ターシャとエルフ
瞼の裏に光を感じ、目が忙しなく動きだす。
足から手へと徐々の感覚が戻り、意識が浮上する。
身体にかかる、程よい重みと心地良い柔らかさに安心する。
それを離さぬよう、両手でしっかりと固定したところで、再びまどろみ始める。
とたんに脳が揺さぶられる。
いたっ!痛い!後頭部に鈍痛が走り、無理矢理意識を戻される。
「にぃに!起きて!起きてってば!」
瞼をゆっくりと開く。
お互いの鼻が今にもくっつきそうな距離で妹の顔――の面影がある銀色の髪をした少女が目の前にいた。
年の頃は17,18ぐらいだろうか。
白い肌に銀髪が良く映え、その澄んだ青い瞳からは一種の神秘性すら感じる。
「どちら様でしょうか?」
思わず尋ねられずにはいられない。
「亜奈だよ?」
何いってるんだとばかりの不思議そうな表情を浮かべる少女。
「いい加減手を離して、少し、痛い」
首を少し動かすと自分の両手が、少女を完全にホールドしていたのが目に入った。慌てて手を離す。
すると少女が、自分の胸に両手押しあてながら上半身を起こす。
馬乗りした状態で、少女が可愛らしくコテンと首を横にする。
「にぃに、なんか小さくなってない?」
その言葉に頭が覚醒し少女を横に押し出し、腹筋を使いバネのように上半身を起こす。
日はまだ完全には登ってないようで、薄暗い中見回すとどうやら家のリビングのようだ。
二人してここで目覚めたらしい。という事は家ごと転送されたのか。
ふと赤い髪をした女性の言葉が脳裏に浮かぶ。
――「転送先でその世界の因果と結びつけると共に人体の再構成を行うんだ」
横にちょこんと座ったままの銀髪の少女をみる。
記憶にある妹をそのまま成長させたかのような顔の造りをしている。体型に多少の差異はあるが。
先ほどの反応も声も妹そっくりだった。
世界の因果と人体の再構成。そのせいで妹の姿が変わったのだろうか。
「ちょっと待てくれ、今からちゃんと説明するから」
一体どう説明したものやらと困っていると。
「――なにコレ」
自身の長い銀色の髪を、両手にすくい唖然としている妹の姿があった。
「という訳だったんだよ」
結局、昨夜から今に至ることを要約し妹へ話した。もちろん赤い髪の彼女――知識神の事も。
「異世界に神様ぁ?変な夢でも見たんじゃないの?さっきも寝ぼけてたみたいだし。んーでもこの髪の毛・・・染めた覚えないしなー」
ソファに座り長い足をバタつけせながら、銀色の髪を摘まんでいる。
「俺としては今も夢であって欲しいんだが・・・」
思わず額に手を当てながらそう呟く。
「とりあえずお前は洗面所の鏡で、自分の姿を確認してこい。それで分かるだろ」
「うん分かった。わー、いつも景色が違う。視線たかーい」
一歩一歩慎重に歩きながら、洗面所の方へと向かう。
妹がリビングを出て行った事を確認し、小さくなった手のひらをみる。
知識神の話から推察するに、自分もこの世界の因果により再構成されたはずだが・・・
妹の反応からすると、自分の姿は前の世界から変わってないようだ。
これはどういう事だ、妹との違いを鑑みるに上位次元から転送されたからだろうか。
それとも宇宙演算器とやらで無理矢理自分の存在をねじ入れたからなのか。
あと妹の姿の変わり様も気になる。自分を召喚しようとしていた女性も銀色の髪をしていた。
姿形はかなり違うものの、銀色の髪という一致が妙に気になった。
答えが出ずに頭を悩ませていると、洗面所からバタバタと音をたてながら妹が帰ってきた。
「ない!ない!ない!あるけど無い!」
――やはり気づいたか。
「・・・ああそうだな」
妹の身体の一部に目を背けながら、返事をする。
「にぃにもホラ!」
しかし妹は視線を逸らした先に回りこみ、勢いよくキャミソールをたくし上げた。
反射的にキャミソールの端を掴み全力で下ろす。
「何を考えてるんだ!」
「えっ、にぃにも確認したいかと思って」
なぜそこで不思議そうな顔をする?
