
その執着はまるで、逃げられない鉄錆の手錠の様だった。
重く黒い沈黙が、広いリビングルームに流れる。
しかし二人の欲望者に睨まれている中で、理香は冷静沈着だった。
(何故、博人が必要なの?)
母娘の秘め事を罵倒し合うのならば、他人なんて要らない。
それに繭子は他人に森本の内情を聞かれるのは嫌いではなかったか。
何故、彼が同席をしているのかだけは、理香は解らない。
目をやや伏せながら呟く。
「此処まで連れてきて、一体何の用です?」
落ち着いた声音。
けれどもそれは酷く他人行儀の冷たい声。
まるで他人事の様な声音と素振りに、繭子は苛立ち拳を握り締めた。
「貴女が結婚しないからよ」
「……………?」
「貴女、いくつだと思っているの。26でしょ。
そろそろ結婚して、母親に孫の顔を見せて貰わないと」
「…………(嗚呼、そういう事ね)」
理香は漸く、自分自身が此処に連れて来られた意味を理解した。
ならば博人が同席しているのも納得する。
博人に拉致され、繭子の所へ連れて来られた意味______それは、母親面をして“結婚の説教と説得”をする為だ。
自分自身のお気に入りの博人を婚約者に指定し洗脳し
こういう時だけ、娘を思う母親面をしないでくれ。
悪魔が娘を思うふりをするだけで
背筋が凍る程に理香には気持ちが悪い。
内心で舌打ちしながら、疎ましい眼差しを向けた。
「貴女には幸せになって欲しいのよ。
あたし、貴女の花嫁姿も、母親になる姿もみたいわ」
まるで何かを渇望する様な、潤んだ瞳。
まるで何かを取り込む様な媚を売る声音。
「だから_______」
「貴女は博人と結婚しなさい」
「優秀で賢い彼と結婚すれば、貴女は幸せになれる」
にっこりとした微笑。欲望の微笑。
婚約者の前で告げれば、心菜は逃げられない。
奴は優しいから他人を母親の願い蹴れる術を持ち合わせていない。
女社長として復帰するには、娘を連れ戻し、娘婿、孫が必要だ。
幸せな娘に娘婿、孫を持っていると唄えば、自身の評価と品格が上がる。
そんな奮闘する自分自身の同情を集めれば尚更、株が上がるに決まっているだろう。
(あんたは、あたしから逃げられない筈よ)
内心で繭子は高笑いした。
これで、全てが手に入る。
__________しかし。
理香は嘲笑った。
「それ、誰に向けてのお話ですか?
本当は娘の“幸福”よりも“不幸”を願っている癖に。
娘が幸せになるなんて貴女は気に食わないでしょう」
何故、こんな悪魔に自由と人格を奪われて
結婚相手も未来予想図も決められないといけないのだろう。
「それよりも、見たいの? “心菜が幸せになる姿”を。
だったら貴女は憎悪の感情で耐えられないでしょうね。
だから佳代子叔母さんに似ている、心菜 (わたし)を虐め抜いてきたのだから」
語尾が思わず、据わった。
この悪魔への恨み節ならば幾らでも言葉を紡げる。
この心に据わった悪魔の憎悪の存在感は、忘れはしない。
佳代子、というワードを出した瞬間に、繭子の表情が引き吊る。
まるで居心地の悪そうな顔をして、柔らかな表情が歪み始めた。
こんな悪魔に、毒母に操られて堪るものか。
天性の悪魔等に、自分自身の人生等を奪わせない。
否。自由を奪われた操り人形になってなるものか。
「私は、結婚も出産もしない。
もう昔の様に、私は貴女の思い通りにはならないわ。
……なってなるものですか。もしそうなれば、反吐が出るわ」
ぎりり、と軋む音がする。
迸るめり込んでいく皺、充血していく瞳。
繭子は悪魔の形相に変わり、虫の悪そうな顔をしている。
それは博人へ仲睦まじい母娘を語っていた為に、
