第166話・森本心菜の利用価値
今や、理香にとって“心菜”は良い利用価値の代物だ。
心菜という武器を使えば、繭子を脅かす材料となる。
繭子は何だかんだ言えど、心菜の存在は無視は出来ないのだから。
(過去なんて、どうでもいいわ。
所詮、心菜は繭子の操り人形だったんだから)
今はもう違う。
理香は、れっきとした一人の人間だ。
心菜はとっくの昔に葬った、彼女の記憶だけを引き継いだに過ぎない。
(私に出来るのは、あの人を突き落とすだけよ)
奈落に。
侮辱、屈辱という奈落の地獄の闇に。
______森本繭子社長、いよいよ再起不能か。
______華やかな表、その裏では娘を虐待し続けた、毒の女社長。
世間での森本繭子の評価は、日々どん底へ落ち続けていた。
森本繭子の会社の業績や学歴不正、まさか一人娘を虐待し続け、その娘を自殺に追い込んだ。
もはや犯罪者と言わんばかりに。
_______プランシャホテル、理事長室。
夜空の帳に包まれた理事長室。
ひっそりと淡い白銀の月明かりだけが、微かに差し込む。
「こんな記事が出てしまっては、我が社の名誉も落ちてしまう」
森本繭子の記事が載った週刊誌に、放り投げる様に
社長室のデスクに置いては、英俊は冷めた眼差しで
週刊誌を見る。
まさか、森本繭子が、こんな女だったとは。
JYUERU MORIMOTOが批判の波に晒されば、
提携経営元のプランシャホテルの評価も株も下がってしまう。
(こんな疫病神の会社との提携等、いらない)
早く提携経営を切ってしまわねば。
こんな疫病神の会社と縁を結んだままでいたら、危うい。
英俊にとって理事長の地位、プランシャホテルの名誉を傷付けるものなら、排除する。
そうすればいいだけだ。
森本繭子は、精神的な体調不良で入院したまま
退院の目処は立って折らず、雲隠れしているらしい。
そう考えた所で、慎ましやかなノックの音が聞こえた。
はい、と生返事を返した後では、相手は礼儀正しく此方に入ってくる。
「______お久しぶりです。理事長」
端正な顔立ち、長身痩躯のスタイル。
以前と姿も顔立ちも変わっていないのに
何処か雰囲気も顔立ちも変わったのは気のせいか。
久しぶりに目の前に現れたのは、暫く見ていなかった次男だった。
「久しぶりだな。
お前、長期休暇を取っていたらしいが、何処に行っていた?」
「…………」
鋭い眼差しが、此方に注がれる。
けれど芳久にとっては計算済みのことだった。
「僕は理事長の後を継ぐ身です。
兄になる訳でもありますし、理事長の勉強と
兄になる覚悟を考え、備える為に暫く長期休暇を取らせて頂きました」
「…………そうか」
「勝手な真似をしてしまいすみません。けれど、
終わった後に理事長にお会いしたいと思っておりました」
心にもない、微笑みと言葉を紡ぐ。
脳腫瘍を抱え、手術しリハビリしていたとは決して
奴の耳には入れられないから、ありふれた言葉を並べた。
そう真剣な眼差しと表情で
言葉を言って見せれば、英俊は喜んだ様な表情を浮かべる。
「そうか。お前にも理事長の責任を担う気持ちが出来たのか」
「はい。理事長の後を継げる様な、人間になって見せます」
(_____そうやって喜んでいろ。俺が乗っ取ってやる)
芳久は、微笑する。
地位も名誉も。
母親を殺した意味を口にするまでは、
偽善者の息子を演じ、いつか追い詰めてやる。
「…………随分と、“いい子法式”で行くのね」
理事長室を出た後、
廊下の人目に着かない場所に、理香がいた。
彼女は何時も通りに何処か憂いた表情と、真剣な眼差しで此方を見ている。
「まあね。“今”は」
「…………そう」
理香は聞いていた。
理事長と芳久の会話の一部始終を。
親子とは思えない他人行儀な口振りは、嘗ての自分自身を見ているようだった。
「………まあ、最初は穏便に行きましょう?」
「ああ、そうする。けど、そっちは穏便に行けるの?」
「……………」
そう尋ねた途端、微かに理香の表情が険しくなる。
森本繭子は危うく、“娘を自殺に追い込んだ女“と囁かれるようになった。
森本心菜の過去を暴いた時点で、自分自身の地位も危うくなるかも知れないのに。
理香は一切、そんな素振りは見せない。
「私ね、気付いたの」
「………何に?」
「あの人は、なんだかんだ言って
“心菜”というワードを出されたら、無視出来ないと。
私は理香。心菜じゃない。他人だわ。
どちらにしろ娘というワードを出されたら、
世間もあの人も無視出来ないでしょう。平穏ではいられない筈よ。
それを、利用する」
「だから。
私は、これからは心菜を使うわ。武器として。
それは、私にとって復讐に好都合なものだから
…………それが狙いよ」
繭子を、奈落に突き落とすには心菜の存在が不可欠だ。
佳代子が効かなくなった事を薄々感じていたが、
佳代子と心菜のワードを、悪魔に憑き纏わせれば、繭子は平常心を保てなくなる。
今の虚像で積み上げた華やかな名声も、名誉も
無くなってしまう。
理香は微笑した。
堕ちるところまで、堕ちてしまえばいい。
森本心菜の利用価値。
それは、森本繭子を苦しめ、窮地に追いやる事が出来るもの。
利用出来るものは、なんでもしてやる。
悪魔を、堕とす為ならば。




