第97話・敷かれた宿命と共に
言葉の表現が過激なので
その面にご注意を。
冷たい床には、
粉々になった硝子の破片が散らばっていた。
形の違う破片が散乱している目の前の光景を、理香は内心冷めた眼差しで見詰めている。
「………どうしたんです?」
「ちょっと転びそうになってね。間違えて鏡と花瓶をを倒してしまったのよ」
「___そうですか」
この嘘吐きめ。
この鏡と花瓶だった硝子の破片が散らばっている理由を、
理香は知っている。__なんせ自分自身がこの壊れてしまう瞬間を見ていたのだから。
自分自身を被害者に、悲劇のヒロインに仕立てるのは、
この悪魔の得意技。
理香にとってこの悪魔の生態は、慣れているが。
内心冷めた心と眼差しのまま
理香は屈み、破片を見詰めながら言う。
「___お怪我はありませんか?」
「え、ええ………」
「なら良かったです。また掃除機をお借りしても良いですか?」
「良いわよ。でも、椎野さん………」
「気にならさないで下さい。社長に傷痕は似合いません。私は慣れているので」
「じゃあ、頼むわね」
これも自分自身を良く見せる術。
理香は手際よく、破片を片付けていく。
“彼女”にとって硝子の破片の始末は慣れっこだった。
『___どうしてなのよ!』
繭子はある意味、酒乱だった。
酒に酔うと酒癖が悪くなる。暴言を吐きながら、感情任せに自分自身の飲んだグラスや、瓶を投げて割り、硝子の破片を散らばらせ惨状を作る。
その度に、大量の硝子の破片を、
それを片付けるのは心菜の役割りだった。
硝子の破片で何度手を切り、血に濡らしただろう。
けれど手当て処か、母親は病院に連れて行ってくれる訳でもなく、悪魔は少女を嘲笑い続けた。
『惨めな姿ね』
硝子の破片が散らばった惨状を、健気に片付ける娘に
繭子は嘲笑っていたが、心菜はただ何も言わず片付けていく。
不意に見えた少女の顔立ちは、アイツにそっくりで、表情ひとつ変わらない。
だからこそ繭子は余計に腹が立つ。
(嗚呼。そっくりだ)
変わらない面持ちも、姿勢も態度も。
腸が煮え繰り変える程の
憎しみが繭子の中で湧いて止まらない。
思わず、繭子はグラス瓶を心菜に向かって投げた。
ガシャン、と凄まじい音がする。
心菜は腕で己を守っていたが、恐らく硝子が当たったのだろう。白い腕には赤い線が浮かび上がり、赤が腕に伝い歩きの様に落ちていく。
『はっ、泣きもしない。強かな子。
そんな惨めな姿もアイツにそっくりよ。腹が立つ。
一生、そんな惨めな姿を晒しなさい。あんたにはそれが似合ってるんだから!』
「………ごめんなさい」
俯きながら、心菜は一瞬
ハンカチで傷痕を止血した以外は、何事もなかったかの様に
また硝子を片付ける作業に戻った。
昔を思い出しながら、理香は片付ける。
此処に訪れる様になってからまた硝子を片付ける事が増えた。
もう何年ぶりだろうか、硝子の破片を片付けるのは。
(_____“私”である以上、
もうこの人から硝子が飛んでくる事はないだろうけれど)
幸い、浅い傷だったからか、傷痕は残っていない。
破片は片付け、粉々になった破片や見えない破片も
あるだろうからと念入りに掃除機をかける。
その姿は、シンデレラと継母の様だ。
硝子の破片の惨状だった部屋は、見事に片付いた。
隅々まで念入りに掃除機をかけたので、破片は残っていないだろう。後から何かあって後から悪魔に何か言われても困る。
自分自身も傷を作る事なく、終わった事に安堵しながら
理香は覚めた感情のまま、繭子に声をかけた。
「……お待たせしました。このまま問題がなければ良いのですが」
「悪いわね。任せっきりにして。ありがとう椎野さん」
(__ありがとう? 悪い?)
繭子の言葉に、理香は笑う。
相手が違うから、娘だとは滅相も思っていないから、
そんな言葉を言えるのだろう?
昔の自分自身ならば、その言葉を欲していた言葉だろうが
けれど今は__心底、気分が悪くて、吐き出したくなる。
だが何処かで、気付く。悪魔を憎しみ続けるのは、自分自身の宿命なのかと。
洒落た喫茶店。
ハンチング帽子を被った老男性は、煙草を吸いながら待っている。そんな彼を見つけると芳久は、彼の前に立った。
慣れた作り笑いで問いかける。
「___三条 富男さんですか?」
「はい」
「___初めまして、約束していました、高城です」
森本 佳代子の情報を辿る。
プランシャホテルで当時の彼女を知る知っている人物は
少ないと悟ってから、芳久は頭を切り替えた。
もっと情報はないだろうか。根気よく
ネット検索を重ねていく度に、あるページに辿り着いた。
営利目的でもなく、ただ誰かが個人的に綴っている記事らしい。
ある男性が書き留めた森本佳代子の不審死。
ただ文章が全て英語の文面で書かれている。
実兄が死に至り自分自身が後継ぎとなってから
父親は手のひらを返して急に自分自身へ熱を入れ始めた。
社会人となる前に、勉強の為にと
アメリカへ語学留学していた経験を生かしていた事もあり、
芳久は英語は流暢だ。難なくその項をすらすらと流し読みしていた。
最初はなんとも思っていなかった。
………………ある言葉を見つけるまでは。
“__私は、彼女の事件を担当していた刑事だ”
英文を日本語にすれば、そうなる。
(____これは、真相に近付けるものかも知れない)
ホームページに綴られていた
メールアドレスが記載されていたのでそれを頼りに
何度かコンタクトを取った後で、芳久は担当刑事と名乗る彼に会う事に成功した。
…………そして今に至るのだ。
森本佳代子の事故死を
担当していた刑事となれば、
森本佳代子について何かしら知っている筈だ。
同時、一番、傍で事実を見ていた彼ならば、これは問答無用で近付くしかない。
温和で、知性のある青年。
柔らかい頬笑みと物腰だが、何処か掴めない様な気がする。
……長年の刑事の勘で、ついつい人間観察をしてしまう癖があり、富男は彼をそう思った。
「初めまして、私は三条富男です」
「僕は高城芳久と言います」
「__で、君が聞きたい用件とは何かね?」
「では失礼を承知致しまして、本題に入らさせて頂きます」
富男に聞かれて
芳久は、本題に身を乗り出す。
背広の内ポケットに忍ばせてあった写真を静かに差し出した。
「__あなたは
この女性の、事故死の件に関わっていたんですよね」
青年が差し出した写真に、富男は目を見開く。
長い長髪。清楚な雰囲気と凛とした顔立ち。
忘れる筈がない。
(何故、これを……………)
忘れもしないあの日。
周りは事故死として片付けたが、
富男だけが納得出来ず未だに不審に思い調べている、
不慮の事故死を遂げた当事者である、あの女性だった。




