第150話・誰も知らない復讐者の謎
森本心菜が、自分の娘_____?
健吾はそれだけでも、衝撃を受けて腰を抜かした。
繭子の妊娠は、嘘。
単なる気を引き付ける為の出任せ。
けれど彼女の配偶者や父親の娘の存在はない。
一度は否定したが、冷静に考えてみる。
だが反対に考えてみれば
心菜の年齢と、繭子が妊娠した時期は完全に一致する。
26年前。
別れ話があったあの時には既に……。
(_____だったら、繭子は………)
別れを切り出されたあの日。
嘘ではなく、本当に繭子は身籠っていた。
あの時には既に心菜が居て、自分の娘を産んでいた事になる。
もしも自分自身が心菜の父親ならば、
繭子はずっと未婚者で、独り身を貫いている。
彼女に配偶者がいないのも、娘の父親がいないのも納得出来た。
確定した事ではない。
けれど。いないと思い込んで生きてきた子供は……。
(…………子供は本当に居て、生まれて生きていたのか?)
世の中は広いようで狭い。
まさか、自分自身の娘かも知れない人間に出逢うなんて。
穏やかな雰囲気。
西洋風の教会の頂点に立った十字架。
此処だけは何故か、穏やかに時が流れているのは気のせいか。
「母さん、兄さん。俺ももうすぐそちらに行くよ」
それぞれ種類の違う花束を、
それぞれの墓に差し出し置きながら、青年は穏やかに呟く。
“もうすぐ、そちらに行く”。
それは言葉の通りだ。
芳久は脳腫瘍を抱え、死を待っている。
母親と兄の元に行くのも、もう時間の問題だろう。
喪服に身を包み、
母親と兄の墓の前に佇む端正な顔立ちの青年の
その姿はまるで、モデルのようだった。
当然、何も答えが返ってこないはこないけれど
二人ならなんと言うのだろうか。
カフェを出てからどうしようかと、理香は少し悩む。
たまには気晴らしにショッピングモールでも行こうか、それとも家に帰るか。
どうしてしまおうか、とうろうろとしていた時。
ふと、向けた視線の先に目が止まる。
理香の視線の先にあるのは、西洋式の墓地。
それは、 何処か神秘的な墓地だった。
今時には珍しく風景画から切り取りそのまま体を現した様に見える。
暫くぼんやりと見詰めた内に、また前を向いて歩き出した。
前へ足を踏み出した瞬間。
理香は、ふと足を止めた。
「…………」
西洋式の墓地から出てきたのは、
長身瘦駆の、端正な顔立ちの青年。
体は大丈夫なのだろうか。少し窶れて痩せた姿に、病状は進んでいるのだと悟った。
まるで、葬儀に参列するかの如く喪服姿。
「…………芳久?」
そう呟くと、相手は儚く穏やかな表情を浮かべた。
淡い紫色が混ざった夕暮れ時。
墓地を後にして少し距離を置いて、並んで歩いていた。
街中から少し離れた墓地の裏道の並木通りには、車通りもなく人一人いない。
「実母さんと実兄さんがいるお墓なんだ」
「………そう」
帰り道。
二人並んで歩きながら、芳久は言った。
母親の月命日と、兄の月命日には必ず彼はこの墓地に足を運んでいるらしい。
芳久の実兄と実母が亡くなったのは耳にしていたが
律儀に彼が墓参りしている姿を見るのは初めてだった。
「でも」
「………?」
「こうして、墓参りに行くのもあと少しだろうな」
「………………」
理香はある意味、絶句していた。
芳久は手術を拒否し、死が訪れるのを待っている。
“墓参りに行くのもあと少し”という言葉も、きっと。
「………母さんと、兄さんに報告してきたんだ。
…………もうすぐそちらに行くって」
「…………………」
理香は無言。
並んで歩きながらも、やや俯いた。
芳久は死を恐れもせずに、ただ待っている。
という事は、芳久と過ごすのもあと少しだ。
芳久はちらりと後ろを振り返る。
母親と兄のいる、西洋式の墓地がある場所。
その振り返った背中が、何処か儚く今にも消えそうだ。
(_____当たり前、なんて贅沢な日々を過ごしていたのね)
彼は、力になってくれた。
他人の復讐なんぞに嫌な顔を一つもせずに、ずっと。
青年が居なくなってしまうのも時期に来てしまうだろうに。
「…………天罰だと思ってるんだ」
「………え?」
ぽつりと呟いた芳久に、首を傾ける理香。
「………母さんは、父さんの重圧で俺を苦しんできた。
兄さんは、高城の後継ぎになる様にプレッシャーにもひたすら耐えてきたんだ。
俺は、どうなっても良い存在だったけど
ある意味、自由な立場に居たんだと思う。そんな俺に天罰が下ったんだよ」
けせらせらと自分自身を自嘲する様に。
物言いはあっさりとしているけれど、中身は何処か切なくなる話だ。
「………あちらに行ったら、怒られるだろうなあ。
母さんと兄さんに合わせる顔が無いんだ。
俺は、二人を困らせてばかりいたから」
(………………全部、俺のせいだ)
しょんぼりとした子犬の様に芳久は項垂れる様に歩く。
合わせる顔が無い。ずっと重荷を背負ってきた二人に。
そんな芳久が益々儚く伺えて、理香は目を伏せる。
ずっと高城家の重圧から耐えてきた。
もうすぐ高城家からの重圧から解放されて、母親と兄の元に行く。
隣を歩いていた理香は、ぼんやりと呟く。
「………天罰なんかじゃない。
貴方は一つも悪いことをしていないもの。
誠実に生きてきた人よ。そんな人に天罰は当たりはしないわ、きっと」
何の罪もない命を奪うのなら、
罪のある人間に、制裁を下してはならないか。
あの悪魔の様に。或いは、悪魔の娘である自分自身に。




