第131話・執念を持つ者と、思惑を持つ者の交渉
誰かなんてもうどうでも良い。
あの女性の死の真相を確かめさえ出来ればいい。
小さな昔風を色濃く残す喫茶店。
吹かした煙草の灰を指先で落とすと灰は、ぽつりぽつりと小さく溢れ落ちていく。
灰を灰皿に落としながら、富男は窓から見える景色をぼんやりと見詰めた。
あの日。
佳代子の死の真相を確かめたく、
彼女に関わった関係者に全て連絡を着けたが、
その携帯端末が使われていないか、それ以外殆どが門前払い。
森本佳代子の話はしたくない。
言わなくても分かる。
電話を切られる度に、そう悟りを開いた。
最後の欄に記入していた
“白石健吾”という人物が最後の砦、と掛けた電話。
すると
森本佳代子というだけで、通話は途切れたというのに
電話越しの彼は富男の言い分に耳を傾け、あっさり自分自身の事を認めた。
当時は、なりたての新人記者だったという。
初めて関わった仕事。その時に関わっていたのが、森本佳代子の事故死だった。
そして驚く事に話を取り持ってくれるらしい。
詳しく話し合いたいという結論に至り、会う事になったのだ。
「27年前の事故死………ああ、あの事ですか」
27年前の事故死と聞いて、健吾は昔を振り返った。
海外に転身が詐欺だと気付き“あの会社”を辞め、記者に転身したばかりの頃か。
27年前の事故死。
特に新人記者だった頃の記憶は色濃い。
事故死と聞いてそう言えばと健吾は、自分自身の心当たりがある事に気付いた。
『___それと厚かましいですが、ある“願い”を聞いて欲しいのですが』
話を聞く限り、何かありそうだ。
記者として何十年も動いてきたからか、好奇心が無性に掻き立てられた。
それに相手が自分にして欲しいという願いとは、なんなのだろう?
白いシャツにグレーのジャケット。
ベージュのズボン。相手の服装を暗記しながら、富男は喫茶店に入る人間に集中し目を凝らす。
すると、それに見合った人間が来た。
軽く手を挙げて、ひらひらと揺らす。
すると相手はそれに気付いた様に、こちらまで歩み寄った。
彼は軽くお辞儀した後に
「___白石健吾さんですか?」
「はい。白石健吾と申します」
端正に整った顔に浮かんだ薄い憂いのある頬笑み。
手際良く名刺入れから取り出された、名刺を受け取る。
名刺を見て富男は驚いた。有名出版社に勤める記者だったからからだ。
驚きを隠して、
その後、向かい合う様に着席し本題に入り始めた。
「お時間を割いて頂きありがとうございます」
「___いえ。お気に為さらず。それで用件とは何でしょうか?」
着込んで味を出した様なポロシャツに、黒いブルゾン。
青みの濃いジーンズ。
体格の良い大柄な男性。平凡な顔立ちであるが、目力が強い。
話し方は気さくで馴染みやすい。健吾はそんな印象を受けた。
「電話でもお伝えしましたが、
私は27年前に起きた女性の事故死__森本佳代子さんについて調べている者です。調べた所、あなたがこの事故死の記事に関わったという方だとお聞きし連絡をさせて頂きました」
『そうですか』
注文し出された珈琲を飲みながら、健吾は冷淡にそう呟く。
素っ気なく冷たい様にも聞こえるが、その口調は懐かしむ様なものであった。
「__森本佳代子さん、か。
電話でもお伝え致しましたが、確かに僕はその事件に関わっていた記者でした」
「やはり」
(___怪しいな)
健吾は、富男をまだ知らない。
だからなのか、これをまだ偽り紛いで呼び出されたと思っていた。
大体、当時の警察関係者やマスコミも対して興味を示さずに終わり、大抵が内容を知らない話だと言うのに、何故、この男は被害者の名前まで知っているのだろう。
「でも。だいぶ、鋭い方ですね。もしかして探偵の方ですか?」
「いえ、違います」
「では何故27年も経ってから、この事故を調べて連絡をして来たんです?」
冷淡な口調、堂々した変わらない面持ち。
圧力感のある人物だなと富男は感じた。けれどその圧力感は形として現れるものではない。
無感というべきか。彼の威圧感は形には現れず、
それは空気に溶けんで馴染んでしまう。
威圧感を感じながら、富男は口を開いた。
