第169話・千切られた頁(ページ)
例えば、貴女と共に、地獄に落ちたと構わない。
貴女の罪の一部である私も、
生まれながらにして、罪人なのだから。
“私が消えたら、森本家の権利は全て繭子へいく”
“繭子と、繭子のお腹の中にいるあの子に。
バイオリンニストの夢を妨げられるのなら、
全てを繭子に預けてから、私は消えた方がいいのだ”
繭子は、紙切れを握り締めていた。
紙切れは色褪せ、書かれた文字も所々滲んでいる。
佳代子の思いを繭子が
知ったのは、彼女が不慮の事故死を遂げてからだ。
遺品整理の理由を付けて、綺麗に整理整頓された
佳代子の部屋を漁り、異父姉の日記を見つけた時だった。
日記には
森本佳代子のありのままの感情が詰め込まれている。
(何よ、これ)
“………私も、繭子みたいに自由になれたらいいのに。
繭子みたいに振る舞えたら、どんなに楽だろうか”
“私は憎まれている。それは当然だろう。
最終は複雑だったけれど憎まれ役になるのも、慣れてしまった。
当然だ。人を憎まずに生きる人間なんていないのだから。
現に、私もあの人を憎んでる”
才色兼備、品行方正の才女としか言われなかった
異父姉の裏の感情は意外なものだった。
物静かな人物だった事もあり
佳代子があまり自己主張をしているところも
自分自身の思いを誰かに見せたところも、見た事はない。
元から読めない人物だと思っていたけれど
だからこそ、”日記の中での森本佳代子”は、意外な人物だった。
表では物静かで大人しく
温厚で、虫も殺せない顔をしていたのに。
いつ知ったのだろう。
佳代子は、繭子が二股の交際をしている事、妊娠している事
果てには長らく異父妹からずっと憎まれている事を、
その全てを知り悟っていた。
佳代子は予想以上に物分かりが良く、全てを知っていた。
森本家の事、母親の思いも、繭子の行いも。
それはまるで全てを見透かす様に。
(余計な事まで日記に書くなんて………!!)
二股交際していた事や妊娠している事が
バレてしまえば、自分自身の存在は不利になる。
決して周りに知られてはならない。
それに_______
憎しみは人を盲目にさせてしまうのか。
(あんたは、偽善者ね。
人の個人情報を先回りして知ってから、人を嘲笑って楽しんでいるの?)
バレては不味い。
繭子は日記の文字を睨み付けながら、
自分に不利な事を綴られた頁を憎しみと共に、引き千切った。
_______プランシャホテル廃棟。
綺麗に整理整頓された部屋は、埃も物もあまりない。
生活感すら消えてしまいそうなこの部屋に、プランシャホテルの理事長の息子が居座っている等、
やや信じがたい。
他の部屋と少し違うのは、劣化が少ない事くらいか。
その部屋の窓際に背を預けているのは、彼女。
千切られた本の項の背を見詰めながら
「_____この、千切られた頁に何が書かれていたのかしら?」
理香は、ぽつりと呟いた。
プランシャの株価、裏情報を探る為に
パソコンにキーボードを打っていた青年の指先が、ぴたりと止まる。
「恐らく、森本社長にとって不都合の事は間違いないだろう」
「千切られた箇所に何と書いていたのか……」
恐らく佳代子の日課のだったのだろう。
日記は欠かさず、律儀に毎日、日々の事が書かれている。
千切られた頁は、ばらばらだ。
月の一日のどれかが疎らに千切られていたり、
反対に月の殆んどが千切られていたりと不定期だ。
…………この意図の理由が読めない。
だがこの千切られた項には
繭子にとって不都合な事が書かれていた事は、明らかだろう。
だが。
(あの人にとって、不都合なことって?)
森本の生家の事情は知らないけれど、
長女だった佳代子が亡くなり、次女の繭子に全て森本の権利は行った筈だ。
望み通りに社長の権利を手に入れ、娘を産み、ジュエリー界の女王として有名になった。
その華やかなキャリアに不都合の一つは、見られ無いのだが。
そんな女にとって、異父姉の日記を破らなけば成らぬ程の不都合な事があったのだろうか。
思考に疑念を交えながら、理香は考え込んで探りを入れてみる。
答えは中々、見つからなかったが、ある考えが浮かんだ。
(………佳代子に弱味を握られていた?)
当時、繭子の一番近くに居て、全てを目の当たりにしていた人間。
それは異父姉である佳代子しかいないだろう。
だが、佳代子は自分自身の事で精一杯そうだった。
母親の利己的な理由で、バイオリンの道を絶たれかけ、
佳代子は自身の生きる道の為に森本家から家を出ようとしていた。
森本家から離れる事すら、彼女は口にはしていない。
だが常に穏和かつ冷静沈着で異父妹思いだった、
物静かであまり他者に興味を見せない彼女が、
その弱味を脅しとして使う事を、彼女はしないだろう。
けれど
そんな控えめな異父姉の言葉に何か秘められていたのか。
誰も知らない異父妹の一面を知っただけだったろうに。
だが。
(…………それは、“あの人”にとって弱味だった?)
それは何事にも強気で
全てを奪う悪魔が揉み消してしまいたい事だったのか。
「……弱味。だったかも知れない」
「え?」
「あの人は、佳代子さんに知られたく無い弱味を握られていた。
だからこんなに一定期間の日記が破られていたと思えば、辻褄が合う」
「それなら一理ありそうだな」
(………その弱味は、なんだったの?)
異父姉に握られた、秘密という弱味。
それは何なのだ?
その刹那。携帯が震える。
取り出して確認してみると、知らない番号が示されていた。
「……………」
知らない番号を受け取る習慣はない。
理香の人間関係はごく限られていて、
少しの人物しか名前は入力されていないのだ。
それはイコール。椎野理香の携帯番号を知る者も数人という事で
大概は携帯端末には、名前が浮かんでくるのだが。
最近、この番号はよくかかってくる。
けれど、理香には心当たりはない。
人間関係は変わらないし、携帯番号を誰かに伝えた覚えもない。
疑問符に少し首を傾けながら、着信が鳴り止むのを待つ。
理香が着信が鳴り止むのを待っている姿に、芳久は首を傾げて呟く。
「いいの? 受け取らなくて。遠慮はいらないよ?」
「………ええ、知らない番号だから、受け取らないわ。
気にしないで」
遠慮気味に呟く芳久に理香は、あしらった。
「でも_____」
「最近、この番号、よくかかってくるの」
「………え?」
日記の千切った欠片は、今も繭子の手にある。
憎悪からぐしゃぐしゃにして捨てて仕舞おうと思ったが、それは出来なかった。
理由は母親の過干渉からだった。姉妹の母親は、
娘のものに容赦なく過干渉しては、首を突っ込むからだ。
森本家の相応しい者は誰かと、それに盲目だった女は
娘の捨てたものまで疑い隅々まで漁るのだから。
異父姉の日記を引き千切り、捨てたとしても、きっとすぐに見付ってしまう。
だから捨てる事が出来ずに、手元に留めている。




