第135話・悪魔の優越感と挑発
“あの女が”消えた時、周りが悲しむ中、自分だけが心底喜んだ。
自分自身に全てが手に入ったと理解した瞬間、
初めて心が満たされ、勝てた気がした。
快い感覚や感情に満たされたあの瞬間は今てでも忘れられない。
そして欲しいモノが欲しいと思えば、
邪魔者を永遠に消せば良いのだと学んだ。
これで良かったのだ。
寧ろ、奴を早く消せば良いすらと思った。
私は、だれ。
私は、何の為に生を受けたのか。
無視しても心の隅では、答えの出ない自問自答を繰り返しているらしい。
空は、深夜になるにつれ濃紺色を深めている。
草木も、人も寝静まっている静観な住宅街。
あれだけ森本邸に群がっていた報道陣もいない。
騒動を受けて癖になったのか相変わらずカーテンで仕切られ、
部屋の中の様子は伺えないが、微かに漏れている明かりが見えた。
靴音と気配を殺して
少しだけ重たい足を引き摺り、悪魔の居る館へ理香は足を運ぶ。
照明が惜しみなく煌々と灯され、夜に慣れた目だったせいか余計眩しく見える。
足の踏み場を探しながら、リビングへ辿り着いた。
リビングの中央、リビングのソファーベッドに相手は居る。
威張り満ちた虚偽の威厳の表情と、見るからに横柄な姿は
まるで、玉座に座る女王蜂の様だ。
物が散らばり散乱した床に足の踏み場を探しながら
歩いていたが、女を見た瞬間、どうでも良くなった。
理香は、静かに近付くと女の前で止まる。
「____来たわね、心菜」
繭子は魔性の微笑を浮かべている。
粘りのある媚びた声には、威圧感が混ざっていた。
“心菜”と呼んだ瞬間に、理香は静かに氷の様な冷めた表情を見せる。
「____心菜? 誰です?」
気分の悪い。
理香はそう白けて見せた。
(あの頃は、名前すら呼ばなかった癖に)
完全の操り人形、奴隷と生きていた頃。
繭子が娘の名前を呼んだ事は、一切無い。
『アンタ』『アイツ』が十八番文句で、酷い際には
『アイツに似た底辺の出来損ない』と罵倒された。
だからなのか。
理香にとって、あまり名前を呼ばれても、
自分自身の名が“心菜”だという自覚も実感はあまり芽生えてはいない。
呼ばれなかった暁には、危うく無視し、忘れてしまいそうだ。
それならまだ“理香”と呼ばれた方がしっくり来てしまう。
だからこそ他人の名前の様に感じて
今更、この女に名前を呼ばれても気持ちが悪くなるだけ。
だが、軈て、
「__ああ、貴女の娘でしたね。私と似ている。森本心菜さん、でした?」
そう冷めながら、言う。
それはまるで自分を、心菜という人間を嘲笑う様に。
繭子は白け冷めた表情と物言いをする理香に、眉を潜めた。
「__認めないのね、自分の事なのにまるで他人事みたい」
「ええ認めません。認める以前に何故他人の私が、
貴方を母と呼ぶのですか?」
「ふざけるのも、いい加減にしなさいよ!」
繭子は、声を荒らげた。
顔には皺が刻み込まれ、まるで般若の妖怪の様に見える。
どうして、森本心菜と認めない?
どうして、森本心菜に戻らない?
