第115話・悪魔の嘆き
佳代子は、何故、死なねば為らなかったのか。
そして何故“自分自身”は、佳代子の容貌を持ち、生を受けたのか。
神の悪戯なのか。それとも、
言葉に為らなかった佳代子の、
繭子への怨念を晴らす為なのだろうか?
それは、誰も分かりやしない。
「……………」
雨音だけが、叩き着ける。
ドアを開けるとかなり空が泣いていた。
見上げた空は予想通りの灰色の暗雲。
手を差せばぽたりぽたりと、冷たい雨粒が触れる。
生憎、傘は持って来ていなかった。
(…………このまま、帰るしかないわね)
傘がない以上、このまま帰るしかない。
冷えた体を抱えて家路に着いてから、風呂に入り熱を被るしかないだろう。
そう思うと森本邸から抜け出し、道路に出て歩き出す。
冷たい雨粒が、容赦なく見に染みる。外気も思っていたより寒いものだった。
雨に濡れつつあったが、不意に、雨粒と遮断された。
少し見上げると、夜空の様な濃紺の布が見え其処に雨音が鳴り渡る。
傘の差し出されたのだと思い視線を横に流すと、心配そうな面持ちをした青年が、此方を見ていた。
「………芳久」
「この雨だと、風邪引くよ。確実にな」
「………でも」
芳久は、傘を差し出す。
だが理香は躊躇い、差し出された傘を持とうとはしなかった。
そんな理香の解っていたのか、芳久は片手に持っていた傘を見せると呟く。
「大丈夫。俺の分もあるからさ。気にしないでよ」
「………そう。ありがとう。じゃあ、借りさせて貰うわ」
理香の表情は、何処か疲れている。
元々、物憂げな表情と顔付きに拍車がかかった様に見えた。
深くは突っ込むつもりはないが、母親と攻防を、かなり一悶着したのだろう。
影の噂では森本社長は感情的だと聞く。
実際、森本邸の庭に隠れていた芳久の耳にも、
森本繭子の怒号は走り十分に聞こえていた。
(____森本社長は、理香の事を知ったんだろうな)
あの尋常ではない怒号を聞けば、何となくだが伝わった。
それに何よりも理香の見せる表情が物語っている。
疲れ伏せた横顔は、尊く儚げで今にも消えてしまいそうだ。
それともう一つ、芳久は気になる。
「………それより、大丈夫だった? 怪我とかはしてない?」
「うん、平気よ。あの人はかなり荒れていたけれど」
虐待を受けて育った、と理香から聞かされていた。
森本社長は怒号を撒き散らし、怒鳴り声や物音も聞こえていたので、理香が怪我をしていないか芳久は気掛りだったのだ。
見るに理香は家に入る前と、微塵も変わっていない。
想像するにまだ、悪魔は泣き叫び暴れているだろう。
暫くはあの状態が続くと思うが、一人で勝手にすれば良い。
勝手な自己欲望の招いた末路に、一人遊びの様に暴れていれば良いのだ。
「…………私が娘だと、バレたわ」
「そっか。何となくそんな事だと予想してた。けれど無事で何よりだ」
「………あの人が、これからどう出るかは分からないけれど」
森本繭子がこれからどんな行動を起こすのか。
まだ分かりやしないが、大抵 あの女が起こす行動は良からぬ行動ではないだろう。
__森本邸、リビングルーム。
リビングでは悪魔の嘆きの叫びが酷く木霊し、響き渡っていた。
混乱した頭から吐せる感情は大声になっていく。
「___どうしてなのよ!!」
繭子は泣き叫びなから、衝動的に机に有った物を滑らせる様に床にばら撒き、辺りある物を投げた。
リビングはますます荒れ果て、手当たり次第に投げた物が散乱し、取り返しの付かない有り様なっていた。
けれど、部屋が荒れていくのもお構い無しに
繭子は自分自身の憤りの感情を赴くままに無我夢中にぶつけた。
泣き叫びながらやり場のない感情と行動を起こしたせいか、呼吸が乱れ肩で呼吸をし、疲れを覚える。
肩を息をしながらも
そのまま倒れる様に泣き崩れ、繭子は蹲った。
憤りが止まらない。
華やかな自分自身を惨めにさせたのは、椎野理香で___。
彼女が心菜だったなんて。
信頼していたのに、可愛がっていたのに。
まさか彼女が全てを壊した首謀者だったなんて。
彼女によって全て奪われ壊された。それを、自分自身は何も知らずに。
裏切られた怒りと失望感とショック、全てを奪われた嘆き。
どの感情も自分自身には初めて知り、味わう挫折という毒薬。
ぐちゃぐちゃになり、どうしようもない感情を何処にぶつければ良いのか。
そのまま悪魔は泣き叫び続けた。
綺麗に整頓された部屋。
それらが闇に落ちて、明り一つは灯されていない。
重苦しく気怠い疲労感と倦怠感を覚えつつ
風呂上がりに一息着きながらも、理香は映されたパソコンの画面の映像を冷ややかに見詰める。
映された映像は、森本邸のリビング。
理香がこっそり仕掛けた、フル稼働の監視カメラだ。
自分が去った後の悪魔の様子を見ていた訳であるが、
悪魔は我を失い、叫び、暴れ、赴くままに吠えている。
その映像を見ていた理香は、呆れていた。
だが。
我を失い狂い叫ぶ彼女の様子に嘲笑を浮かべる。
これこそが自分自身の望み、見たかった相手の姿かも知れない。
ただ。
(___良いわ、今は嘆く時間を与えてあげる。
今のうちに嘆いていなさい。でも、)
まだ、解放はしない。
まだ追い詰めてやる。
(___私は、貴女を、奈落へ落とせたのかしら?)
悪魔から生まれた天使は、そう嘲笑った。
………本人も知らない意識の奥底で。
『小話・物語の補足』
母娘の攻防戦の間に
復讐者を待っていた青年は、テントを自前持参し
今のうちにとくつろいでいた、というのは内緒の話である。
………世界観をぶち壊す様で、申し訳ございません。




