存在の確認
我は1人で外にいるのは苦にならない
だが、家に1人だと
叫びだしそうになる
他の部屋に
誰かがいる気配がないと
もうだめだ
誰かがいる
それが当たり前で
家族に対して依存している
目の前にいないと
(もう帰ってこないのでは。事故にあったのかも。2度と会えないのではないか)
という意識が拭えない
結婚して1人で過ごすうち
(どんなに相手の機嫌が悪くとも、いないより、断然いてくれた方がいい)
こう思うようになった
存在を確認したい
先日知り合った
妊婦さんは
ホームパーティを頻繁に開催するひとだった
驚いた
初対面で自宅に誘われた
我は気心が知れている友相手ですら
部屋に招くと
そわそわする
(部屋どうかな。ほこり1つでもあったらどうしよう)
(お茶、美味しいかな。あ、淹れ直したほうがいいかな)
(音楽どうしよう。いやここはDVDを流すとか)
……
なんとかしてもてなして
快適に過ごしてもらおうと思うのだが
それは却って重荷になる
多分、くつろいでもらえていない
我も疲れ果てる
どんなに楽しい時間を過ごしてもだ
ホームパーティの達人を
尊敬している
家にひとがいても気にならないというのは
どういう心地なのだろう
知りたい
知って、我ももう少し
招くのに慣れたい
主人の学生時代の友人夫婦とは
家族ぐるみでお付き合いしている
ひとが頻繁に来る家で
泊まりこみも多く
布団が大量にある
気を遣われている感じがしない
自然だ
気を遣わないのが気遣いなのか
気遣いが素晴らしいのか
さりげないひとになりたい
こどもが
家に友を次々連れてくる性格になったら
どうしよう……
数をこなせば慣れるのだろうか
(お預かりした人様のこどもに何かあったらいけない)
(アレルギーとか把握しないと)
楽しい妄想よりも
こういった妄想をする
阿呆である