第126話・現実が示すもの
風の音がした。
テーブルランプが淡い灯りを作り出す薄暗い空間。
他は闇と空気、空間が調和し同化する。
部屋にはこれだけだ。
しかし部屋の主は神妙な面持ちで、彼女の表情はかなり張り詰めている。
デスクに座っていた理香は一呼吸置いてから
研究所から貰ってきた、封筒に視線を落とした。
視線の下に在るのは__DNA鑑定書の結果。
小野千尋との姉妹関係は本当か否かを示す唯一の代物。
此処に、全ての答えが載っている。
本当か否か。この封筒に入っている内容が全てを示し決めてしまうのだ。
理香は、
微かに震えを見せた自分が緊張している事に気付いた。
正直、躊躇いが無いと言えば嘘になる。
あれだけ頭を悩ませた、
今も心に佇む疑念も、これを見れば解消される事だ。
募る不安に、首を横に振り掻き消すと
(____どうなるのか、なんてもう思わない)
頬杖を付いて、理香は視線を伏せた。示される現実は、どうもならない。
この結果次第で自分の今まで抱いていた感情が覆されてしまうだろう。
自分の状況も感覚も変わってしまうかも知れない。
結果は変わらないが、自分はどうなるのだろう。
だが。
腹は括った。全てを受け入れる覚悟も、理香は用意していた。
複雑な心境で、封を開ける。
対象者
椎野 理香(26)
小野 千尋(27)
血液型:A型 (RH+)
姉妹確率:0%
“同上の結果により、
椎野理香、小野千尋との姉妹関係は否定とする”
結果は、白。
確率のパーセンテージも見詰めてみるが、
全て一つも掠りもせず一致していない。
小野千尋との姉妹関係はない。それはつまり、
小野順一郎が父親である事も否定される事だ。
理香は目を見開き、正面に視線を移す。
「……………」
(____関係ないのね、私は)
思考が違うと悟った瞬間に
肩に乗った重荷が軽くなり、心に佇み引っ掛かった霧が明けた。
小野順一郎が父親ではない。千尋と自分自身は異母姉ではない。
自分は小野家とも、順一郎や千尋とは無関係という事だ。
全ては否定された。
事の白黒が付き、否定された事によって心が楽になった反面、思う。
では何故。
彼は心菜が自分の娘だと、思い込んでいるのだろう。
風が強い。
窓から侵入した寒く冷たい風は、身を震わせる。
小野順一郎の書斎。書斎部屋から見える夜空の景色を見詰めながら、順一郎は、奥歯を噛み締める。
テーブルデスクに広がった書類物。
それは行方不明である、森本心菜の行方を知らせる報告書。
順一郎は、気を揉んでいた。
依然として
探偵所の報告は、似たような物ばかり。
森本心菜は見付からない、行方知れずという結果のままだからだ。
(____何故、見付からないんだ?)
探偵事務所を変え、調べさせても、どれも結果は同等。
どんなに優秀な探偵に依頼しても、心菜は見付からない。
毎回届く報告結果は、行方不明というものだけ。
彼女の行方は全く掴めない。
資産家・小野家は、不動産王。
小野家には、跡継ぎが必要となる。
自分には一人娘が居るが、正直言って、
娘は_千尋は、『資産家のお嬢様』というだけで、
実家が何をしているのか、自分の立場は何なのかという自覚がない。
自由奔放に我が儘に、小野家の現状を知らず生きているだけ。
そんな、娘に自分自身の後釜を任せるつもりは更々ない。
繭子に娘が居るとなれば
その娘は、紛れもなく自分自身の娘であろう。
せっかくならば、愛した女の間に授かった娘に跡を継がせたい。
彼女に自分の後釜を任せ、小野家の跡継ぎとして生きて欲しい。
心菜の存在を知った際に、そう思った。
妻とは、家柄が決めた政略結婚。
自分自身には彼女への愛情は微塵もない。
対して自分自身の全てをかけ、愛していたのは、あの森本繭子だけ。
繭子よりも先に娘を、見付けてしまいたい。
順一郎はそう思っていた。
__________休日。
歴史を刻み込んだ喫茶店。
其処は空気と調和し、落ち着いたシックな音楽が流れている。
あまり一目に着かない喫茶店に、理香と芳久は会っていた。
「___否定された、か」
「___ええ」
青年は鑑定書の結果を見て、悟った表情を浮かべた。
椎野理香は小野順一郎の娘ではない。という事だ。
「………ありがとう、芳久。
これですっきりした。お陰で気持ちにも整理が着いたから」
「それなら良かったよ。けれど、裏を返せばややこしなるよな、これは………」
芳久は、額に杖を着く。
理香はそんな青年の様子に、不思議と疑問に思った。
なんだか前よりも、無性に窶れて疲れた様な眠たげな表情をしている。
最近は、そんな面持ちの青年しか見ていない。
プランシャ理事長_父親との関係や
兼任社員として慣れないJYUERU MORIMOTOの勤務の疲れだろうか。
あの会社は表向きは華やかではあるが複雑であるし、内情も厳しい。
「___こういうのも難だけれど、芳久、JYUERU MORIMOTOには慣れた?」
「___うん」
「複雑でしょう? 疲れてしまうよね」
「まあね。でも理香。俺は大丈夫だよ?」
理香の会話に芳久は気付き、はっとする。
(___駄目だ、悟られてしまう)
もし理香に悟られてしまっていたら、
否、自分を蝕む病気の事は、誰にも知られてはならない。
特に悟りの早い彼女には、余計な心配事を増やしたくはなかった。
だが。
腫瘍肥大化、癌の進行が早い事も現実だ。
最近は倦怠感を覚える機会も、頭痛に苦しむ機会も増えた。
今だって、いつ頭痛に襲われるか分からない。
幸いか否か、
今日はこの後、通院だ。
時間に余裕はあるが先に切り上げてしまおう。
「__じゃあ、俺は行くよ」
「………うん」
金を出してから立ち上がると、芳久は微笑んで見せた。
そのまま背を向けて、店を去ろうとした刹那。
突如にして視界が上下に揺らいだ。
刹那、地に足が付いていない感覚に襲われ
まるで絞め縄で絞められ引っ張られたかの様な、激痛が走る。
激痛と共に受けた衝撃に、地に倒れたのだと知った。
急激に薄れていく意識の中、
激痛に支配され、眩む視界に映ったのは、やはり“彼女”だった。