自分の懐に戻れば清く正しく生きていけるというのに。
やはり逃げるつもりか。なんと強情な娘なのだろう。
繭子は、理香をきつく睨む。
「呼び出された用は分かるわよね」
「___はい」
「よくも無断欠勤なんてしてくれたものね。
あんたが無断欠勤なんてしたせいで私の顔が潰れたじゃないの。
普通なら子供は親の顔を立てるのが常識なのに、
あんたは何処まで親の顔を潰す気なのよ!!」
「……………」
(____寧ろ、それが本望よ)
理香は嘲笑う。
虚偽に気付かず執着し続ける女は、こんなにも見苦しいものか。
反吐が出る程に気持ちが悪い。こんな虚像の仮面等、崩れてしまえばいい。
だが。
ルール違反はルール違反だ。
悪魔との私情は幾らでもルール違反して見せ出来るが
今回は私情ではなく会社関係の事だ。それ相応の迷惑がかかっている。
飽くまで“無断欠勤した事だけ”は、割り切り謝らなければ。
社交辞令で、理香は頭を下げる。
「____申し訳ありません。
暫く体調不良が続いておりまして、その連絡が遅れました。
私の不手際です」
「そうなの」
繭子は、悪魔の様な微笑みを深める。
嗚呼、誰かが自分に対して頭を下げるというのは、どんなに気分が良いのだろう。
自己満足な優越感に浸りながら、微笑が増す。
それが憎い奴に似た生き写しの娘となれば、尚更だ。
「あんたがプランシャホテルの優秀なウェディングプランナーだと知ってわざわざ拾ってあげたのに。恩を仇で返すのね。
あんたって最低ね。
そんな所、昔と微塵も変わらない」
「…………」
理香は、その言葉を無視した。
自力で立ち上げたキャリアを、貶される筋合いはない。
それに自分は飽くまでプランシャホテルの社員だ。JYUERU MORIMOTOの社員ではない。
もう悪魔の力なんて要らないのだから。
(こんな人に説教を受ける筋合いはないわ。
…………早く帰ってしまいましょう)
理香は顔を上げると告げた。
「今日はもう遅いので、社長ももうおやすみ下さい。
私如きに待って頂いてすみませんでした。
これからは不手際は起こしませんので」
「____…………」
「お邪魔しました。失礼します」
くるりと背を向けた。
謝ったならばもう用はない。
それに此処はあまり居たくはない居心地の悪い場所だ。
背を向けた理香の背中を、
繭子は見下す様な眼差しで見詰めた後。
(___逃がさないわよ。心菜)
もう二、度逃がせなんてさせない。
同じ過ちを二度も繰り返したくはないのだ。
縄で縛ってでも、もう自分の懐から逃げ羽ばたくのは癪に障る。心を支配する憎悪が、それを決して許せない。
「___逃げるつもりなの? “心菜”」
他人を見下す様な、媚びた声音。
この独特の声音を聞く度に腸が煮え、気分が悪い。
理香は思わず足を止め、静かに繭子へ冷たい視線を向けた。
逃げる?
どういう意味だ?
(………………っ)
その瞬間。
繭子の脳裏で凄まじい雷の様な激震が走り、心が揺れる。
冷めた表情。
それはまるで冷たい刃物を向けられた様な眼差しだった。
佳代子ではないという事だけを、除けば一瞬、異父姉に振り向かれたのだと錯覚を覚え、ぞっとする。
「___何の事でしょう? 私は逃げていませんが」
平然とした態度や凜とした面持ち。
その姿勢を崩さない理香に、繭子は歯軋りの末に険しい面持ちになる。
(勝手に一人前になった様な顔をして………!!腹立つ)
本心を言って、佳代子に似たこの女には憎悪しか浮かばない。
だがやはり憎い娘を連れ戻せば、自分の優越感や地位が増す。
心菜は自分よりも立場は下だからか。それとも、
この娘を攻撃する事で更に、特別な優越感が得られるからか。
心菜は最終的に自分の懐に戻ってくる。
そんな根拠の無い強い自信が繭子にはあった。
だが理香の態度は相変わらず、冷静沈着かつ漠然として変わらない。
「逃げるつもり、とはなんでしょう?」
「はぐらかさないで頂戴。逃げるつもりなんでしょ。あたしから、母親から逃げるなんて娘のやる事かしら?」
「____…………」
繭子は媚を含んだ微笑と、物言いを続ける。
もう少しだ。もう少し言い寄れば、娘は自分自身の懐に入る。
「____あんた変わった。
あの頃の心菜は何処へ行ったのかしら。
あたしの言う事をなんでも聞いてくれる子だったのに」
「_____…………」
嘆く様に言う繭子に、理香は無反応。
「____許さないわよ、母親のあたしから逃げるなんて。
あんたが生まれた意味、分かってる?」
繭子は、どすの利いた口調で告げる。
理香は考える様な表情をして瞬きを一つしてから、顔を伏せた。
この女は、娘の事を何処まで縛り付け、操りたがるのだろう。
母親の愛情に渇望していた少女なら、易々と騙されていたのかも知れない。
しかし、自分自身は、悪魔の操り人形ではないのだから。
(____逃げるなんて真似しないわ。
最後、貴女の破滅する姿を見るまで、目なんて離さないから)
佳代子に似た面持ち___。
その顔を上げた理香は、深い微笑を浮かべていた。




