第158話・娘の疑惑
「芳久の言った通りだった」
「………お疲れ様。どうだった?」
芳久の傍らの椅子に
座る理香は疲れ切った表情をしていた。
見るからに修羅場をくぐり抜けて来たのは解る。
理香は、付せ目がちな瞳で、語り始めた。
「こっそり、あの人の家に行ったの。
様子を見て帰ろうとしたんだけれど、先に小野親子がいたわ」
「………小野って、理香の父親と異母姉だと疑惑が出た人達?」
理香は静かに頷く。
あの日。外から様子を見て帰る予定だった。
けれど森本邸の外装は異様で、理香は見て目を疑った。
いつも森本邸の外装は綺麗に完璧な筈だった。
だが。
押せない程にボタンが窪んだインターホン。
土台が壊され傾き、機能を失った門扉。
家の外から十分に聞こえる大きな怒号。
(…………この声は……)
何故か入ったのかは、不明だけれど
その怒号の声は何処か聞いた覚えがあるもので、何事があったのかと、興味本位で森本邸に入った。
小野千尋が、鬼の形相で繭子を蹴り続け
理香の首を締め上げていた。
顔付きと形相からして、千尋が正気を失い
狂気に満ちて狂っていたのは、言うまでもなく理香は気付いていた。
順一郎はびびって腰を抜かし、
発狂し暴れる娘を押さえるのに、手一杯だったらしい。
理香は悟った。
千尋が父親の不倫を、不倫相手を知ってしまい
繭子との間には娘が居て、耐えられなくなったのだろう。
「……大変だったね。大丈夫?」
「……私は平気。こんな事を言うのは不謹慎だろうけど
寧ろ、あの人が痛め付けられる所を見て、精々してた」
「…………」
相手は母親。
けれど理香は心底、繭子を憎み続けている。
普通ではないだろう。けれど彼女の心情を悟れば理解出来た。
「………それと、」
理香は、決定的な言葉を言った。
「あの人、小野を私の父親だと思い込んでいるみたいなの」
「………え」
芳久は、呆気に取られてしまう。
「………でも、理香の父親も選んだって。けれど
鑑定の結果は違ったよね?」
「……そうよ。あの人は私の父親じゃないわ、でも…」
DNA鑑定の結果は白。
けれど、繭子は理香を「愛人の娘」だと叫んでいた。
繭子は間違いなく順一郎の娘だと思い込んでいる。
だが、結果は違う。
(………父親を、間違えた?)
そうとしか思えない。
完璧に把握している、と繭子は豪語していたけれど
実際には違うのだから。
だとしたら順一郎の娘ではないと思えば、他に繭子の傍には誰かがいたのか。
自分の父親は、誰だ?
窶れ切った面持ちと、気分を抱えながら
男は調べ上げた森本繭子の娘の、情報に手を伸ばした。
独自に調べた椎野理香の情報。
気怠く見詰めていると
はらりと花弁の様に、一枚の写真が舞い落ちた。
健吾はそれを拾い上げると、頬杖を着きつつ、
(_____ひとつも、似てないな)
履歴書用に、撮された写真。
凛としつつも、何処か物憂げな雰囲気を持った女性が写っている。
健吾にも繭子にも、彼女はひとつも似ていない。
娘ではないかと疑惑を浮かべてから
180℃ 見る目が変わってしまった。
最初は疑い程度だけれど、
森本心菜の戸籍謄本の
両親の欄には、母親しか記載されていなかった。
別れた日に既に子供が居たとしたら、理香と同じ年齢だろう。
否定する事項がない。
(______けれど、何故あれ程に母親を憎む?)
