第143話・怒りと共に現れたもの
其処は、呆気に取られるばかりだった。
小野順一郎、とネット検索してみると
膨大な情報の数が露になった。
(やっぱり、この人だわ)
彼は、元々公衆電話にて自分自身とぶつかった相手だ。
森本邸で見た時は、自分自身が彼の娘だと言われた衝撃から、
人物像に視線を向ける心の余裕すらなかったので分からなかったのだ。
それに理香は他者には興味がない。
だから、深く考えていなかった。
しかし、
資産家であり不動産王の家系と言われれば納得する。
何故ならば小野家が私立の一貫校に多額の寄付金を渡していたり、学校側には娘の千尋を贔屓していた。
千尋は校則違反者で有力だった。成績不振で留年は確実と言われていても、
親の、小野家のバックボーンがあったからに違いない。
なので学校側は
千尋が学校で名の知れた有名な校則違反者でも、成績不振者でも
小野家には頭が上がらなかった筈だ。
地主の資産家であり不動産王という事という事を知り
理香の心の何処かで辻褄が合い違和感がなくなる。
全ては芳久が言っていた通り。
今、思えば公衆電話の出先でぶつかった相手も、
繭子に近付いているのが気になり尾行していた相手も、
繭子に対して自分自身を娘だと叫んでいた相手も、
全て同一人物であり、小野順一郎であった。
点と点が、線で繋がる。
前にJYUERU MORIMOTOの社内で
会社で再会した時、名刺を渡されたその時は不動産に勤めている人間だとしか思っていなかったし、対して気にも止めてなかったのだ。
まさか彼がこんな有名な不動産王で資産家の御曹司だったとは。
此処で初めて芳久が言っていた意味、
彼の素性が露になり理香は小野の素性を悟った。
しかし、理香は疑問が拭えない。
順一郎は何故、理香の事を娘だと思い込んでいるのだろう。
(ただならぬ、親密な関係よね。私を娘を思い込んでいるくらいだから)
順一郎は、純粋に理香を娘と思い込んでいる。
それを公衆の面前で叫ぶくらいだから、過去に森本繭子とただならぬ親密な関係であった事は間違いない。
ならば、繭子にとっては順一郎の存在はなんだったのだろう?
しかし刹那、千尋の言動が脳裏に蘇った。
頭に浮かんだ言葉は、ひとつ。
(…………不倫、)
嗚呼。
理香は悟ってしまった。
あの何時も縛られたくなく
有頂天にいたい女が、婚姻等は結ぶ筈がない。
それに我が儘で自分勝手な繭子が家庭に収まる人間だとは思えない。
だとすれば小野順一郎と繭子は不倫か、
浮気をしていたとしか考えられなかった。
(…………其処で、妊娠した)
不倫の末に、繭子が身籠った。
順一郎は当然、自分の子供だと思い込んでいた筈だ。
だからあれだけ血縁の形のありやしない娘に執着するのだろう。
だから、
順一郎は繭子が身籠った子は、信じて疑わないのだろう。
けれどDNA鑑定の結果はシロ。
理香は、小野家とは関係はない。
けれど。
(じゃあ、私は?)
_____誰の娘だ?
そう思考が降ってきた時に呆然とした。
いつからだろうか。
あれだけ慕い大好きだったたった一人の父親。
それを軽蔑する様な、疎ましい眼差しと感情で見るようになったのは。
(_____どうして、裏切ったの。
どうして、森本繭子ばかり見るの?)
