第147話・実娘が持つ切り札
和やかな雰囲気に包まれた、
緩やかな昼下がりのカフェは活気付いている。
しかし人目には付かない、奥の席では無関係だ。
人目に付かない席で、
記者と復讐者が、深く話し込んでいる。
健吾が絶句しているのを、理香は気付いていた。
森本繭子の娘が、目の前に存在しているのだから。
「………本当ですか」
「はい」
理香は微笑を浮かべている。
“森本繭子の娘”と悟った瞬間、健吾の中で静かに
憎悪の炎が燃える。
(____繭子の、娘)
目の前の女___椎野理香は
自分自身を裏切り棄てた憎き女の娘だ。
次第に単なる森本繭子のリーク情報を運んでくる、謎の女性から見る目が変わってしまう。
自分と別れた後、繭子は子供を作ったのか。
にしては繭子と一つも似ている所はなく
佳代子に似過ぎているせいで、告げられるまで解りやしなかった。
「………森本繭子の裏の情報を知っていたんですか。
娘だから。ですが、何故貴女は名前が違うのですか?」
「………母とは12年前に絶縁しました。
名前が違うのは、事情がありまして」
健吾は言葉が浮かばない。
椎野理香は孤児で、苦労と孤独を隣り合わせにして生きてきた人間の筈だ。
経歴さえも不明だった彼女の正体が、まさか森本繭子の娘だったとは。
何故だろう?
絶縁したと言っているから、そうなるまで
恐らく様々な紆余曲折があったのだろう。
だが、名前を変え経歴も偽っているのは複雑化した何かがある筈だ。
母親にすら、明かしたくはない。
「最初から思っていたんです。
母の名誉が恨めしかった。全ては偽りなのに
世間は母の華々しい姿しか知らないんですから
いつかは、黒い事情を明かそうと思っていたんです」
強い芯のある瞳。
けれどその凛とした表情には、淀みは全くなく
椎野理香は何処か、毒味を含んだ憎しみの表情をしている。
たった一人の母親を奈落に突き落とした罪悪感や後ろめたさ、後悔は微塵もない様子だった。
(何故だ?)
長年の記者として癖なのか、
椎野理香の表情を見て悟った瞬間に、
相手の素性を知りたいという好奇心に掻き立てられていく。
森本繭子の娘、森本佳代子の姪というなら、尚の更。
(この女性は、森本繭子の元でどう過ごしてきた?)
あの憎い女の娘。
憎い女の元で育った娘を知りたい。
「ところで、
貴女は森本繭子さんと二人で暮らしてきたとお聞きしたのですが」
「………はい」
「ずっとお二人で? お父様は?」
その瞬間、理香の表情がぴたり、と止まる。
何時か白石が言っていた。記者は“人の内情を暴き、其処に土足で踏み込む生き物であり職種”だと。
いよいよ、母娘の領域に踏み込んできたか。
理香にとって繭子のとの暮らしていた日々や、
内情を聞かれるのは、あまり宜しくはない。
或いは困ると言うべきか。
どう伝えればいいのか分からないのだ。
虐待を受け続けて過ごしていた、
なんて言うのは容易いが、一番に父親の事を聞かれては返答に困るのだ。
第一、理香は実の父親の事を何も知らない。
大人になり気になって、戸籍謄本を調べて見たが
両親の欄には母親の名前しか書かれていなかった。
父親は誰なのか。
母親からの暴言で
自分自身は愛人の娘と言われて信じ込まされていたが、
それは見事に否定されてしまった今、自分自身が
誰の娘なのかは、自分自身の秘密は闇の中にいるままだ。
けれど。
だいぶ、話がずれてしまった気がする。
白石記者が聞きたかったのは、自分の素性だけだったのだろうか。
(………少し喋り過ぎてしまったわね)
理香は内心、何処かでそう思う。
自分の素性の明かすつもりなんてなかったのに。
だが、全ては計算の内だ。
わざと森本繭子の娘だと告げた。
理香が“今”、明かすのは森本繭子の娘、それまでだ。
伺える限り、白石記者も森本繭子を良くは思っていない様子で。
「白石さんも、
あの社長の事を“良くは思っていない”のですよね」
「………はい」
話を反らさなければ。
このままでは、森本繭子との過去まで踏み込まれてしまう。
今の理香にそれらを、話す気は全くない。
「______仰る通り
私は、森本社長の情報を知っています。
一番、母の事を近くで見て来ました。そして
まだ世間には知られていない森本社長の事実があります」
健吾は息を飲む。
娘だからと母親の全てを知っている様だ。
まだ世間には出ていないものを、切り札を椎野理香は知っている。
「_____これが明らかになれば、森本社長は終わりです」
理香は、黒い毒味を含んだ微笑を浮かべた。
森本佳代子と生き写しの様だが、その佳代子と全く同じ___
凛として柔な顔立ちから浮かべられる毒味のある面持ちに、何処かでぞっとする。
そうだ。
理香は、森本繭子の誰も知らない事実をまだ知っている。
決して明かされる事のない、あの悪魔がしてきた行いや秘密を。
「まだお話は出来ません。
森本社長がなんらかのアクションを起こした際に
白石さんにお話をするつもりです。
森本社長の情報をお話する事は約束致します。
森本社長の評価が落ちてしまう事、それは白石さんに
とっても、好都合ではないですか?」
「……………」
(____確かにそうだ)
繭子を、憎んでいる。
彼女を追い詰められれば、どんなに気が晴れる事だろう。
この娘は、繭子のキャリアを燃やす切り札を持っているみたいだった。
好都合ではないか
と言われた取り引きに、否定等は出来ない。




