第160話・婚約者の一面
「あああああああ__________!!!」
リビングには、繭子の癇癪と絶叫が響く。
クヤシイ。
ヤルセナイ。
ユルセナイ。
「………どうしてあんたは逆らうばかりなの。
なんであたしの期待に何一つ、答えてくれないのよ………!!」
どうして、心菜は逆らうばかりなのだろう。
自分自身の思い描く正しい道に乗らないのだろう。
憎悪が走る思いで、繭子は拳を硬く握り締め、睨む。
佳代子ばかりに似た娘が憎らしくて仕方がない。
怒りに震える繭子だが、
リビングに誰かが来た気配がして視線を向ける。
スーツ姿の、完璧な装いをした男性が心配そうに立っている。
______尾嶋博人だ。
「………社長、何処か痛いところでも?
大丈夫………ですか…………?」
心配そうに、繭子に尋ねる。
心菜の憎しみは納まらないが、繭子は開き直った顔をして、博人へ視線を向けた。
「来ていたのね、
ごめんなさいね、見苦しい所を見せて」
「……それは構いません。社長が大丈夫なら…………」
(……………この子は逃がさない)
よく考えれば、
自分自身に素直に従っていたのは博人しかいなかったのかも知れない。
この自分自身のお気に入りである忠犬と、娘を結び付けたい。
何としてでも。
「………どうしたの?」
繭子は。問う。
博人は余所余所しく、何処か気不味く伏せ目がちであった。
やはり絶叫を聞かれてしまったのは不味かったか。
伏せ目がちであった博人は、思い口を開いた。
「………社長、一つお尋ねしても宜しいですか?」
「なに?」
(…………もしかして)
「さっき、女性が居ましたよね。
社長と喧嘩していた。もしかしてあの人が、社長の娘様……
心菜さんですか?」
博人は全て見ていた。
繭子が嘆く姿も、女性が冷めた声で告げる姿も。
何事だろうかと息を潜めて一部始終見ていたけれど
その表情は冷酷非道で、博人にとって受け入れがたいものだった。
知り合いの社長に、あんな冷たい言葉を吐くとは。
あの姿は椎野理香だった。
椎野理香は社長と交流のある女性としか聞いていない。
それに心菜とも似ても似つかない存在で、博人は半信半疑だった。
さっきの女性が、心菜ならば……。
心臓の不音が自棄に煩い。
沈黙がこんなにも重たく、煩わしいと感じたのは
久しぶりだった。
「______そうよ」
繭子の言葉はまるで
博人の脳裏に金槌が落ちる衝撃だった。
(_______どうして)
椎野理香が、森本心菜?
社長とも、心菜とも似ても似つかない椎野理香が、
本物の森本心菜だったとは。
ずっと待っていた。
待ち焦がれていた。
けれど、あんな母親に毒を吐いて
平然と立ち去った女が、自分自身の婚約者だったなんて。
博人は引いている。
難病を抱えた弟に、両親や自分自身は温かく見守り支えてきた。
例え、辛い境遇だとしても優しい家庭で育ってきた自分自身には、
親や誰かに冷や水の様な冷たい言葉を浴びせる人間は初めて見た。
______信じられない、というべきか。
心菜が、母親に対して
あんな冷たい人物だなんて思いたくない。
あんな冷たい言葉を気安く吐ける人間だなんて、思うと尚更。
「大丈夫よ。
貴方は婚約者なのだから、堂々としていなさい。
心菜はまだ、心の整理が付いていないのよ。
心菜が理解出来たら、貴方と結婚する。
説得まで、もう少し時間を頂戴ね」
「………はい」
(………そうだ。僕の存在と
結婚の整理がついていないだけなんだ)
兼ねてから結婚を知っていた自分自身と
結婚すると知った心菜はまだ心の準備が出来ていないだけなのだろう。
彼女の戸惑う気持ちも分かる。
かなりのショックもあったが、
恋い焦がれて待っていた感情の方が、勝っている。
そうだ。心菜は優しい子なのだから、あれも本心では無かろう。
長らく待ち焦がれていた、愛情によって
博人はそんな錯覚さえ抱く様になってしまっていた。
博人は、そう呟いた。
あの光景は嘘。夢だと思い込みながら。




