第164話・悪魔を堕とす為の天使の選択
憎い。
娘を壊し、一生の傷を追わせたあの女が。
週刊誌には、博人に
抱き抱えられて病院に運ばれていく写真がキャッチされていた。
自分自身の落ちぶれた表情、気品のない表情を撮されている事に、繭子は震えた。
青年に抱えられていた自分自身は、まるで山姥。
窶れ切ってギスギスとしたボロボロの姿は、我ながら絶句した。
それは『ジュエリー界の女王』と呼ばれた自分自身には似合わない表情だからだ。
世間に今の自分を知られる事を恐れ救急車を呼ぶ事を躊躇した。
そんな時、居合わせた博人に助けられ、自分自身の愛車に乗り
病院へ向かい、体調不良で入院となったのは事実だが。
まさか、運ばれる瞬間をキャッチされていたなんて。
週刊誌を持っていた手がわなわなと震え、
繭子は怒りを覚え、その手で週刊誌をぐしゃと崩れる程に力を込めていた。
(______なんで、こんなあたしが惨めな姿を撮られてしまったのよ)
入院先の個室、そのベッドに座りながら歯軋り一つ。
(_____椎野理香、また私を惨めに晒したわね……)
週刊誌を握り潰しながら、
理香への憎悪が燃え滾り収まらない。
どうして自分自身がこんな目に遭っているのか。
わなわなと怒りに震えている繭子の傍では
料理人の様な手付きで器用に、林檎を剥いている博人の姿。
繭子のその姿を見ながら、彼は告げる。
「意外なリークでしたね。まさか、社長の姿が撮られるとは……」
「全くよ。まだマスコミが追いかけているなんて」
繭子の表情も口調も不機嫌そのもの。
切り分けた林檎にフォークを突き刺すと、優しい微笑みで博人は林檎を差し出す。
それはまるで、令嬢に果物を差し出す執事の様だった。
「申し訳ありません。
僕が無防備だったせいで、社長のお気を悪くされて」
「いいえ、貴方はいいのよ」
博人は謝る。
だが。
「でも社長。形は望まないものと言えど
良い機会だと思えませんか?」
「え?」
自棄食いの様に林檎を頬張りながら、繭子は返す。
博人は心の中で微笑していた。
まさか、このスキャンダルが自分のリークだとは相手は夢にも思っていない。
「心菜さんが
これを見ていたら、流石に心が痛む筈です。
心を改めて社長の元に帰ってくるかも知れない」
「………そうかしら」
「自分自身がした事を後悔して、帰ってきたら
待っている僕達のとっては、良いと思いませんか」
言葉を巧みに操り並べ、
相手を引き込ませるのは、この青年の特意義だ。
博人の諭す様な物言いは、相手を納得させる威力がある。
待たされる身にもなって欲しい。
ずっと婚約者として一人の女性を、ずっと恋い焦がれ待ち続けていた。
彼女が戻るまで待つ気持ちは変わらないけれど、
もう待つばかりは出来ない。
(_____早く、彼女と婚姻を結びたい)
博人は繭子を、上手く言いくるめていく。
博人の誰も真似の出来ない説得力に、
繭子の心は静かに傾きかけ、
週刊誌に乗った自分自身の姿を見ながら思う。
(_____博人の言う事も一律あるわね)
博人の言う通りかも知れない。
こんなに窶れ疲れた表情を見たら、心菜の心も少しは揺るがないだろうか。
流石に罪悪感に蝕まれないだろうか。
自分自身の存在がどれだけ恐ろしいものか、
それだけは18年をかけて、植え付けてきたつもりだ。
理香は威勢を張っているけれど、自分自身には逆らえないだろう。
所詮は、心菜なのだから。
「………そうよね、これを見れば」
繭子には、根拠のない自信があった。
心菜は自分自身だけの操り人形。
絶対に母親である自分自身の存在は無視は出来ないだろう。
心菜には“自分自身の存在しか植え付けていないのだから”。
(…………戻ってきなさいよ、心菜)
繭子は、心の中で嘲笑う。
「森本社長は、何か暴れそうな気がします」
「………それは?」
_____不意に溢れた呟き。
理香は芯のある瞳で、健吾に告げた。
この入院も世間の目を引く為の、演技かも知れない。
なんせ繭子は“華々しい脚光を浴びなければ、生きていけない女”だ。
「それは、何かの前触れかもしれません。
何か暴れ出す前に、その芽を詰んだ方がいいかと」
「その根拠は?」
警戒心を持った理香に、健吾はもう一度尋ねる。
そう尋ねれば理香はやや目を伏せて、悟りを開いた表情を見せた。
「…………認めたくもないですが、娘の勘です。
なんとなく、そんな予感がするんです」
そんな理香に、健吾は告げる。
繭子の事だ。暴れるならば、小さな事では済まされない。
理香が察したのは、前触れそのものかも知れない。
(_____先手を打つのは有りだな)
「身の危険を感じますか?」
「………それは否めません」
今まで奈落に突き落とすならばと色々な手段を講じてきたが、
繭子の方も何をするか分からない。なんせ“自分自身の邪魔者は絶対に消す女”だ。
そろそろ身の危険も構えた方も考えた方が良いかも知れない。
ならば。
健吾は、身を乗り出した。
「では。椎野さんが嫌で無ければ
“森本繭子が娘を虐待していた”という記事を書きましょうか。
もし、この事実を世間に出回れば、森本社長は再起不能に陥る。
森本繭子も、JYUERU MORIMOTOの評判もガタ落ちになります。
…………それは、どうでしょう」
健吾がそう告げた瞬間、理香の表情は固まった。
虐待を受け続けていた事実を、世間に公表する。
それは理香にとっては何処か躊躇うものであった。
繭子の地位を今よりも突き落とすが、
同時に、要は自分自身の過去、森本心菜の過去を晒すという事だ。
「…………」
一瞬、躊躇う。
しかし悪魔が勝手に騒動を起こされたら、堪ったものではない。
それに森本心菜、というワードに振り回されていたら
まだ操り人形として抜け切れていない証拠だ。
(………大丈夫。私は、椎野理香。
森本心菜は死んだ他人の人間だから、関係はないわ)
だから。
何が起こったとしても、平気として居られる。
森本心菜は死んだも同然。森本心菜の事を
今更、騒いだとしても無意味でしかない。
それに、婚約者と結婚させると息を巻いていた女。
この事実が出回れば、結婚のどころの話ではなくなるだろう。
(まだ、苦しめて奈落に落とす甲斐はあるわね)
「…………そうして下さい。お願いします」
「椎野さん。本当にそれで良いんですね?」
「はい。構いません。あの人がどうなっても……」
健吾は理香の表情に秘められた狂気があると感じた。
そうだ。娘を苦しめ続けた女。
自分自身だって地獄に落としたい。
理香は、心の中で嘲笑う。
(まだ解放はしない。
貴女が虚像で積み上げてきたものを全て、ズタズタにして壊してあげる。
貴女が、私をそうしたように……)
全ては、奪って壊す。
再起不能になるまで、手段なんて選びやしない。
あの女が嘆いて泣き叫ぼうが、全ては悪魔の自業自得なのだから。




