第118話・奪う者同士の再会
「____来ると思っていたわ」
理香は頬笑みを浮かべながら、そう告げた。
繭子は両手で口許を押さえる様な仕草のまま、固まっている。
まるで怪物を見たかの様な表情を浮かべ、驚きを隠せない。
何故? 何故、彼女が、彼女が自分のテリトリーにいるのだ。
(____予想通りだったようね)
理香は、夜景からドアの前で固まっている悪魔に近付く。
デスクの脇の隣に片手を置いて、止まった。
繭子は驚きの表情と感情を抱えたまま相変わらず動かない。
そんな繭子に、理香はそっと微笑した。
会社から出てからも収まらなかった良からぬ悪い予感の胸騒ぎ。
これは普通の事ではない、と判断した理香はそのまま、
JYUERU MORIMOTOへと向かっていた。
報道後、微塵の変化も見せない森本繭子に、飽きたのか
もうJYUERU MORIMOTO社の前には、マスコミ関係者も記者もいない。
けれど止まない胸騒ぎは、
この場所になにかあるのでは、と無性に感じた。
社内に何も無かったが、理香はこの胸騒ぎの原因を知っていた気がするのだ。
___予感は、的中した。
悪魔が訪れる事を、胸騒ぎとして忠告していたのか。
固まったままの繭子に、理香は微笑しながら言う。
「どうしたんです? 固まったまま?」
「あんた_!!」
何も変わらない変わらない微笑。
佳代子が浮かべていた頬笑みと瓜二つ。
目の前に居るのは、佳代子の面持ちをした娘。
忘れていた佳代子への、
思い続けていた心菜への憎悪が益々 湧き出して止まらなくなる。
奥歯を噛み締めながら、繭子は
感情の赴くままに理香へと近付き、そして腕を振り上げた。
「____何をするんですか?」
微塵も変わらぬ、冷静な声音。態度。
繭子が、感情のままに
理香を叩こうとしていた腕は、彼女によって止められる。
理香は繭子の手首を掴みながら、やや怪訝な表情をしていた。
華奢な手にしては、握力は力強く掴まれた腕は微塵も動かせない。
「___感情だけで、動くのは止めなさい? 見苦しいわ」
「あんたがあたしに上から目線で言える立場?
大人しいふりをして、
よくも_このあたしを、惨めに晒してくれたわね!?」
腹の虫、憎悪は留まらない。
悪魔の叫びが、社長室に響く。
繭子は鬼の形相で、天使に食ってかかったが、理香の表情は変わらないままだ。
理香は冷静にただ繭子を見ていたが、軈て彼女の手を離す。
そして。
「…………気付くのが遅いわ。
惨めに晒されて絶望して、塞ぎ込んでいたと思っていたけれど、やっぱり貴女は執念深く蘇るのね」
理香は憂いの目を伏せながら、そう呟く。
悪魔が天使に絶望に落とされ
塞ぎ込んでいたのは確かな事実だが、ムカデの様に蘇るのも事実だ。
「あんた偽善者だったのね………。優しいふりをして近付いて、
あたしのものを奪って、惨めに晒して………最初からそういう魂胆だったの?」
繭子の怒りは収まらない。
散弾銃の様に相手へとそう叫ぶと、理香は悟った表情で俯き
手に視線を落とし微笑う。
暗闇の部屋に、僅かに灯された淡いランプ。
ディスプレイウィンドウから一望できる夜景の光り。
表情は見えないが、端正に整った横顔だけが見えた。
それはまるで、天使の様に、女神の様に美しい。
彼女は、己の手を見詰めながら
「そうよ。最初から計算付くだった貴女を知った瞬間からね。
復讐の為に貴女に近付いたの。
復讐の為に近付いた。それだけよ。
復讐以外に貴女には近付いたり、関わる必要なんてゼロでしかない」
「____っ」
「___あの日、“私の秘密”を知った日から、貴女に憎しみを抱いたわ。
でも。あの頃の私では何も出来ない。
だがら。力を手に入れた。大人という権利を、そして_椎野理香という人間を。
ただ、それだけ」
理香への言葉に熱が籠る。
自分自分を知り、この悪魔への憎しみを抱いた瞬間を。
子供であり、“森本繭子”の娘という弱い立場を消し殺し、
大人になり悪魔の鳥籠を壊し飛び立つ代わりに“椎野理香”という人権を手に入れた。
繭子の中で湧き出てくる。怒りと、憤り。
椎野理香の表情は、冷静沈着のまま微塵も変わりやしない。
憎悪が交差する中で、繭子は腹の底から、叫ぶ様に言った。
「JYUERU MORIMOTOは、あたしだけで、あたしの一代で創り上げた会社なの。誰にも真似の出来ないあたしの会社よ。
会社も、あたしも華々しいものだった!
