第114話・実娘の本性
繭子の中にある、心菜は
大人しくも脆く弱々しい様な少女だ。
ずっと憎んでいた異父姉とそっくりな容姿を持った、自分自身にとって最も憎い存在。
心菜は容姿も性格も、全てが全て、佳代子に似ている。
まるで、佳代子の生まれ変わりと言わんばかりに。
これは、天の悪戯だったのか。
森本邸に佇むのは、暗闇と沈黙。
空は、灰色の暗雲。
豪雨と呼べる雨が降り出し、
雨粒は窓を叩き着け酷い雨音を鳴らす。
陽が暮れた森本邸は、娘の今まで隠れていた闇、母親の消沈を現していた。
暗く沈んだ部屋の中で、理香は無慈悲な眼差しで繭子を見下ろしている。
しかし。
予め時間設定してあった部屋の照明が、暗い部屋を点し始めた。淡く優しい色合いのランプが、次々と部屋を灯していく。
この優しい色合いが、
綺麗で癒されるとさえ思っていたのに、
今はそれすらも感じる余裕はなかった。繭子の心は消沈していた。
(___佳代子も、心菜も、こんな仕打ちなんてしない…………)
二人とも、物静かな人間だけだと思っていたのに。
繭子は意気消沈して俯いていた顔を上げ、
睨んだ眼差しと面持ちで、目の前に居る娘を見上げた。
恐怖心を抑えながらも、腸から込み上げるのは憎悪の怒りの炎。
「___最初から知っていたの? 知った上でこんな仕打ちを?」
声は震えていた。
そんな怯えていた繭子に
理香はふっと微笑を浮かべ視線を反らす。
この悪魔は、何を言っているのだろう。
まだ、自分自身に向けられた仕打ちの事実を受け入れられないのか。
「___何か、言いなさいよ!」
繭子は手を払いながら、声を荒げた。
繭子の気性にも理香の表情は微塵も変わらず、冷静沈着なままだ。
そして嘲笑いの表情を浮かべながら
「___そうよ。私が害の無い人間だと思った?
貴女は何でも自分自身の思うようにしてきた人間だったわよね。
易々と私を取り込もう、なんて思っていたんでしょう?」
理香は諭す様に、何処か嘲笑う様に呟く。
理香の言った事は正論であり、図星だ。
自分自身が、彼女を見つけた。
彼女を見た瞬間に、欲しい人材だと思ったのだから。
彼女を自分自身の懐にさえ入れて、手に入ったとすら思っていた。
椎野理香に近づけた事は幸運と思っていたのに、まさか最大の不幸だったのか。
理香の見せる表情は、刹那的で何処か殺気立っている。
根付いた恐怖心は消えない。繭子は引きながらも、理香を見ていた。
理香は冷静に一つの声音も変えぬまま、言う。
「“あの秘密”を聞かされてから
私はずっと貴女を、いつか破滅させようと思ったわ。
でも、貴方は簡単に引っ掛からないと思っていた。けれど
嘲笑ってしまう程に思っていた以上に貴女は単純だった。少し親身になって優しいふりをすれば、貴女はすぐに飛び付いたんだもの」
全ては計算付く。
計算し付くした上で、母親という悪魔に近付き、全てを奪った。
難航するだろうと思っていたのに、少しでも優しい素振りを見せれば、悪魔は罠に嵌まった。
(___思っていたよりも単純な人だった。
母親という事もあって、最初は引いていたけれど)
遠い昔。あれだけ自分自身を潰してまで
母親に振り向いて欲しかった。
だから最初は彼女が、母親として理香は見ていたが、今は違う。
目の前に居るのは、ただの欲望の塊。
悪魔に成り果てた女。
自分の生みの親である等、考えられない。考えたくない。
「何よりも、自分の身が、自分自身の地位が可愛いんだものね。
全て解っていたわよ。だから、貴女が執着していたモノ奪い、
貴女の素性を売ったの」
(____貴女を見る度に憎悪が増していたの)
理香の中で、もう繭子が母親という認識も感情はもうない。
憎悪の微笑みを理香は、狂気として秘めていた。
目の前に居るのは、佳代子の生き写し。
そして、自分自身の娘。けれど、理香_心菜が見せる表情は、とても佳代子にも心菜にも似ていない。
本当に、自分自身の娘じゃない。だが佳代子でもない。
佳代子や心菜の容姿に似た、ただの“椎野理香”としての復讐者でしかない。
佳代子の面を持った心菜だろうが、彼女は何一つ心菜と被らない。
全くの別人だ。
どうして、こんな事に。
こんな惨めに、惨い仕打ちの出来る女だったか?
ただ何も言えない大人しいだけの人間と思っていたのに。
「貴女のモノは、全て奪われたの。
名誉、地位、品格。全て残らずね。
今の貴女に残っているモノはもう何もないのよ?」
理香は、首を傾け嘲笑う様に告げる。
(そうよ、あたしは、全てこの女に奪われた)
もう残されてはいない。
“ジュエリー界の女王”と呼ばれた高貴な婦人。
社長としての地位、名誉。自分自身の素性ですら、もう世間には出回り名誉挽回の余地すらない。
(残ったものは、何もないの…………)
底無しの沼、失望感だけが暗い闇を佇む。
まるで全て奪われて、惨めに断頭台の前に放り出された気分だ。
心が、目の前が漆黒に塗り潰された刹那に。
「___あ、ああああ………」
溢れるのは嘆き、情けなさ。怒り、恐怖心。
繭子は、項垂れつつも___
「____あああああああああああああ___!!」
何かに引摺り込まれたかのような悲鳴が、木霊する。
悪魔の大きな絶叫が、豪邸に鳴り響く。
泣き叫ぶ繭子を、嘲笑いにも微笑を浮かべ理香はただ見下ろしている。
佳代子ではない。
けれどそっくりな顔をした女への憎悪が繭子の中で込み上げ怒りへ変わる。
繭子は立ち上がり、理香の肩を両手で掴むと揺らした。
繭子に対して理香は動じない。
目の前にあるのは、血走った鬼の形相。
欲望の塊に成り果て人間のふりをした悪魔の姿。
「あんただったのね!!
あたしをこんな惨めな気持ちにさせたのは!!
あたしの地位を奪ったのは……あたしは貴女だけを信じていたのに裏切るなんてあんまりだわ。こんな仕打ち………」
(____自業自得の、惨めな成れの果て、ね)
激しく肩を揺さぶられていたが
理香は動じないまま、繭子を引き剥がし呆気なく突き飛ばした。
肩辺りの布を軽く手で叩き、目の前で座り込み項垂れる悪魔に向けて微笑した後に言う。
「見返りが来たのよ。人を蔑んで虐め続けた見返りが、
自分自身の蒔いた種が今頃、戻り咲いたの。
……これは、自業自得としか言えないわね」
理香の言葉に感情を爆発させて
ただ泣き叫び、暴れる繭子に理香は怜悧な言葉を告げる。
哀れな女の末路。母親という悪魔を貶めた女が暴れる姿を傍観視する。
ただ。
こんな悪魔の姿を見たかった、という自分自身も鬼子か。
「………許しはしないわ。
私が貴女から長年受けた仕打ちも、佳代子叔母さんにした仕打ちも…」
(____為す術すがない今に、ただ叫んで嘆いていればいいの)
そう呟くと理香は踵を返し、
悪魔を置き去りにして、悪魔の館を出た。




