第157話・令嬢の暴走、復讐者の父親
「………心菜」
森本 心菜。
森本繭子で行方不明と言われた、娘。
順一郎にとっては娘、千尋にとっては異母妹だ。
けれど。
何故、椎野理香が「心菜」と呼ばれているのか。
椎野理香と森本心菜は似ても似つかない他人の筈で……。
「_____あんたが、心菜だったの……?」
千尋は呟く。
似ても似つかないが、昔、遊び人形の様に
虐めていた相手の顔と目の前にいる椎野理香の顔が掠った。
こいつが、異母妹。
妻子を捨てる程に父親を虜にした女の娘。
「あんたあああああ______!!!!」
今の千尋に理性も、正気もなかった。
千尋は順一郎の腕の中から出ると、理香を押し倒して壁に張り付ける。
そして、
「………う……っ……」
苦しい。息が出来ない。
まるで、絞め縄で絞められている様に思う。
それもその筈だ。理香の白く細い首を、千尋が締め上げていた。
正気を失った血走った瞳。
鬼が憑依したかの様な般若の形相。
あの頃と何も変わらないけれど、こんな表情は尋常じゃない。
(………正気じゃない)
寄り一層に力が込められている。
全力で込められた力に、呼吸が締め上げられ
理香は千尋の手首に手を添えながら、耐えていた。
「あんた、やっぱり女狐の娘ね。
知ってる?あんたの母親が、パパを誘惑して、
あんたが、生まれたの!
穢れた子!愛人の娘!」
(_____違う。私は、あの人とは違う……)
首を絞め上げられている中でも、理香の頭は冷静だった。
自分自身は順一郎の娘ではない。繭子と一緒にしないで欲しい。
あんな悪魔と一緒になんて、されたくない。
(…………虫酸が走る……)
腹から湧き出た不快な感覚。
けれど正気を失っている相手に何を呟いても、届かないだろう。
千尋はあははと笑い、狂気に満ちた表情を浮かべていた。
理香の苦しみに歪んだを見れば、あの頃の爽快感すら
覚えた。
「やめるんだ!」
順一郎が駆け寄り、
千尋と理香を引き剥がそうとするが、
憎悪の籠った手は中々、離れない。
だが、ようやく順一郎は、千尋と理香を引き剥がした。
千尋は狂気に狂った嘲笑いを浮かべ、理香は地に落ちて、胸に手を当てながら呼吸を繰り返している。
繭子には、似ても似つかない。
そんな彼女が………。
「………君が、娘………心菜…なのか」
順一郎は、ぽつりと呟く。
(_____そうよ。
貴方の思い込みだけなら、私は貴方の娘になる……)
首を締め上げられても、理香の姿勢も思考も変わらない。
順一郎は心菜を娘だと思い込んでいる。だから、
繭子に激しく着きまとって、娘は何処だと気にしていたらしい。
理香はまだ上手く呼吸出来ていないせいか、
時折に咳き込みながら、俯いている。
その長い髪が紗の様で表情は見えない。
「……なあ、繭子。
この人が俺達の娘なのか? 心菜なのか?」
「…………」
「答えてくれ!」
何も言わない繭子。
順一郎の叫びだけが、静寂と狂気に狂い咲いたリビングに響く。
千尋からの張り手と蹴られ続けた痛みから、繭子は顔をしかめていたが、軈て。
「………そうよ。心菜は間違いなく貴方の娘よ」
切ない顔で、そう呟く繭子。
「……………」
「…………(!?)」
場に沈黙が流れる。
順一郎は驚き、千尋は憎悪が溢れ出す。
しかし、理香は呆気に取られて呆然としていた。
(………何を言ってるの?)
自分自身は、
千尋と姉妹でもなければ、順一郎の娘でもない。
DNA鑑定が明らかにしたものがあるのだから、それだけは違う。
けれど。
切ない表情で言う繭子は、真剣のようだった。
理香は呆れて居たが、やがて悟る。
(………だから)
繭子自身も順一郎が
心菜の父親だと思っているのだ。
本当ではない事実を正しい事だと思い込んで生きて来ている。
だから。
自分自身は、愛人の子供だと教えられてきたのか。
繭子の中での自分自身は、“順一郎の娘”だから。
本当は違うのに。
(………馬鹿な人)
ようやく呼吸も落ち着き、理香は立ち上がる。
千尋からは睨まれ、順一郎からは切ない表情で
見詰められているが、それすらも理香は無視をした。
(他人の父娘の茶番劇に付き合っている暇はない)
他人に、そんな目で見詰められても
理香には論外で関係のない話だ。
「……もう遅いですし、お帰りになってはどうですか。
此処ではなくまた話し合いの場を設けられたら、どうでしょう。
お互い、時間を要する事だと。
………そして、私にも時間を下さい」
理香は諭す様に、だが何処か疲れた面持ちで言う。
敢えて順一郎が父親ではないと、否定はしていない。
順一郎も理解した素振りを見せて、
「………千尋。帰ろう。
ママが心配している。大丈夫。パパが傍に居るから」
「……………パパ……」
順一郎はジャケットを
パジャマ姿の娘に上掛けとして掛ける。
千尋の心に父親の温もりが宿り、冷静さを取り戻した。
「娘が済まない事をした。申し訳ない」
順一郎は、理香と繭子にそう言い頭を下げると
娘の肩を抱いてそのまま、森本邸から消えた。
小野親子が去って森本邸のリビングには
何とも言えない不穏な空気が流れている。
繭子は、痛みからか
まだ座り込んだまま動かないが
頬は腫れ上がり、髪はぼさぼさとなり、服も乱れている。
この人間を、誰が『ジュエリー界の女王』と連想するだろうか。
(ヒーロに負けた悪魔みたいね)
理香は、そう心の中で嘲笑う。
溜め息を一つ着いた後で、理香は髪を手櫛で整えながら元に戻す。
「相手の家族に、貴女と私の存在が
バレて娘が発狂しにきた………という事で、良いかしら?」
冷静に理香が言うと、繭子は睨む。
「哀れね。
救いようが無い程、貴女は哀れよ」
理香は、しっかりと告げる。
「虚像が威勢を張っても、所詮は虚像。いつかは崩れ去るわ」
「あんただって、愛人の娘の癖に!」
繭子は叫んだ。けれど理香は動じない。
これは悪魔が思い込んでいるだけだ。
「………それは、人に言える事かしら。
“貴女“もそうじゃなかったの?」
「…………!」
佳代子の日記に記した回想が正しいならば
繭子自身も母親が、仕組んだ上で産んだ愛人の娘。
人の事をどうのこう言っている立場ではない。
それに、理香は“愛人の娘”ではないのだから。
「なんで、あんたが、知ってるの……?」
「其所まで動揺しているのなら本当ね? 娘だった人間が母親の秘密を知って何が悪いのかしら?」
「…………っ」
繭子は、歯軋りをひとつ。
まさか心菜が、自分自身の生い立ちを知っていたなんて。
かっと頭に血が昇り、繭子は声を荒げた。
「あんただってそうよ! あんたは順一郎の娘。
愛人の娘なの。あの人があんたの父親よ!」
「………………」
理香の心に佇むのは、無情。
理香は苦しんだ分、知ってしまった。自分自身は順一郎の娘ではないと。
けれど繭子の言い分に、理香は悟り思う。
(____本当に私の父親を、
あの人だと思い込んでいるのね)
何があったかは、知らない。
けれど繭子のその思い込み_____心菜の父親が、小野順一郎である事は誤解だ。




