第117話・奪うのは、どちらか
___プランシャホテル、廃棟。
無人化された廃棟の一室。
普段は誰も訪れる事はない棟は、
薄暗く陽の光りだけが、道を露にしているだけだ。
そんな中で、こつこつと響く靴音。
ふらふらと覚束無い(おぼつかない)足取りで、
意識を留めながら、青年は住み着いている部屋のドアを開けて、部屋に雪崩れ込んだ。
ベッドの傍ら屈むと、刹那に頭に激震の様な痛みが走る。
標縄で締められる様な、重い鉛が乗せられている様な感覚の_耐え難い痛み。
「_____っ………」
頭を押さえながら、青年は項垂れた。
ポケットに入れていた携帯ケースから、錠剤を数錠、取ると口に入れて水を一口飲み干す。
苦しみの中で、一息着き頭を押さえつつ芳久は思う。
(____そろそろか)
命の時間が、期限が迫っている。
病魔は確実に一分一秒と自分自身の体を、頭にある腫瘍は着実に身体を蝕んでいるのだ。
痛みを押さえながら、自分自身を支配する頭痛を理解する度にそう実感し始め身に染みた。
空は曇り空だった。
あの豪雨は止んだが、いつまた空模様が変わるかは分からない。
顔を見られない様に隠し、変装を施した末に
繭子は会社に向かい進んでいた。
だが。身に染みる様な冷たい寒さの外気に、思わず繭子は身を竦めそうになる。
暫く家に出ていなかった上に、家は暖房器具をフル活動させて
ずっと温室に居たせいか、外の冷たい極寒の寒さは、悪魔の身に辛く映り感じた。
でも。
このままでは居られない。
このままでは、椎野理香に、心菜という娘に取られてしまう。
そんなのは自分自身の気高いプライドと、憎悪という腹の虫が収まりやしない。
(___許さないから)
その瞬間、石に足を取られ躓きかける。
反射神経が働き、電信柱に手を付いた。
「_____…………」
痛みはない。
だが、心の中で娘への憎悪が止まらない。
蛇口の水を憎悪に例えれば、それを捻り出したかの様に湧いてくる。
(____そうよ。昔から、あの子はそうだった)
昔からそうだ。
心菜は、自分自身の言う事を聞いていた。
しかしそれらは全て裏目に出て、聞いていなかった。
自分自身の華やかさが増す飾りとして
子供を用意した筈なのに、その子供_心菜は、
自分自身を、母親を裏切り雑草の様に踏みにじった。
心菜は、佳代子にそっくり。
理香も、佳代子に生き写しの容姿を持っている。
______けれど。佳代子とは、何処か違う。
「____心菜の思惑通りにさせないわよ。
あの会社は、あたしのもの。あたしが作り上げたの。渡しやしない……」
そうだ。
佳代子に渡る筈だった権利も名声、全て自分自身が手にした。
だからこそ権利も名声も欲しくて自分の物になる様に、あの日、佳代子に…。
そう悔しさの中で、
振り返った記憶を、繭子は首を横に振り否定した。
違う。もう昔の事だ。それに、“あの出来事”は自分のせいではい。
繭子は自分自身にそう言い聞かせ、再び歩き始めた。
冬の日暮れは早い。
もう空は濃紺に、だが、灰色が交ざり相変わらず雲居きは怪しい。
退社時間になり、仕事を終えた理香はプランシャホテルを出、
そんな空を見詰めた後で、腕時計に視線を移し、“今”を見詰めた。
覚えた胸騒ぎは、止まない。
忘れる事もなく心で静かに騒いでいるままだ。
良からぬ悪い予感がしてならない。そんな良からぬ予感に、理香は目を伏せて、そして気付いた。
(____まさか、ね)
胸騒ぎは止まない。
だが理香の脳裏にある事が浮かび、気付いた。
この良からぬ悪い予感は、普通のモノではないだろう。
こんなに胸騒ぎが続いて止まないというのなら、心辺りは一つしかないだろう。
(_____まだ、間に合うわね)
再度、時計を確認し、理香は地を蹴った。
なんだか、あの女に自分自身のモノを奪われてしまう気がした。
もう繭子に自分自身を、奪われてしまうのは散々だ。
同じ過ちを繰り返しはしない。
(_______貴女の大切なものを、根こそぎ奪ってやる。
自業自得の過ち、それが報いよ)
心菜に、椎野理香に、奪わせやしない。
誰がなんと言おうと紛れもなく、JYUERU MORIMOTOは自分自身分の会社なのだから。
__憎しみを抱く、あの女には譲りも奪われもしない。
会社に来るのは、何ヵ月ぶりだろうか。
JYUERU MORIMOTOの周りには、マスコミ関係者はいなかった。
活気を失い無人と化した会社は、置き去りにされた様で寂しく思えた。
自分自身だけの会社を切ない目で見詰めながら、繭子は、会社へと入っていく。
会社に明かりはない。
しかし、自分自身の全てである砦である会社。
自分自身が一番、この会社を知っている為か、迷わず社長室を目指した。
エレベーターに乗り込み、最上階である社長室に着くまで待つ。
社長室のある最上階へ、エレベーターのデジタル画面が数字が示すのさえ、もどかしく感じた。
___だが。
(____なんなの?)
それは違和感。
階数が近付く度に、存在感を増して自覚する。
胸騒ぎ。
急に胸騒ぎがして、心が揺らぎ始めた。
今までしなかった事なのに、今更何故、胸騒ぎがし始めたのだろうか。
止めて、と自己暗示しても胸騒ぎは止まない。
そんな中
ポーン、と最上階へと着いたと知らせるベル。
デジタル画面が移す、最上階の数字を見て、息を飲んだ。
繭子は、己の胸を押さえながら、足を進めた。
廊下にあるのは、悪魔の姿。__繭子の影だ。
薄い闇の廊下に、こつこつという靴音だけが廊下に木霊する。
そして、社長室の前に立ち、社長室のプレートを見詰める。
プレートを見た瞬間に、胸騒ぎからの安堵感に包まれた。
自分自身の砦に帰ってきたと思うと、笑みさえ溢れた。
そのまま、勢い良くドアを開けて入る。
だが、繭子が安堵感を覚えたのは一瞬だけだった。
社長室に、入った途端。
繭子は愕然として、開いた口が塞がらなくなった。
何処の部屋も明かりは付いていない。なのに。
社長室にほんの僅かに灯された淡いランプ。
社長室の真ん中、社長の玉座の隣には女が居た。
背に流された長い髪が少し揺れた。
(___どうして__)
愕然と立ち尽くす悪魔に、“彼女”は、振り向いた。
髪の一房が振り向いたと同時に揺れ、また背に流れた。
端正な顔立ちに、淡く浮かんだ頬笑み。
あの女と微塵も変わらない容貌が、容姿が、其処にある。
彼女は頬笑みを浮かべたまま、
「___来ると、思っていたわ」
天使は、冷静な声音で、そう呟く。
社長室の窓から見える夜景を見詰めて居たのは。
____椎野理香だった。