「はぁ?いきなり人の目の前で脱ぎだして何言ってんのお前?」
突然の妹の奇行に流石の兄もドン引きです。
「だって・・・時々、私の胸チラ見してたでしょ」
少しうつむき加減でとんでもない事を口走る。
「は、はははっ。ちげーし見てねーし。そんな訳ないだろ」
そこに山があるから登るのだ。これは男の性なのだ仕方のない事なのだと、心の中で自己弁護する。
そんな気持ちを見透かしたように、目を細めジト目で見つめてくるマイシスター。
アカン、バレテーラ。ドン引きされてるのはこっちか。兄としての威厳がガラガラと崩れ落ちる音が聞こえる。
つまるところ妹様のご立派だったお胸様も、今やそのお姿を変えられ小さくなっているのだ。
「ふーん・・・まぁいいけど、これ大きくなるのかなぁ・・・うっ擦れる、小学生の時のスポブラまだあったかなぁ」
キャミソールの上から、なにやらカップ数を図るかのように胸に手を当てている。
「お願いですから、そういう事は自分の部屋でやってくれませんかねぇぇぇ!」
2階にある自分の部屋へ行き、着替えてきた妹。なぜだか機嫌がいいようだ。
ソファに座ると足を伸ばし頬に手を当てる。
「足長いし肌も真っ白モチモチしてる、顔も私好みの美人さん。私成長したらこんな風になるのかな?」
なにやら今の姿にご満悦のようだ。
「で、さっきの話は信じたか?」
「ここが日本じゃない異世界だって話?正直まだちょーっと疑ってるけど、こんな姿になっちゃったら、ねぇ」
と何故かこちらを見てニヤリと笑う。
「兄貴小さくてかーわい。同級生か1個下ぐらいかな?私、弟欲しかったんだよねー」
こめかみに#のマークが、浮き出るのをハッキリと感じる。
「それにこの「耳」もはじめ見た時は気持ち悪かったけど、よく見てみたら可愛いかったし」
そういうと妹は髪をかき上げ、耳をこちらに見せつける。
「――なんだそれ」
耳が若干長くなり先端が明らかに細く尖っている。
「なんだっけ?兄貴が見てたアニメであったアレ、ほら!エルフってやつじゃないの!」
思わず絨毯の上にしゃがみ込む。
「頭抱えてどうしたの?」
自分がこれまで築いてきた常識を、容赦なくぶち壊そうとしてくる非常識に、兄はもういっぱいいっぱいなんです。
「とりあえず外に出て周りを確認してくる。すぐに逃げるか、家に立てこもれるようにしてお前はここで待ってろよ」
二人で玄関へと移動する
「兄貴待って。靴が合わなくて痛い。サンダルにする」
ちなみに自分は普段からベルトの付いた固定式のサンダルだ。若干大きいが問題はない。
念のために武器として傘を持つ。ジャンピング式だし広げれば威嚇程度にはなるだろう。
玄関のドアを開けると、ヒンヤリとした冷たい風と共に朝日が登っている光景が目に入る。
そして目の前には、明らかに人の手が入った花壇、いや庭園が広がっていた。
花が種類毎に植えられ、雑草もところどころ抜かれ綺麗になっている。
木も人の届く範囲ではあるが手入れされており、青々しい果実が実り、それを目当てに鳥達が集まっていた。
水のせせらぐ音が聞こえ、朝日に照らされたそれは、人の手により作り上げられた楽園のようであった。
「うわーすごく綺麗・・・というか、ここどこ。ほんとに家の場所が変わってるし」
後ろから妹の戸惑った声が聞こえる。
少なくとも知的生命体はいるって事か・・・言葉とか通じるんだろうか。
周囲を警戒しながら家をグルリと一周する。
電線が途中からスッパリ切れて地面へと垂れていた。
これは水道管も同じくやられているな。電力系統と水の補給、ともにアウトか。
いや、さっき水の流れる音がしたから、火さえ起こせれば飲料水が確保できるかもしれない。
家にある食材と災害用バックでどのくらい持つだろうか計算し始めたとき。
ドアから顔出していた妹が、庭園の中心にある大きな木を目指し走っていく。
「ちょ、おま、まだ外に出るなって!」
慌てて妹へと駆け寄りながら、庭園の外を確認する。
庭園の柵の外側には、ボロボロの木造住宅が点々としていた。
ガラス窓の代わりに鎧戸が付けられている。建築水準は中世ヨーロッパ辺りだろうか。
ここは村の跡地なのだろう。どの家からも生活臭が感じられない。しかし庭園は手入れされていることから、誰かしらいるはずだ。
しかし知識神のところで見た神殿周りの風景とは明らかに違う。
あちらは神殿とは別に周囲にも石造建物が点々としていた事を覚えている。
転送が失敗した?いや神である彼女が自信持っていたんだ、その可能性は限りなく低いだろう。
彼女と交わした会話を思い出す。
――「後は小宇宙演算器が自動で座標修正を行うはずだ」
座標のズレが修正されてない?
