第11話・生まれる変化
「では、今日の3時に椎野が伺います」
電話の向こうの主にそう言う声が聞こえる。
その声に耳を傾けてながら、まだ目覚めたてのうつらうつらとした意識で
何処か神秘的な蜂蜜色の双眸を物憂げな眼差しで、理香は身を起こした。
休憩中に、いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。
転た寝で眠っていた分、頭はすっきりした気分だが、
何処か身体の荷は重たい。
JYUERU MORIMOTOに派遣する。
それは、ついに今日という日なのだから。
(………気を抜いていたら駄目じゃない)
未だに何故、承諾してしまったのか分からない。
本当なら、上手く交わして断っていた筈だった。
あの日完全に決別すると誓った。会いたくもない悪魔に会おうとも思わない。
あれは、呪われた過去だ。
あの日に戻りたいという思いなどありえない。
________けれど。
あのホームページで見た
実娘を捜しているという記事がなければ、決意を浮かばなかっただろう。
偽りで固めた悪魔は、どういう意味であんな言葉を書き綴ったのか。
出張の話を聞いた時、不意にそれを知りたくなった。
簡単に裏の話が出る訳が無い。
何かしら欲望と企みがある証拠に感じる。
あの会社に行けば、何か分かるかも知れないと思った。
「初めまして。プランシャホテル
エールウェディングから参りました、椎野理香です」
そう言って、一礼して挨拶する。
「君が椎野さんか。君の評判は聞いているよ。
私は、社長秘書の石井です。よろしく」
「よろしくお願いします」
秘書の挨拶を聞いた後、理香は不思議に思う。
全く人が来る気配が全く無いのだ。居るにしても秘書しかいない。
社長が居ると思い理香は警戒心を抱いていのだが。
そんな疑問を思い、不意に問いかけてみた。
「あの、社長様は……」
「ああ、社長は支店に行っておりまして、今日は不在なんです。
社長も椎野さんが来ることを光栄に思っていましたから
お会い出来ない事を残念に思っておられました」
「そうですか」
(…………………あの人は、いないのね)
少し、残念に思うのと、
悪魔に会わないでいいという安堵感に包まれた。
派遣の出張というのも
実際はJYUERU MORIMOTOの会社関連話、
プランシャホテルの提携経営のプランの話し合い、
会社の視察等、そして実際にJYUERU MORIMOTOに立ち影響に加わる。
何事もなく、派遣としての仕事は無事に終わった。
当たり前であろうが、もう何十年も前の
幼い頃に一度見に来たあの会社とは違い、すっかり近代的で
自分自身の記憶にある、覚えている面影は、何処にも無かった。
ただ会社の外見や内装、
ジュエリーの色合いがど目を押さえたい程にどぎついのは、変わらない。
派遣社員としての仕事は、順調に進んだ。
優等生社員である理香を見ては『素晴らしい人だ。JYUERU MORIMOTOに欲しい人材だ』と、周りからは上等な評価を貰った。
しかし
その言葉に対する評価を下される度に、複雑な心境だった。
(…………“JYUERU MORIMOTOが欲しい人材”ね。
でも“あの人”は、どうなのかしら)
「あの……」
帰り際、理香は口を開く。
振り返った秘書に、聞きづらい事ではあったが怯まずに身を乗り出す。
「私用な話ですみません。ですが、
私、先日社長様のホームページを見ました。
そうしましたら、娘さんを捜されていると書かれていたので……気になってしまって」
その凛とした顔立ちに浮かんだのは、何処か物憂げな表情。
まるで葬儀の喪主を務める、薄幸な雰囲気を備えている。
その沈んだ面持ちは人間離れした儚さを備えていて、石井は美しいと思い込んだ。
「ほう。何故、それを貴女が?」
「私も、叔母を捜している身なので、気になってしまったんです」
(こんな嘘、付くつもりは無かったのに)
けれど身近に思う嘘を口にせねば。
自分自身も同じ立場に居る、という親近感を盾にしなければ、
見ず知らずの他人に語ってくれる筈もない。
人は自身と身近な立場にいる、と思うと自然と言葉を紡ぎやすいものだろう。
話は重くとも穏便な話として成り立っているだろうから
だから、お愛想に"見つかると良いですね"と言う筈だったのに。
けれど予想とは反対に、秘書は、
重い口を開く様にして言い始めた。
「ああ、その事ですか? 実は……」
何処か淡々とした物言いで秘書は、言った。
確かに社長は生き別れになった娘を捜索をしていると。
最近では、娘を思う言葉をたびたび何処かで零していると。
(娘を思うふり、は続けているのね)
その事を聞いて、理香は呆れた気分になった。
あの悪魔は____他人に、そんな嘘を言って演じているのかと。
けれど嘘と偽りを並べ演じるのは、悪魔の得意分野だからやりそうな事だ。
偽りの、自分自身を悲劇のヒロインに企てる、演技力だけは、ずば抜けている。
偽りの母の状況が知れて、少しだけ感謝の念を思い秘書に
お礼を言い、社交辞令でお愛想を言ったあと、会社を去った。
帰る頃には、もうすっかり夜空になっていた。
月も星も無く果てしなく広がり濃紺の世界。
それは、何処か寂しさを感じる。
吐いた吐息が、白い靄を作り消えて行く。
冬特有の肌寒い風を感じながら、
この会社の裏道を通り帰ろうとした時だった。
不意にある話し声に気が付いて、裏路地に身を隠し耳を傾ける。
「……だよな。やっぱりあの社長さ…………」
“社長”、というワードに気が立つ。
建物に身を潜めて、ちらりと話し声に方に視線を向けると
其処にはスーツ姿の男二人が話し込んでいる様子だった。
しかも驚く事に、片方の男は、自分自身のお世話になった秘書だ。
日中の穏やかな表情とは打って変わり、
何処か冷たく、やれやれとした表情が何とも言えない。
そして理香は、本当の意を聞いてしまった。
「今日、派遣の子に聞かれちゃってさ……。
社長の娘さんのこと。
実はあの社長さ。行方知れずの娘を捜しているけど、
本当はその娘を連れ戻して、自分の下で働かせるらしいぜ」
「うわ、えげつないな。そんな事を考えていたのか?
………でもあの社長ならやりそうじゃないか?」
「やるだろう。でもさ。捜し出された娘は、お気の毒様だよな」
(…………知っていたの?)
女社長に娘が居ること。
悪魔が娘を探し出して、操り人形として自分の手元に戻っていること。
(JYUERU MORIMOTOの人間は、皆、社長の行いを知っている)
その瞬間、何かが壊れる。
心の何処かで感じていた、利用される事を。
社長の周りで仕事している人間は、みんな知っていたのだ。
_____社長の思惑を。
それが本当の事実だった。
あの悪魔の陰謀は、何も変わってはいない。
理香の中で、何かが生まれる。
それは________。