母親である繭子と二人暮らし。
才色兼備の優等生な娘だったらしい。
けれど表向きはそうでも、母娘の内情は知らない。
繭子と何かあったのか。
(______だとしたら全ては、俺の責任だ)
椎野理香__森本心菜の父親が、自分だとしたら
何も出来なかった自分の責任だろう。
身籠った繭子を止める事も
娘の父親として、何ひとつ責任を果たす事も出来なかった。
娘の成長を見る事も、見守る事も出来なかったのだから。
(_____ごめんな)
健吾は理香の写真を見ながら、謝り続けた。
「ぎゃあああ____!!!」
森本邸では家主の、女帝の悲鳴が響く。
何故ならば、リビングには椎野理香が仁王立ちで
家に居座っていたのだから。
まるで、魔物でも見たかの様な繭子の表情と態度とは
反し理香の表情と態度は冷めている。
「……貴女は、いつも大袈裟ね」
興味本位で動いているのだと実感する。
別に母親という悪魔の女は、どうでも良いけれど
あの女の末路を見、嘲笑いたい。
修理する暇がないのか、
門扉やインターホンは壊れたままだった。
不法行為だとは実感していたが、合鍵を返す序でに
悪魔の女の様子を、見て帰ろうと思い待っていた。
「………また、騒ぎでも起こす気?」
理香はふっと微笑う。
「何しに来たのよ!」
「合鍵を返しに来たのよ。私には要らないものだから
会社は出禁だから、此所で待っていたの」
ちゃらりと
合鍵を見せてから、理香はテーブルに置く。
繭子は険しい表情のままだ。
「どう? 不倫相手の娘に、
不倫がバレて暴れられて、惨めに晒された感想は?」
けせらせらと
理香は嘲笑いながら、弄ぶかのように呟く。
何時からこんな表情を見せる様になったのか。
繭子は腹立たしい思いを感じながら叫んだ。
「それが何よ!」
「貴女にとっては不都合でしょうね。
バレてしまったんだものね、バレないと思ってた?」
理香の表情は変わらない。
だから読めないのだ。理香が何を考えているのか。
惨めさと屈辱に晒された。あの気分を蒸し返されて、繭子は、むっとした。
(_____あんたに、何の権利があるって言うのよ)
「関係のない他人の様な顔をして。
言った筈よ。あの人はあんたの父親、姉なのよ?」
「……………」
理香は、絶句する。
否。“ふり”をしていた。繭子は単純だからこの程度で
ころっと騙されてしまう。
(______間違ってままの思い込みって、恥だわ)
やはり繭子は、
理香の父親を順一郎だと思い込んでいるようだ。
「………そう。
でも、今まで交流もなかったのよ。
今更、父親だと言われても何の感情も湧かないわ。
私にとっては、どうでもいい人よ。
父親も、貴女も。
じゃあ。
合鍵を返しに来ただけだから、失礼するわ」
理香はそう呟いた。
無関係に人間かな、何の感情も湧かない。
それに隔絶されて生きてきたのだから、今更どう思う等、無理だ。
(…………関係ない。あんたとあたしが?)
繭子は、苛立った。
関係ないなんて言わせない。
「…………待ちなさいよ」
ドスの効いた声で、繭子は呟く。
しかし距離を置いて帰ろうとしていた理香は、振り返らず足を止めたままだった。
「関係ないですって?
どの口が言えるの? あんたとあたしは親子よ?
何の為にあたしが、能無しのあんたを産んだと思っているの?
あたしの娘である以上、
娘としての役割は果たして貰うわ」
(…………私は、道具としか思われていないみたいね)
開き直るべきか、悲しむべきか、嘲笑うべきか。
繭子の勝手な言い分に理香は嘲笑い、告げる。
「………もう絶縁したも同然じゃない?
会社からも追い出した癖に、まだ何を求めるというの?」
「あたしの望むモノ、全てよ。あんたには果たして貰わないと…。
その為にあんたは生んだの」
繭子の表情は、悪魔そのものだった。
そうだ。欲望の為に、自分の人生計画の為に、心菜を産んだに過ぎない。
「博人と、結婚しなさい。決まっている事よ。
あんたがいくら嫌がっても、結婚させるわ。必ずね」
博人、尾嶋博人。確か婚約者だったか。
繭子の秘めた狂気に、理香はドン引きしていた。