自分と母親を裏切っていた。
順一郎が繭子に見せる眼差しは視線は、
自分自身にも母親にも注がれた事はない。
けれど親しげに写る二人の写真を見るだけで、父親にとって森本繭子が特別なのは分かる。
(____絶対に許さない)
リビングルームの大きな窓から見えるのは、何もない夜空。
あまりにも無情に見えたそれは、彼女の憎悪を掻き立てるには十分なものだった。
窓際に飾れられ、調度品の花瓶に入れられたのは、シロユリ。
シロユリは大きく、気高く立派に咲き誇っている。
その枝を細い手で掴むと、感情のままに自然と力が籠る。
バキリ、と静寂な部屋に音が響いた。
掻き立てられた憎悪によって千尋は、シロユリの枝をへし折っていた。
枝を折られたシロユリは、へなりと力尽きた様に項垂れている。
「何をしているんだ!」
リビングルームに響いた怒号。
声の方へ視線を向けると、私服姿の順一郎が怒った面持ちで此方を見て歩み寄ってきた。
千尋は内心冷めた眼差しを向ける。
「花を折るとはなんだ。花は愛で、大切にするものだぞ?」
順一郎は、千尋がシロユリを折ってしまった事を怒っていた。
けれど怒られた事、その内容に千尋はムッとした。
そうだ。花は大切にするもの。
_____けれど。
「パパは、あたしとママを大切にしていない癖に」
千尋は睨み据えた瞳で、順一郎を見る。
順一郎は分からなかった。言葉の意味も、愛娘が向ける眼差しも。
何故、憎らしい眼差しで自分自身を見るのだ?
「何を言っているんだ。パパが大切なのは、千尋とママだけだぞ」
しらを切る様な言葉。
その言葉は、今の千尋にとって偽りとしか思えない。
「_____嘘つき!」
そう叫ぶ。
千尋の中で、怒りが溢れだした。
「あたし、知ってるのよ! パパが不倫していること!」
喚き散らす様に、千尋はそう告げる。
その刹那、順一郎は目を見開く。
そしてみるみるその表情が、青ざめて言った。
「………何を言っている、千尋」
「まだ嘘を付くのね!証拠もちゃんとあるのよ?」
その言葉と共に千尋は写真を撒き散らした。
それは桜吹雪の様に宙を舞った後で、はらりと床に落ちる。
娘がばら撒いた様に差し出された写真には
自分と森本繭子と一緒に居る場面が写っていた。
写真には、自分自身と繭子が会っているシーンを捉えたものだ。
何故、千尋が繭子の存在を知っている?
自分自身と繭子が会っている現場の写真まで、何故、あるのだ。
その刹那、順一郎は目を見開く。
みるみるその表情が、青ざめ戦いていく。
絶対に逃げられない証拠を突き付けられて、順一郎に逃げ場はもうない。
そして漸く悟った。
_____娘に尾行されていた。繭子との関係を知られていた。
「………千尋、いつから」
「知っていたわ。とっくの昔に。パパはこの女が好きなのよね、
あたしとママより大切なんでしょ!」
燃え盛る炎の如く頭に血が昇っていく。
留めのない怒りの感情が、憎悪によって自制が利かなくなってきた。
見た事のない千尋の血相を変えた形相に、
順一郎は絶句して気不味そうな面持ちで、顔を伏せる。
「あたしとママよりも、この女の方が大事? 森本繭子の方が!!」
「……………千尋、」
「本当は一緒になりたいんでしょ!? だからこんなに頻繁に会ってる!! 表では平気なふりをして裏では密会して」
「千尋、聞きなさい!」
順一郎の怒号。
それは、怒りに任せて言っていた千尋の言葉を遮った。
「彼女の事は確かに好きだ。けど、千尋とママの方が大切だ」
娘にとっては残酷な言葉。
千尋の心に、言葉のナイフが容赦なく刺さっていく。
嘘の癖に、嘘の癖に……と思う度に目の奥が熱くなり、瞳が潤んでいった。
「でもな。パパがこの人に会うのは、ある気がかりがあるからなんだ」
「何が……」
順一郎は一瞬、躊躇った。
けれど娘に全てがバレてしまった今、隠す事は出来ない。
"あの事を"。
「………千尋には、妹が居るんだ」
「…………え」
怒りが冷めて、千尋は呆然とする。
_____妹?
「その人との間に、娘が、千尋の妹が居るんだ」
行方不明になったその子を捜していると言われた時、
千尋は呆然として、するりと手が落ちた。