「それは記者である、折り入って貴方にお願いしたいがあるからです」
健吾は真剣ながらも、相手を探る。
この事故死の記事を知っている人間は少ないに等しい。
寧ろ知っている人間の方が稀な気がする。そんな事故死に関わった人間を調べ、訪ねてくる人間はそうそういない。
「私は、実は刑事でした。今は定年退職をしましたが……。
私も刑事としてこの事故死に関わっていた一人です」
「そうなんですか」
健吾は驚いた表情をした。
まさか、職は違えど自分と同じ立場にいた人間だったとは。
悟りの表情を浮かべながら、昔を振り返る様な眼差しで、話を始めた。
「簡単に27年と言いますが、この事故死は謎が多くあやふやになったまま片付いてしまった、それが納得出来ず、現役から定年退職を迎えても、この事故死を探っています」
「そうですか」
健吾は冷静沈着なまま、ただ聞き手に回っている。
話を聞いている限り、この刑事だった相手はずっとこの事故死の真相を追っていたという事だ。
確かに事故死と片付けるには、不審な点が多くあった。
「確かに、あれは謎が多い事故死でしたね。振り返ってみれば不思議です」
「そうだと思いませんか? 不慮の事故死とは言いますが」
「事故というには、不思議に思いますね」
森本佳代子の事故死は、不思議で不審__。
何もなかったのに棚が倒れるとは、と、意見が一致し暫く討論し語り合った。
事故死とするには不思議だと、何故片付けられてしまったのかと。
そして、健吾は言う。
「___それで、“願い”とは何でしょうか?」
健吾の言葉に、富男は身を乗り出した。
ただ語らう為に今回の席を設けたのではない。
既に電話では富男から健吾はにある願いを、受け入れてくれないだろうか、と言っていた。
が、まだ内容は知らない。
富男は、言った。
「______貴方は、この事故死の関係者ですよね」
「はい」
「__この、記事を森本佳代子さんの事故死を再び取り上げてくれませんか?」
健吾は、固まった。
だが富男は真剣だ。真剣な言葉を告げている。
「記者である、それに森本佳代子さんに関わっていた白石さんだから、お願いしたいんです」
「それは、僕にこの事故死を広めて欲しいと」
「そうです」
健吾は冷静沈着に返す。
富男の願いは
“森本佳代子の事故死を、取り上げて欲しい”という事だ。
風化してしつつある27年前の不慮の事故死を謎をスクープに載せるという意味している。
「あの事故死は、あまり世間に知られていません。
警察も事故死と片付けた途端に、この事は消えてしまいました。
私も退職した身ですからまた取り上げて貰うというのは難しい。
私が全面的に協力致します。なので
白石さんにもう一度この事を取り上げて記事に欲しいんです」
「…………一つ、確認致しますが」
刑事だった、今も密かに探っている自分の力も貸す。
富男の熱意のある言葉に、健吾は言う。
「___それは、あなたの自己満足ですか?」
「………………」
健吾の冷静な言葉に、富男は固まった。
27年前のとある女性の不慮の事故死等、
風化しつつあるこの世の中で誰か興味を示すだろうか。
他者はあまり他者には興味なんてない。
この事故死が世に出回った所で目を向ける人間は居るだろうか。
確かに健吾の指摘は的確だった。
周りは納得し、解決扱いにしたというのに
自分自身だけ諦めきれず、ずっと森本佳代子の事故死を追っている。
この熱意は自分だけなのかも知れない。自己満足、というのは合っているだろう。
富男は、途端に黙り込んだ。
「……………そうかも知れません」
富男の曇った表情を、健吾は見逃さない。
この元刑事は本気で知りたいのだろう。例えそれが、どんな結末だとしても。
だから何十年も森本佳代子の事故死を追い続けた、
周りが終わっても、彼には終わった事ではないのだ。
健吾は悟る。そして、
「でも、良いでしょう。僕は三条さんの熱意を買います。
取材面ではこの件は僕が責任を取ります」
「え………」
「そこまで熱弁振るわれたら、僕も気になりますし。
また、世に広めましょうかね」
白石健吾は、唄うかの様に軽やかに言った。




