第127話・隠蔽する者、待つ者
記憶は、あまり見に着かなかった。
目の前の現状は壮絶だった筈なのに、目まぐるしく進む現実を。
医師は険しい面持ちで、MRIのレントゲン画像を見詰めた。
そして、告げる。
「___脳腫瘍です」
芳久の従妹だと身分を偽った理香は、
呼び出された医師からの宣告を受けた瞬間。
まるで、目の前の時が止まった気がした。
白い病室。
回りには何もない。
彼女は人形の如く椅子に静かに座込んでいる。
その蜂蜜色の瞳が映すのは、微動もしない現実。
無情ち無機質な機械音が、一定に続き途切れはしない。
ベッド上には沢山の管に繋がれながらも、固く目を閉ざし、青年が眠っている。
端正に整った顔立ちを持つ彼の姿は、まるで異国の王子が眠っている様だった。
たが、顔色は悪く生気は感じられない。
青年が病院に運ばれてから、2日。
その間、芳久はまだ意識を戻してはいない。
機械が示す数字や、彼の胸当たりが微かに上下している事が、辛うじて呼吸している_その証拠だ。
理香は機械を見た後で青年に視線を移し、視線を伏せた。
(___何も知らなかった)
医師から言われた言葉を思い出し
近頃の青年の姿を思い返す。
思い返してみれば、
最近は常に疲れた様な面持ちをしており、
急にその姿は痩せた様な窶れた様にも感じていた。
___今、思えば彼の身体は確実に、日に日に病魔に蝕まれていたのだ。
(____ごめんなさい)
その間、自分自身は
復讐しか頭に無く、それしか考えられなかった。
彼の異変を感じていながらも、見て見ぬふりをしたのも同然だ。
何故気付かなかったのか。理香は悔やんで、視線を落とす。
丁度、運ばれた先は元々、芳久は通院していた病院だった。
だからなのか彼の診察カルテがあり、病状は担当医が理解し急速な対応を施してくれたのだ。
だが、医師の表情とても険しく、そして何処か悟った様な物だった。
理香は何も知らなかった。
痛みに苦しみながら倒れた青年を見て動揺しながらも、
救急車を呼び、病院まで辿り着いたまでは覚えている。
その後、青年の倒れた意味を知ってから魂が抜けたのだ。
衝撃を落とし、残して。
脳腫瘍の病状は進行していて、手術が必要な所までいる。
しかし本人は手術に関しては無言で手術の同意書も無い。
また家族には内緒にして欲しいとの事らしい。
同意書が無い為に、担当医も動けない様だった。
彼の状況を考えれば、理香は十分に頷ける。
しかし理香にも独断で行動出来る訳でもあるまい。
「___意識が戻れば良いのですが………」
担当医は苦悩した面持ちで、呟いた。
今は、青年の意識が戻る事を祈るしかない。
人を詮索するのは、刑事にとって珍しい事ではない。
しかし定年退職を迎えても、まだこの不慮の事故と片付けられた物に執着している。
富男は、自分自身でも不思議だった。
森本佳代子は、在宅で不慮の事故に遭い亡くなった。
そうだと推測され事件は終わりを告げた、その筈だ。
けれど、どうも腑に落ちない。
定年退職になってから、自分自身で自由に動ける様になったからか、より彼女の事故に執着する様になった。
富男は森本佳代子の身辺をじわじわと調べ探る、それを繰り返す。
森本佳代子の身辺、当時に関わった関係者を調べてみる。
事故を調べた警察や事故を探った刑事、彼女の救助に関わった病院、そして事故を取り扱った記者、当たろうとした。
しかし“ある事”に気付いた。
それは、何故だか森本佳代子の事故に関わった人間は、この事故に関わってから、殆どの人間が職を辞する事になり、消えている。
当たり探ろうと調べて見ても、連絡が着かない事が殆ど。
(__何故だ?)
不慮の事故な筈なのに。
森本佳代子の事故に関わった人間が、消える必要があるのだ?
連絡をかけても、繋がらず
連絡の着かない人物とその人物の連絡先の番号を赤いペンで
線を引き消しながら、富男は浮かんだ疑問を不思議に思った。
あの日。
あの異父姉が、事故死した時。
佳代子に関わった全ての人間を、繭子は動かした。
関係者に多額の金を見せれば、相手は金に目が眩んで納得した。
“あの事”が世間に知れ渡るのを阻止する為に、それを思えば、積んだ大金等、安い。
要は“あの事”が知れ渡らなければ良いのだ。
金によって、佳代子に関わった全ての人間は排除した。
『私を、娘だと明かしたら、“あの事”がバレるもの、ね?』
椎野理香の脅しによって、繭子は動けない。
もしこれを明かしたならば、また二の舞に、自分自身の地位が崩れ去るからだ。
椎野理香が“あの事実”を握っているならば、それをバラされてしまったら不味いのだから。
時間を感じない。
病院に来て、此処に佇んでどれ程の時が経ったのだろう。
カーテンで仕切られた窓から微かに見えるのは、濃紺の夜空の光り。
(この戦いは、長いわ)
椎野理香、高城芳久の長期休暇の連絡を入れた以外は
何もせず傍らの椅子に佇み、理香は動けず呆然としたまま時を過ごす。
そう思い理香は、青年を見遣いながらも顔を俯かせた。
芳久の意識が戻る兆しはない。
ただ部屋には無機質な機械音が響くだけで、病室には静寂だけが佇んでいた。
病は止めを知らずに、進行している。
医師から言われた言葉を思い出しながらも、
青年の病状は深刻で、一刻を争う様な物だろう。
(___もし、このまま意識が戻らなかったら……)
不意に、脳裏に浮かんだのは、“死”。
癌も深刻だ。このまま治療をしないまま放置すれば、彼は死を迎える事になるだろう。
信じたく無くても、現実は現実。決断の時は迫られている。
『当たり前』はという言葉はあっても、
決して現実に当たり前は無いのかも知れない。
彼が居るのが日常化していたからこそ、慣れてしまっていたのだろう。
理香は、ただ青年を待つしかなかった。
【余談】
理香と芳久の間に緊急事態が発生した場合、
便宜上、互いを従兄妹と偽る約束がある、




