第141話・記者の憎しみ
「浮かない顔だね」
昼下がりの休憩中。
降ってきた穏和な声音に、理香は伏せていた視線を持ち上げた。
目の前には素性を隠した青年が、何時も通りの表情で此方を見ていた。
(大丈夫なのかしら……)
あれから数日。
青年は自分の病をなかった様に、今まで通り普通に仕事をこなしている。
だが。また頭痛で倒れてしまったら。
もう自分自身で制御出来ない程に病は、進んでいる。
「………芳久、大丈夫?」
「………大丈夫じゃない人間に言われるのは、腑に落ちないな」
芳久の言葉に理香は、きょとんとする。
しかし、軈て諦めた様に目を伏せた。
彼女の姿はまるで、落ち込んだ小犬のようだ。
人の心情にはエスパーの様に鋭い青年は
理香の心情を既に悟り丸読みしていた。
理香の顔は、今一つぱっとしない。
(____深く考えなくて良いのに)
JYUERU MORIMOTOを解雇された身なのに
プランシャホテルの理事長や社員は、同情的で批判の『批』の字もない。
寧ろ、誰もが椎野理香がプランシャホテルへ完全に戻ってきた事を喜んでいる。
「JYUERU MORIMOTOの兼任社員解除の事は深く考える事はないよ。
プランシャホテルに、元に戻ってきただけ、と思えば良いだろう?
全部、あの会社に乗り込む前に戻っただけだと思えば」
「___そうね。でも、どうして批判が無いのが気になって………」
批判は、何故無いのか。
自分自身の積み上げてきたキャリアを失いかねない筈なのに。
「理香が悩む必要じゃない。人は結果しか見ないんだ。
森本社長との日々は心に閉まっておけばいい。
だから今は、仕事に打ち込めば良いと思う」
「…………そう、」
浮かない顔をしている理香を諭す様に言うと仕事へ戻って行った。
森本佳代子の妹が、森本繭子だと知った時、
健吾の中で職業魂というのものが燃え上がった。
世の中は、広い様でかなり狭いかったみたいだ。
まさか昔の恋人だった女の姉が、森本佳代子だったとは。
三条富男の熱意に押されて、
森本佳代子の事故死を取り上げると決めたけれど、
佳代子の妹が繭子だと知って、健吾の魂にも火が付いた。
繭子を、追い詰めてしまいたい。
そんな業火にも似た健吾の思いは複雑なものだ。
ゴミの様にある日、理由も分からないまま
自分自身は会社からも、仕事からも追い出され、無一文で捨てられてしまったのだから。
繭子の接点が出来たのは、
健吾がJYERU MORIMOTO社長秘書という役職に着いたのがきっかけだった。
繭子とは、社長と社長秘書という関係から恋人の関係へと変わるのに然程時間はかからなかった。
繭子の事を、本気で愛していた。
ある日、彼女が身籠ったと知らされた時
それを健吾は喜び、そして責任を取る上で
秘書として変わらず、傍に居て彼女を支えるつもりだったのに。
健吾の求婚を、繭子は拒んだ。
代わりに海外で支社を構えるから、本社を知る人間として社長になり会社の名を広めて欲しいと。
そう告げられた。
生まれてくる子供に、立派な姿になって現れて欲しい。
傍を離れるのは嫌だったが
社長の言葉や命令には逆らえまい。
健吾はそれを鵜呑みして、海外へと旅立った。
けれど。
海外に行ったその日。
それが、全て嘘だったのだと気付いた。
会社からも仕事からも追い出されていて、自分自身は一瞬で無一文となり全てを失ったと悟った瞬間。
繭子は、そっぽを向いた。
音信不通となってから
彼女がどれだけ傲慢で、自己中心的な女なのだと知ったのだ。
子供の話も自分の気を引きたいが為の嘘だった。
(結局、俺は遊ばれていたんだ)
ただ、理由は一つだけ。
女王蜂の都合の良い道具として使われていただけだ。
全てを悟った時、酷い程の憎しみが沸き上がった。
何時か、森本繭子を壊してしまいたい。
そんな事すら、思う様になった。
JYUERU MORIMOTO会社の周辺、
森本繭子の住む住宅街での聞き込み。
住民はJYUERU MORIMOTO、森本繭子、と言っただけで
周りは嫌な顔をしたが、
そんな事を気にしていたら、先には進めない。
森本佳代子の関係者を当たれない上
もう彼女の妹にしか当たれないのだが、なるべく森本繭子本人には会いたくはない。
顔すら、見たくないのだから。
それならば
森本繭子の関係者を、探そう。
森本繭子の関係者を当たろうと思ったのは
健吾には僅かなアテと確信があったからだ。
(___繭子は、一人では居られない)
繭子の怖いものは、孤独。
孤独を怖がり避ける女が、一人で居られる筈がない。
彼女の傍には、誰かしら関係者がいた筈だ。
(結局は、繭子に復讐したいだけかも知れない)
思い返せば、姉を、佳代子の事を
繭子はあからさまに嫌っていた。
彼女の悪口を、度々言う事もあれば彼女の存在を口にすれば嫌な顔をしていたのだから。
姉を嫌う理由は知らないけれど。
繭子にとって、佳代子の話は聞きたくない筈だ。
佳代子の事故死を扱えば再び、繭子は平穏では居られないだろう。
けれど、それで良い。
繭子が不快な気分に陥るのならば。
有力な情報はなかったが
自身の後釜に居座ったJYUERU MORIMOTOの社長秘書である石井に辿り着いた。
石井は嘗ての同僚で、顔見知りの仲である。
彼から、聞き捨てならない話に耳にした。
『社長が、凄く目をかけている子がいたんだ。
とても美人な人で最初はモデルさんかと思ったよ。
その人、騒動の時も
社長を献身的に支えて居たのに、
理由は知りないけど、先日解雇されたんだよな』
(それは、御愁傷様だ)
その社員は、昔の自分と立場が良く似ている。
献身的に支えて、挙げ句の果てに捨てられて。
同情的な思いを感じながら、その人物の名前とに打ちのめされた。
『名前は………椎野理香さん、だったかな』
この人だよ、と言われて健吾は愕然とした。
履歴書に書かれた名前と貼られた顔。
凛とした顔立ちの、何処か儚さを感じる女性。
(どういう事だろう?)
椎野 理香。
何故だか彼女は、森本佳代子にそっくりで。
でも驚く事はそれだけではない。
それは森本繭子の不正を
自分にリークしていた、あの女性だった。




