第148話・止まぬ憎しみ
腹にいた頃は、それほどではなかった。
寧ろ愛しいとさえ思う程、自分自身の思い通りになる人形が出来ると思うだけで笑みが溢れた。
『あなたは、あたしだけのものよ』
『あたしの言う事だけを聞いて過ごせばいいの』
悪魔は愛しそうに腹を撫でて
己の腹の中にいる子供に、そう語りかけた。
嗚呼、自分だけの人形。それがもう少しで手に入る。
だが。
繭子が我が子に愛しさを抱いたのは
十月十日、己の腹に居た頃だけであった。
長い10ヶ月、短くもあった10ヶ月。
“たった10ヶ月だけ”。
「かわいい、女の子ですよ」
「……………」
生まれたばかりの子供______娘の顔を見た瞬間に、
その思いは、愛しさは打ち砕かれた。
その顔は自分には微塵も似ておらず、代わりに______。
佳代子に、そっくりな心菜。
その面持ち、身を動かすだけで腸が煮え繰り返って堪らない。
指先からの優雅な振る舞い、全てが全て佳代子にそっくりなのだから。
佳代子の面持ちが、視線が絡むだけで憎しみが湧く。
手が出そうになる。手を上げてしまいたかった。
もし、
手を上げて頬を叩けば、
心菜はどんな表情を見せるのだろう。
その髪を引っ張ってみれば、彼女はどんな反応を見せるのだろう。
「ごめんなさい………お母さん……」
貧弱な、か弱い少女の声音が、弱く響く。
繭子は本能に逆らえず、いよいよ手を出してしまった。
気付いた時には
思いのままに、手を上げ出していた。
バシンと大きく乾いた音が、響く。
叩くならば、傷を付けるのならばどの箇所でもいい。
近寄ってきた娘を払うかの様に、繭子は心菜の頬を叩いていた。
小さな体は叩かれた勢いで投げ出され、
棄てられた人形の様に床に転がって、壁にぶち当たる。
(_____キモチワルイ……)
母親から打たれた頬、壁にぶち当たった体。
内側から、燃え上がる炎の如く沸いた痛み。
痛みを感じた刹那、口の中に鉄錆の、不快な味が広がる。
母親から受けた衝撃という名の
痛みに痛みに耐えながら、絶え絶えに息をしている。
『なんで、アイツにそっくりなの!?
なんで一つもあたしに似てないの!?』
『………………』
床に転がり、うつ伏せになった少女は動かない。
表情は見えない。けれど、小さな体は微かに震えていた。
(憎たらしい、憎たらしい)
生まれた娘は、
母親である繭子にも、父親にも一つも似ていない。
両親に顔立ちも性格も似ていない実娘に、怒りを覚えた訳ではない。
ただ。
ただ心菜は繊細な所まで佳代子に似ていて、
繭子は憎悪に駈られて休まる暇などなかった。
その感情を忘れてしまいたい。
まごつく、この佳代子に似た小娘を痛め付けてしまいたい。
一瞬躊躇ったが、行動に出てしまえば心は軽くなる。
その憎悪は、心菜を傷付ける事によって、楽になった気がする。
(_____そうよ。苦しめばいいのよ、あんたが悪いんだから)
佳代子の面を被って生まれた娘。
お前が悪いのだから。
『あんたにあたしを恨む権利はないのよ。
恨むなら自分自身を恨みなさい、あんたが悪いんだから』
(________あたしは、悪くない)
心菜が悪いのだ。
憎い佳代子の面を持って生まれてきたのだから。
自分は悪くない。自分を知らず知らずの内に屈辱に晒した異父姉が悪いのだから。
家では、奴隷の様に娘を扱い、
佳代子の憎悪を、心菜で晴らしていたある日。
それは、心菜が幼稚園に登園した日の事だった。
『心菜ちゃん、これ、どうしたの?』
保育士は心配そうな面持ちと伺う様な声音で尋ねた。
彼女の視線はある一点に止まっている。
それは、心菜の腕。
白く滑らかな腕に浮かび上がった、赤柴の痣。
元から肌白のせいか、それは余計に目立っていた。
園まで送りに来、娘の傍に居た繭子は、女性保育士の視線に、その痣にぎょっとした。
心辺りがある。
それは先日、繭子が心菜を叩いた箇所だった。
膨れ上がった痣になり、保育士の目に止まってしまうとは。
今の時代は、子供の些細な傷や痣には鋭い。
小さな事でも気にして大事にしてしまう。
(…………不味いわ)
身体的な虐待を
疑われてしまえば自分の華やかな女社長の地位は危うくなる。
初めて繭子は自分の身に起こるであろう危機感を覚えた。
繭子は咄嗟に朗らかな母親を装い、
『あら。
これは、この子が家の何処かで打ってしまったんです。この子はのんびりしているから』
そうですか、と保育士は言う。
心菜は伺う様な眼差しで、母親を見る。
内心娘を睨み着けながら、相手を言いくるめるとほっとした。
このままでは、駄目だ。
虐待を疑われてしまえば、終わってしまう。
けれど、心菜を静かに見ている等は耐えられない。
(……………相手に分からない様に、やれば)
そうだ。
バレなければ良い。
バレなければ、心菜を虐められる。
(………止められないのよ。
貴女を苦しめないと、あたしは生きていけない)
繭子はバレない様に、精神的虐待に切り替えた。
家庭内で、言葉で虐めるだけならば、他人にバレはしない。
心菜を虐める事は
まるで佳代子を虐めている様で、繭子にとっては何よりも変えがたい快楽だ。
一度覚えた快感は止められない。
佳代子に似た娘が、楽に生きるのも許せずに腹が立つ。
心菜を虐める事は
弱り切った佳代子を見ている様で、精々し晴れた、
何とも言えない感情が沸いて、嘲笑いたくなる。
憎らしい。
憎らしい我が娘。
憎らしかった、あの異父姉。