博人に醜態が、晒された意味もあるのだろう。
彼はこんなに互いを憎しみ合う母娘だとは知らなかった筈だ。
現に呆気に取られた、呆然した表情をしている。
綺麗事しか聞かされていなかったのだろう。
理香は、博人の方へ向いた。
「この人の茶番劇に付き合わせてしまってごめんなさい。
全てはこの人が作った理想郷です。だから、私との婚約は破棄して下さい」
最後のけじめだと思って、深々と頭を下げた。
そして強く掴まれた腕を、振り解いて理香は振り返りもせずも去っていく。
少し長居し過ぎた様だ。
空は夕焼けに紫色が混ざり幻想的な色を作り出している。
そんな空を見上げながら、理香は着々と別荘を去っていく。
門扉に向かって、別荘の庭を歩いていたその時だった。
「________待ってくれ!!」
博人は息を切らしながら此方へ来る。しかし理香は立ち止まらない。
これ以上、他人に期待は持たせたくはない。
しかし、理香の内心とは裏腹に博人は、その細腕を固く掴んだ。
理香は振り払おうとしたが、博人は離さなかった。
嫌々に振り返った、彼の表情は怒っている様に見えた。
「君は、なんて事を______」
「…………どういう事ですか?」
疑念混じりに理香は首を傾げた。
「君は何とも思わないか。
お義母さんがあんなに弱っているんだぞ。
なのに君はあんな酷い言葉を投げて、侮辱して傷付けて……。
あれが娘のかける言葉か!?」
「ええ」
理香はふっと微笑した。
「貴方は理解出来ないでしょうね。
私達、母娘は”普通じゃない”。互いを良くは思えないの。
私は娘であって娘じゃない。………“娘”という名前だけよ。
だから、あの人の言う通りには生きれないの」
理香は目を伏せながら、花壇に目を落とす。
その眼差しが酷く儚げで刹那的に見えたのはきっと気のせいではないだろう。
「だから、私達は最初から縁がなかった。
いい加減に目を覚まして。貴方はあの人を操られているだけよ。
私との婚約もあの人が勝手に決めた事よ。
……世の中には私よりも貴方に相応しい人がいるわ」
淡々と告げる理香に、博人は拳を握り締める。
博人の中では徐々に怒りが芽生え始めていた。
自身は森本繭子に操られている?
森本心菜とは最初から縁がなかった? だから婚約破棄と言ったのか。
(_______じゃあ、僕のこの思いはどうなる?)
婚約話が持ち上がり、
決まってからはずっと心菜に恋い焦がれてきたのだ。
理香の言葉は、全てを打ち砕く威力を備えていた。
それはまるで、自分自身が心菜を恋い焦がれ
彼女を愛しているのを否定された気がした。
森本心菜は目の前に居るのに、
ずっと遠くにいる感覚に襲われる。
それを否定したく、青年を逆上させるのは簡単だった。
固く掴んだ腕を固く、目の前に引き寄せると睨んだ。
(この思いを否定させるものか)
「婚約破棄? ふざけるな。
僕はずっと君に恋焦がれてきた、現に愛しているんだ!!」
怒りにから浮かんだ博人の表情は、軈て不気味な微笑に変わる。
背筋が凍り、危ないと理香の脳内が警告が示し始めた。
「縁は、これから作れば良いんだよ」
執着心のある声音。
刹那に理香は悟った。
(_______“この人“も、“あの人”と変わらない)
手を振り払おうとする隙もなく
刹那、鳩尾に衝撃が走り、意識が遠く成り始める。
舌を噛んで意識を取り止めようとしたが、遠ざかる意識はそれすらも許してはくれなかった。
倒れた華奢な体を支えながら、
狂気に狂った博人の口角は上がりは微笑する。
「______あはは、君は僕のものだよ?」
「_______君だけは、逃がさないから」