第120話・悪魔の逆襲劇
鏡に映るのは、窶れた女だった。
破棄を無くした老婆の様な出立ちの女。
小鳥の囀り。
朝を告げる合図が、耳に届いている。
連日連夜の不安定な天候も安定しつつあった。
肌に厚くファンデーションを塗り、
目元に濃くアイシャドウやチーク、深紅色のリップを唇に塗る。
髪をヘアアイロンで巻いた後、カールした髪を軽く持ち上げ
手櫛で整えれば、自分自身の知っている森本繭子が、鏡に映った。
朝から念入りの化粧。
流石、化粧で女は化けるとは言う物だ。老婆の様な女の姿は消えてかなりの厚化粧だが、鏡には本来の森本繭子が映っていた。
(___ただでは、済ませないわよ。………椎野理香)
底知らぬ憎しみが湧き出てくる。
娘への憎悪は、留めを知らず増殖するばかりだ。
日に日に溢れていき、繭子の腹の虫は収まらず、思う度に憎悪が先走った。
此方も負けては居られない。
椎野理香、自分を奈落に突き落とした女の意のままではいさせない。
必ず、JYUERU MORIMOTOの女社長として華やかな脚光を浴びてみせる。
全てを復帰させて注目を受ける、という悪魔の欲望は繭子の心の中で大きく生まれていた。
だが。
自信満々な欲望に満たされていく中で、
不意に、昨日奴に言われた言葉が脳裏を霞めた。
『私を、娘だと明かしたら、“あの事”がバレるもの、ね?』
あの事。
あれは思い出すだけでも気分が悪く様な話だ。
華やかな社長の地位やキャリアを揺るがし、崩れかねない。
不安が募る。
(あの事が、もし_明らかになれば)
社長生命には、致命的なもの。
一瞬だけ不安が過るが、首を横に振って否定させると掻き消す。
所詮、小娘のお伽噺。
あんな出来事、等の昔の話だ。
今更、出てきても何の問題ないだろう。
椎野理香、彼女を娘だという事を明しても支障は出ない。
今、繭子を動かしている原動力は、椎野理香への憎悪のみ。
椎野理香から脅しを受けても、憎悪の腹の虫が収まらない故に。
今は彼女への屈辱を晴らす、今はそれしか脳裏にしかない。
脅しの内容など、繭子にはどうでも良かったのだ。
(あんな出来事、関係ないわよ。だから、平気な筈よ_)
ふっと、繭子は微笑う。
鏡の中の“悪魔”も、深い欲望に満ちた頬笑みを浮かべていた。
世間は、ざわめく。
あの問題ばかりを巻き起こしてきた、ジュエリー会社・JYUERU MORIMOTOが、何の予告も無しに営業を再開したというのだから。
またかという感情を覚えながら
マスコミも再び、JYUERU MORIMOTOにスポットを当て始めた。
JYUERU MORIMOTOと聞けばまた、という感情が過るが、内容は毎回、斬新で衝撃を与えるものばかりだ。
やがて、マスコミ関係者の間で
いつしか森本繭子に付いたあだ名は『騒がせの嵐の女』。
嵐の様に回りを騒がせて、一旦消える。
それを森本繭子は繰り返しているからだ。
出社するとプランシャホテル、エールウェディング課もざわついていた。
いつもは静かな会社のざわつきに、何事かと思い理香はキョロキョロと辺りを見回す。
どういう事だろう。そう思っていると、見慣れた青年が軽く手を上げて此方へ来た。
「理香、おはよう」
「……おはよう」
(___この様子だと、知らないな)
不審そうに辺りを見回す彼女に芳久は理解を示しつつ
何も言わずに自分の携帯端末を持ったまま見せる様に差し出す。
理香は芳久の携帯端末_画面に映ったのはネット記事。
理香は、呆気に取られ目を見開く。
___JYUERU MORIMOTO、異例の営業再開。
___森本繭子社長、満面の笑みで出勤。真相については一切語らず。
ネット記事には、確かにそう書かれ
撮られた写真は、自分が見ていた覇気を無くした顔ではなく、『ジュエリー界の女王』と言われた女が居た。
JYUERU MORIMOTOの営業再開は予想していなかった。
悪魔は何を考えている?
(___森本 繭子、何を考えているの………?)
__JYUERU MORIMOTO、社長室。
世間からは、激しい批判が流れる中で
復帰したJYUERU MORIMOTOの営業は無事に終えた。
社員も動揺を隠せなかったらしい。が、自分自身さえ無事で良い繭子にとってそんな事はどうでも良かった。
社長室のデスク。
繭子はデスクに視線を落としながら、社長椅子に腰かけた。
悪魔の玉座。座った途端に自然と微笑みが込み上げて来、高らかに微笑する。
久しぶりに座ったが、やはり
この社長室の玉座に座るのは、気分が良い。
回転式の椅子を座ったまま、くるりと後ろへ回した。
社長室の窓からは町を一望出来る。
今まで不安定な天候ばかりだったが、今日は雲りの中でも少し晴れ間が伺えた。
そんな空は夕暮れに近付いている。
そんな景色を見詰めながら、悪魔は笑う。
(___そうよ。あたしは、こうでないとね)
高貴な夫人。華やかな社長。
やはり自分はこうでないといけないのだ。
椅子を戻し、デスクに置かれたティーカップに視線を落とす。
秘書に用意させた紅茶、ティーカップを持ち上げる。
淡い優雅な香り。
それだけでも、気分が高揚した。
そんな時。
コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
(___来たわね)
「失礼致します」
見るからに人が良さそうな顔立ちと雰囲気。
社長室に入ってきたのは、自分が娘の婚約者に指名した青年だった。




