第146話・忠犬のふりをした狂犬
まさか自分自身の身元も
記者に此処まで探られてしまっていたとは。
理香は暫し、思考を巡らせた後で、
「_______言った筈です。
私は、“あの社長に良い感情は持っていない”と」
「それは解る。だから、あそこまで追い詰めたんでしょう?」
「ええ」
理香の表情は、微塵も変わらず冷静沈着なままだ。
けれど一瞬だけ伺えた冷酷な声音。
何処かで警戒されているのは理解出来る。
なるべく事を荒立てず、相手を丸く収めるのはそれ相応の話術が必要だ。
「ただ、頭の良い貴女ならお分かりでしょう。
記者は人の内情を暴き、其処に土足で踏み込む生き物である職種だと」
「…………」
「森本社長から目をかけられていた、とまでは解りません。
ですが確かにJYUERU MORIMOTOの騒動の際も、社長の傍に居りました。
お尋ねを返す返答で申し訳ありませんが
私の内情を知ったところで、どうするおつもりですか?」
「……………」
健吾が黙る側になった。
けれど繭子を蹴落とし、佳代子の秘密を知るには
この目の前の女性が何かしら関わりがあるに違いないだろう。
引くわけにはいかないのだ。
此処で諦めてしまえば、前には進めまい。
「貴女の情報は、秘密裏です。
敢えてわざわざ公開理由もないでしょう。
私は森本繭子、JYUERU MORIMOTOの事が明らかになれば良い。
貴女の事に、興味はありませんよ」
「………私の内情を明かさない、それは約束出来ます?」
理香は冷静な物言いで尋ねながら疑いの眼差しを向ける。
安易に人は信用出来ない。上辺の関係ならば尚更。
人の言葉を簡単に信用出来る訳でも呑み込める訳でもない。
だが、それ程に警戒をしないと己を守れないのだから。
今も尚、警戒を見せる理香に健吾は身を乗り出した。
「ええ。約束しましょう。それに申した筈です。
私も森本繭子には良い感情は持っていないんです」
「……………」
健吾の言葉に、理香は微かに驚く。
確か、前に会った時もちらりとそんな事を呟いていた。
あんな切ない眼差しを見せた表情、
呟いていた言葉を脳裏に霞め思い出すと、忘れられない。
だからなのか。
「______それが、
私のリーク情報を受け入れて下さった理由ですか?」
そう尋ねると、健吾は気怠い面持ちを抱えながらも
やや微笑を浮かべた。
何かそれは毒味を含んだ表情にも伺える。
「ええ。ですから
貴女から森本繭子のリークを持ちかけられた事は意外でした。
けれど好都合でもありました」
「………」
だから。
憎しみを抱いているからこそ、繭子の裏情報を明らかにしてくれたのか。
それは目を見れば解る。
実際に出来上がった記事も、
自分のリーク以上にえげつない言葉を書かれていた。
言わば、自分が思っている繭子の感情も自分と同じなのだろうか。
「だから、貴女の気持ちも察します。
かなりご執着があるのではないですか。でないと
人一人をあそこまで蹴落とす事は出来ない」
探偵の如く、健吾の事はそう探る。
信じた訳でもない信じるつもりも殊更無い。けれど。
大概、この記者も、森本繭子に対して何かあるのだろう。
「もう一度、お聞きします。
貴女は何故、森本繭子しか知らない裏事情を知っているのですか?
貴女は一体、何者なんだ」
「………………」
(______降参だわ)
話すつもりもなかった。
けれど記者に此処まで悟られてしまったら、隠れそうにもない。
この”切り札”は差し出すつもりも、明らかにさせるつもりもなかったが。
「………本当に、私は秘密裏にいられるのですね?」
「はい」
理香は、一呼吸を置く。
そして、口を開いた。
「………これは、話すつもりはなかったのですが」
その蜂蜜色の瞳に闇色の表情が混ざる。
理香は、微笑を浮かべながら、呟く。
「_______私は」
まだ言わないが、
少しの破片を見せて落としてしまおうか。
(_____相手は、どんな顔をするかしら?)
“あの事実”を、告げれば。
「______森本 繭子の娘です」
凛とした顔で、理香は静かに告げる。
その瞬間に健吾は愕然として、固まる。
世界に取り残された様な、時が止まった様な感覚がして
カチカチ、とした時計の秒針だけが聞こえる。
(_____森本繭子の娘?)
健吾は目を見開いた。
そして嘘かと、一瞬だけ思い疑う。
森本繭子には娘が居て、
その娘はある日を境に行方不明になった筈だ。
それは事前に調べて追いた事柄で……。
目の前にいる女性、椎野理香がそう告げたのならば
彼女は、森本繭子の娘という事だ。
母親である繭子には、一寸も似ていない。
けれど佳代子には生き写しな位にそっくりで。
何故、森本佳代子に似ているのだろうと、一瞬思ったが
繭子と佳代子の関係を思い出した時
全ての点と線が繋がってしまった。
(______近くに見てきた、というのはそういう事か)
娘ならば、母親を近くで見た事に違いない。
佳代子に似ている理由は、”そういう理由“。
「母を落とす為に私は、
白石さんに情報をリークしたんです。
母を落とす為なら手段は厭いません」
目の前にいる端正な美貌に浮かんだのは微笑。
一瞬、違う人間にも伺えて、冷酷な天使に見える。
(意味有りげな微笑が何を意味するのか)
彼女が、母親を奈落へ突き落とした理由は?
何故、娘だと告げたのに名前が違うのか。
でも浮かんだ理由の数々は、彼女の浮かべた微笑が答えを出している様にも見える。
全てを悟った瞬間に、椎野理香という人間が、
森本繭子の情報と、佳代子の事も、謎が解けた様な気がした。




