第108話・答えのない疑問
披露宴も無事に終わり、仕事を終え会社を出る。
初日からハードと言えば身も蓋も無いが、
何事もなく平穏無事に終わった事に安堵した。
厳冬は相変わらずだが、朝は銀世界だった筈なのに、
町に降り積もっていた雪は溶けて何時も通りの風景に戻っている。
振り返りプランシャホテルの建物を見詰めた後で、理香は歩き出した。
考える事が多過ぎる。
悪魔の女である森本繭子、自分自身の父親であるらしい小野順一郎。
そして__あの、謎の記者。
記者が怪しいという感情と、疑問に包まれたあの言葉。
『__僕も、貴女と一緒です。
あの女社長には、良い感情なんてないですから』
彼の見せる表情が
あまりにも儚く淋しそうだったので、その理由は問えなかったが。
(繭子を良くは思っていない?)
あの言葉の意味はどういう事なのだろうか。
考えても自問自答するばかりで答えが出ない。……疑問だけが、残った。だが。
(___あの人は、森本繭子を知っているの?)
不意にそう思う。
そんな思わせぶりな、関係がある事を彼は言っていた。
けれども分からない。脳裏を占領し巡るのは、答えのない深い疑問だけだ。
仕事に追われていれば、私生活の思考はそっちのけになる。
だが不意に一人になれば落ち込み考え込んだものだけが、
脳裏を占領して、考える度に疲れを生んだ。
第一は父親の事だ。
夢の幻想の中で、心菜が言っていた事が気になる。
不確かだが、本人の口から言っていたとすれば、きっと何かある筈だ。
__理香は、視線を伏せる。
どうすればいいのか。
先が分からない。冷静沈着な思考が濁りを見せて、
理香の思考は珍しく混濁を招いていた。
「…………っ、と」
刹那、不意に誰かにぶつかる。
不味い。自分自身が、前を見ていなかったと反省し
「すみません………」
と頭を下げた。
だか、理香は相手を見た途端にきょとんとする。
自分自身の目の前にいるのは端正な顔立ちの、見慣れ切った青年の姿。
「理香?」
「……芳久?」
ぶつかった相手は、芳久だった。
青年は頬笑んで、言う。
「久しぶりだね。大丈夫?」
「………うん……」
会うのは何時ぶりだろうか。
暫く会っていない気がするのは、気のせいではない。
だが。理由は分からないが、青年の姿を見てなんだかほっと安堵した。
「………理香?」
「………ううん、なんでもない」
視線を伏せ俯いたままの理香に、芳久は問いかける。
けれど気付いていた。彼女は前よりも疲れて、少しばかりか痩せて窶れた気がする。
それに不意に見えた表情は、儚げで今にも泣きそうだ。
「___少し、休もう?」
静観な住宅に建つ豪邸。
その前にはマスコミが昼夜問わず、張り込んでいた。
厳しい寒空の下にも負けず、昼夜問わず、豪邸の主である女社長が登場するのを待ち構えている。
だが渦中にいる主役・女社長は、姿を現さないままだ。
マスコミの熱は、JYUERU MORIMOTOの一点に集まっている。
だから誰もが森本繭子から、目を離せないまま。
電気も着けず、月明りだけが差し込む。
辺りは前よりも物や服がぐちゃぐちゃに散乱していて、更にゴミ屋敷と化していた。
そんなリビングの中で、ソファーベッドに横になっていた女は、面倒臭そうに身を起こした。
「………椎野理香が……」
ぽつり、と溢れた言葉。
彼女が、自分自身を惨めな立場に堕とした首謀者なのか。
あれだけ何事にも誠意を持ち献身的に、自分自身を支えた帳本人。
そんな彼女が自分自身を墜落させた、なんて信じられなかった。
同時に繭子の中では怒りと共にショックが生まれる。
だが____。
(このあたしを惨めに突き落としたのなら、許せない)
高貴な存在であるべき自分が、
こんな惨めに晒されているなど繭子のプライドが許せないのだ。椎野理香のせいで、JYUERU MORIMOTOは傾き、自分自身は
こんな惨めな姿さえ世に晒された。
自分自身の完璧なイメージは崩れ去り、哀れな女として冷ややかな目で見られている事は、何よりもの屈辱だ。
椎野理香が、全てを壊した。
全て奪われて、壊されて。
(_どうして、こんな事になったのよ…!)
繭子は、頭を抱えた。
夜空の空間と呼べる、広い公園。
何もない公園には片隅にベンチが置かれているだけだ。
町から少し離れた公園には、一つの物音もなく静寂が佇むのみだった。
広い公園にぽつり、と寂しげに置かれた長生り(ながなり)のベンチは
其処のベンチに取り敢えず、腰を下ろした。
吐いた息さえ凍る。
夜空には、月も星も見えない濃紺の夜空。
ぼんやりと理香はそれを見詰めて、視線を落とした。
「大丈夫?」
「__うん」
二人は少し距離を置いて、ベンチに座る。
互いに会うのも久々だ。
何もない夜空を見詰めながら、理香は口を開いた。
「………私の休んでいた間、ずっと代わりを勤めてくれたんでしょう?
任せっきりしてしまってごめんなさい。ありがとう」
「いいよ。そんなの、お互い様だろう?」
「………そうね」
エールウェディング課での、
一位二位を争うウェディングプランナー同士。
実力故に、どちらが欠勤してしまえば、そのどちらかが仕事を補うのが普段通りになっていた。
今に始まった話ではない。
また理香は視線を落とす。
芳久は人の感情については敏感だ。彼女の表情や姿を見れば、何かあったのだろう。
ぶつかって会った時も、何処か心此処に在らず状態だった。
「__それより、少しは休めた?」
「…………………」
返答はない。理香は、ただぼんやりとしているのみ。
彼女は夜空を見詰めている訳でもなく、ただ目の前を
呆然自失と見詰めていて、その瞳には生気がない。
まるで、魂を抜かれた人形みたいだ。
(……………この様子は普通じゃない)
芳久は、何処か疑問に思う。
明らかに何時もの彼女とは違う。尋常じゃない。
少し躊躇ったが、芳久はゆっくりと
手を伸ばして彼女に目の前に手をひらひらと上下させる。
その蜂蜜色の瞳も、人形の様に整った顔立ちも微動一つ、反応を見せない。
やがてその瞳から、静かに一粒の涙が流れ頬を伝う。
「………理香?」
芳久は驚く。
だが。
その瞳から零れた涙は、偽りのない涙だった。




