第161話・復讐者に繋がれたもの
芳久は、荷物を纏めていた。
今日は退院の日。
手術後。
治療と微かなリハビリに奮闘した。
今まで諦観の境地にいた自分ならば、
手術を受ける事も、ここまで馬力を出すこともなかった。
だが。
(____母さんを殺したのなら)
許さない。
あの、高城英俊___父親という男を。
____数日前。
「……………もし、森本繭子が貴方に対して
何か行動を起こしたら、ご連絡下さい」
「……………分かりました」
健吾の言葉に、理香は頷く。
もし繭子が理香に対して何かしたら、記事にする。
そしてまだ、持っている秘密を打ち明けると、理香は健吾に取り引きを持ちかけた。
「………結局、
情報を受け取る形となってしまいましたね。
すみません。今日は言わないという約束だったのに」
「………気にしないで下さい。私は、白石様に情報を提供する立場ですから」
理香は後ろめたさもなく、
不機嫌でもなくあっさりとしたものだった。
(…………記者と会う以上、情報提供の話になるでしょう)
記者に会うからには、情報提供の話しかないだろう。
初めからそういう条件での付き合いなのだから。
他に話題を探せ、というのは難しい。
不意に
椎野理香の手先に、視線が向いた。
右手の中指に嵌められているのは、シンプルなシルバーリング。
そのシルバーリングを見た瞬間に、
健吾は呆気に取られた。____見覚えがあったからだ。
『君にプロポーズ出来ないならば、
この指輪を、生まれてくる子に上げてほしい』
別れ際に、繭子に渡した代物。
着ける着けないは本人次第だけれど、これを持っていたら我が子だと解るように。
健吾は会えなくとも、これを持っている人間ならば、
自分自身の娘か、息子だと解るようにと。
間違いない。
27年前に渡した、あの指輪。
「………すみません。ひとつ聞いても良いですか?」
「はい?」
少し躊躇った末に、健吾は尋ねた。
「………その指輪は?」
「…………」
そう尋ねてから、
理香は思い出した様に指輪へ視線を向けた。
これは、確か______。
まだ心菜が小学校に上がった頃。
それは、唐突だった。
『いらないから、捨てるわ。
でもあんたにくれてやっても、いいわね』
嘲笑い。
そう呟くと繭子はその代物を、娘に向かって投げ捨てた。
(____母さんが、わたしに?)
例え、ゴミでもいい。
愛情を欲していた自分自身は、
母親からプレゼントを貰ったのかと、錯覚したのか。
投げ捨てたられた代物は
転がり、くるくると少し回って床へ横たわる。
女王に棄てられた、その代物を末路をぼんやりと見詰めた後、ゆっくりと代物に近付いた。
(……………まるで、わたしみたい)
シルバーリングはくすみの無い程、まだ綺麗だ。
試作品だったのだろうか。
その棄てられた代物に、親近感すら抱いた。
繭子にはゴミ同然の扱いを受けていたからか、
なんだか自分自身と重なって見えてずっと大切にしまっていた。
夜逃げ同然に抜け出してからも指輪を持っていて
社会人になってから、証拠として指先に嵌めている。
棄てられてしまったもの同士、一緒に居ようと思った理香の思考だ。
「………幼い頃。母が捨てるから、いらないと。
いらないからくれてやると言われて貰ったものです。
けれど綺麗だから捨てられなくて。
社会人になった証拠に、着けています」
「…………そうですか」
その刹那。
理香は、違和感に晒された。
(……………どうして、自分自身の事を語っているの?)
絶望してから人間不信となり、心開けなくなった。
誰にも心を開かず、土足で踏み入られたくもないのに。
尋ねられたとは言え、何故リーク情報以外の事を話していたのか。
それは分からない。
健吾の中で、益々疑念が確信に変わっていった。
繭子は約束通り、子供に指輪を渡したのか。
現に椎野理香は、自分自身が渡した指輪を着けている。
否定しようにも、否定出来ない。
ならば、きっと………。
総合病院前の柱にもたれかかっている。
理香は、病院から出てくる青年を待っていた。
広いオープンな駐車場には、様々な車が行き交う。
乗用車、黒いリムジン、赤いワゴン車。
それらをぼんやりと見詰めて、理香は目を伏せてため息をひとつ。
手術は成功した。
今日は青年の退院の日。
これからは通院で経過を見ながら、治療をという方針に切り替わったらしい。
(…………大丈夫、かしら)
治療だけに専念してほしいのだが
諦観の彼は父親に対する復讐心を抱いてしまった。
彼はどんなやり方で復讐を遂げてしまうのか、また重荷を背負うのか。
そう思い、柱に背を預けた時
見覚えのあるワインレッドの車が、自分自身の横を横切った。
怪しいと思い、視線を向ける。
ワインレッドのオープンカー。
それには痛い程に見覚えがあった。
運転席から颯爽と出てきた青年は高等座席を開けて、
中にいた女性をしっかりと抱き抱えている。
理香は目を見開いた。
あの青年は、心菜の婚約者の青年の筈だ。
抱き抱えられている繭子は、ぐったりとしている。
へたりと落ちた腕。
苦悶を浮かべた苦しそうな表情。
娘の婚約者に抱えられて、病院へと消えて行った悪魔。
何故、繭子が病院に運ばれている?
そんな疑問を抱えながら。
きっとあの繭子の姿を見て、嘲笑った自分自身がいるのは否めない。
どうしたのか。
理香は呆然としたまま、立ち尽くしていたが。
「理香」
凛と聞き慣れた声が聞こえて、振り向く。
其処にはボストンバックを持った、スーツ姿の青年が立っていた。
繭子が気になったが、青年を無視は出来ない。
「……………」
理香は、呆然と歩み寄る。
パジャマ姿の青年を見慣れつつあったからか
スーツ姿の青年は新鮮の様に感じた。
「………芳久」
「どうした? そんな驚いた顔をして?」
「………大丈夫?」
心配そうに尋ねる理香に、芳久は微笑んでみせた。
もう手術も終えたのに、心配そうにする彼女の癖は抜けていない。
「大丈夫だよ。平気だから」
「…………そう。良かった、無事に終わって」
理香は、微笑んだ。
「だから安心しろ。
俺はまた、協力者としても復讐者としても生きるから」
芳久の言葉に、理香は静かに頷いた。