――「人間二人程度の存在密度なら容易に修正できるよ」
もしかして家の存在が計算外だったのか?と思わず足を止め、我が家へと振り向く。
妹へと追いつき、すぐ家の玄関まで戻るようにと注意していると。
「あ、兄貴、あの人・・・」
妹の目線の先を見やると、庭園の外側からこちらの方へ歩いてきている人がいた。
だが、そのあまりにもゆっくりとしたペースに妹と顔を見合わせる。
妹と話し合い、自分が交渉役そして何かあった時の盾として前へ出る事を約束させる。
お前は絶対に自分の前に出るな、と言うと妹は明らかに不満気にした。だが、ここは我慢して欲しい。
未だゆっくりとしたペースでこちらへ近寄る人物へと足を向ける。
近づくにつれ、その人物の様子がはっきりとしてきた。
民族衣装なのだろうか?厚手のストールのようなものを首に巻き、かかとまである丈の長いスカートをしている。
杖をつきながら歩くその姿に不安を覚えるが、その足取りはしっかりと地面を踏みならしている。
伸びすぎた枝を折りながら剪定し、時折足休めしながら近くの木や花へと顔を向ける。
その顔はしわくちゃながらも、まるで母親が子供へと向ける慈愛の顔をしていた。
とうとう自分達の目と鼻の先まできた老婆は、そんな顔を向けながら声を掛けてきた。
「こんにちは嬢ちゃん、儂はターシャといってね。ここの村に住んどるんだよ」
「ど、どうも、こんにちは」
いきなり交渉役が妹に変わった。とうか普通に会話してるな。
「こんにちは。俺は如月 将登といいます。こっちは、いもじゃなくてあ、姉の亜奈です」
会話の主導権を握りろうと、こちらからも話しかける。
背後から「姉だって、弟ができたやった!」という声が聞こえるが無視だ無視。
「どっちが名前なんだい」
「将登が名前で如月が苗字です」
「苗字があるとは貴族様かの?」
――貴族なんているのか。
「い、いえ、極普通の平民です」
「ほーそうかえ」
「お婆さんはこの村に暮らしてるんですか?」
「そうじゃ、じゃが今は儂一人じゃ。若いもんは全員隣村に行っちまったよ」
寂しそうにするそぶりもなく飄々と語るターシャさん。
とその時、一陣の風が掛け抜ける。妹が慌てて髪を抑え、その尖った耳が銀色の髪からのぞく。
「おやアンナちゃんはエルフだったのかい?人間の男子と二人だと、この国じゃ息が詰まるじゃろーて。なるほどなるほど」
やっぱりこの世界にエルフはいるのか。ファンタジーな世界なのだろうかここは?
しかし少なくとも人間とエルフという別々の種族がいるという事は、種族間抗争も想定した方がいいだろう。
皆平等、お手て繋いで仲良しこよしな世界はどうしても想像がつかない。特に国家を形成している場合には。
男女という人種の垣根を超えたところでさえ、区別から差別は起きるのだ。
「あの姉の事ですが、できる事なら――」
「分かっとるよ。誰にも聞かれたくない事の一つや二つはあるわな」
「すいません」
騙しているような気がしてつい謝ってしまった。
「えっとあの家の事なんですが、あそこに住んで問題ないでしょうか?」
ターシャさんは自分の指先の方へと顔を向ける。
「あれは家なのかい?不思議な形をしとるのぅ。昔王都に行った時はあんな形の家は無かったんじゃが。時代が変わったんじゃのう。儂も歳を取るはずだわい」
――王都。もしかして絶対君主制だったりするのだろうか。
「土地は余っとるから好きにしてええよ。徴税官様もとんと、ここにはこなくなったしの」
――徴税官。確定だ。人々が国としてまとまり政治機能もあるようだ。
「・・・突然家ができた事には驚かないんですね」
「この歳まで生きとるとね。不思議な事も1回や2回じゃすまんのじゃ。今更、急にお隣さんがきたとしても驚かんよ」
ほっほっほっと笑うターシャさん。
「それにせっかく若いもんが二人もこんな辺鄙なところに来てくれたんじゃ。逃げられたら勿体無いじゃろう」
長い時を重ね、生きてきた重みが違うのか、ターシャさんはとても豪胆な方のようだ。
「それでは儂は家に帰る事とするかの。ここらは何もないからの、あとは若いもん同士でヤりたい事ヤればええ」
ん?なにか今イントネーションが変な気がした。その事が顔に出ていたのか。
「分かっとる、分かっとるよ」
なにやら全てお見通しだと、ウンウンと頷くターシャさん。
「人間とエルフなら心配ないかもしれんがの。万が一の時は儂に任せるとええ」
一体何の心配だろうかと首を傾げる。
「産婆もしとったけーの。赤子、何人も取り上げた事がある。儂が生きてる間は安心するとええよ」
その言葉に首を傾げた状態で身体が固まる。
「儂は朝はここで庭の世話か畑仕事をしとるからの。家はあっちじゃ、花がいっぱいあるボロ屋じゃけすぐ分かるわ」
その方向に家があるのであろう、杖を向けるターシャさん。
「何か分からん事があったらくるとええ。お茶と焼き菓子ぐらいならだせるからの」
嵐のように過ぎ去っていく老婆の後ろ姿を二人で見ていると、妹が疑問を口にした。
「産婆ってナニ?」
お前はまだ知らなくていいよ。
一旦、家に戻って朝食を取ろうと踵を返す。と突然、バンッと廃屋一つの鎧戸が開け放たれた。
「おやー銀髪の同族なんてめっずらしーねー。貴方もナーナリア抜けだして旅をしてるの?」
窓に手をかけこちらを興味津々に見つめる少女。
金髪のポニーテールが朝日を浴びて、輝きながら風に揺れている。
視線を横にずらすと、妹と同じ尖った耳がそこにはあった。
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