それを………貴女は、簡単に、壊したわね!?」
JYUERU MORIMOTOは自分自身が、一代で築いた会社。
誰にも真似の出来ない、自分だけの華やかなお城。
感情が高まり、思いのまま言葉をぶつけたせいか、繭子は肩で息をしている。そんな状態だった。
繭子の怒りに、理香は微笑しながら言う。
「___それは、異父姉に、与えられる筈だった権利を奪って?」
異母姉。そのワードを告げた瞬間に一瞬、繭子の表情が固まる。
相手の痛い所を突いた所で、理香は視線を移しようやく繭子に向けた。
あれだけ感情の赴くままに
叫んでいた人間が、急に大人しくなったのだ。
だが。
(何故なの?)
椎野理香が何故、異父姉の存在感を知っている?
森本佳代子の存在は、絶対に耳には入れなかった筈だ。
心菜は知らない筈なのに。娘の耳の入れた事なんて一度もなかったのに。
理香は、薄い微笑を浮かべながら、一歩だけ近付く。
「____森本佳代子。忘れる筈ないわよね」
森本佳代子。
忘れようとしても、忘れらない。
それに、森本佳代子の容貌を持った彼女が、此処にいる。
「___私があの人にそっくりだった事、そんなに憎かった?」
両手を持ち上げ、その両手は繭子に触れる寸前で止まる。
相手は、あの頃より背丈が高くなっていた事に繭子は気付いた。
………彼女の背丈は、自分自身が見下げられる立場になったのか。
理香の謎の威圧感に、繭子は何も言えない。
天使は、悪魔に向けて深い微笑を浮かべつつ
「…………」
「いいえ。忘れさせはしない。
私を見る度に、異父姉の_佳代子叔母さんを思い出していれば良いわ」
首を少し傾けて、理香はそう告げた。
心菜の面影はもう微塵もない。佳代子に似た_佳代子でも、心菜でもないと感じる。
だが。どれだけ否定したとしても、紛れもなく目の前に居るのは、自分自身の娘。
「何の為に___こんな事を!?
あんたは、心菜は、こんな仕打ちをしない、出来ない筈よ!」
心菜。
そのワードを出した途端に、理香の瞳は冷たくなる。
それは一度 触れれば凍ってしまいそう、思う程に。
「………心菜か。
懐かしいわね。でも、心菜は、もういない。
あの子は死んだのよ? 私が、殺したの」
そう呟きながら浮かぶのは、深い微笑。
それは
心菜が浮かべたものではない。理香が浮かべたものだ。
森本心菜と椎野理香は同一人物な筈なのに、繭子はどうしても心菜と理香が同一人物とは思えない。
「____何を言ってるの?」
「言った通りよ。森本心菜は、貴女の娘はもういない。
私は椎野理香。貴女の目の前にいるのは、貴女の異父姉にそっくりな__他人なの」
繭子は、絶句した。
そして、ある事に気付いた。
(____どうして、何も言えないの)
どうして、自分から何も言い返せないのだろう。
昔は何でも言い返し、威圧感で彼女に物を言わぬ様に操縦していたのに。今は、それが出来ない。
しかし、憤りや怒りは十分、繭子の中に留まっている。
理香を見た瞬間に、蘇った感情は変わらない。
理香への憎しみで、我に返った繭子は告げる。
「___良い身分ね。けど、貴女には此処で終わって貰うわよ」
「……………?」
理香は、首を傾けた。
繭子には、ある“計算付くの計画”を握っている。
「貴女は、あたしの娘。
娘が見つかったとなれば、“あたしの娘”としての役割を果たして貰わなきゃ」
繭子は、言う。火種を。
「世間にあんたが、あたしの娘だと言うわ」
そうだ。
理香が心菜で同一人物というのなら。
自分の計画を、娘として、果たして貰わないと。
(____あたしを惨めにした、見返りを渡しなさい)
そんな繭子の言い分に、理香は一瞬驚いた表情をしたが
やがて悟った表情を浮かべて言った。
まるで、嘲笑うかの様に。
「___相変わらず、自分勝手な人なのね」
怒りを通り越して、呆れた。
自分勝手な、その性格や欲望、微塵も変わっていない。
だが。
「___言った筈よ。貴女にも何も残ってはいないと」
「それが何よ」
「今の貴女は、提携会社を裏切った裏切り者。自分の学歴や会社の功績を詐称した人間。まあ前者のイメージが強いわね。
そんな女社長の話に誰が耳を傾けると思う?」
天使は、嘲笑ながら、そう言った。




