踏み出す一歩
「亜奈は!妹は無事なんですか!」
ガバっと上半身を起こす。その勢いのまま彼女が羽織っている白衣を、両手に握りしめながら問い詰める。
彼女は申し訳無さそうに首を横に振る。同時に彼女の右目のモノクルに掛けられた鎖が揺れシャラリと音を鳴らす。
「神にも定規というものがあってね。自身の直轄管理世界以外への積極介入は禁忌とされている」
「でも神様なら――」
「私は妹君の世界に積極介入する事はできない」
彼女は無表情の表情を顔に貼り付け、ハッキリと答える。
その返答にギシリッと奥歯を噛み締める。
「では俺が向かえに行きます。妹の転送先に送ってもらう事は可能ですか?」
「先ほども言ったが神の定規に反する事は私には出来かねるよ」
彼女を睨みつけるが、彼女は無表情のまま自分の視線を受け止める。
視線が交差した数瞬の後、彼女の白衣から乱暴に両手を離す。
思っていた以上に力を込め握り締めていたのだろう、白衣には握りこんだ跡が残っていた。
彼女に当ってどうすると後悔の念が押し寄せると共に、自身の無力さがこみ上げ、思わず両手を地面につける。
どうする?彼女は無理だと言っている。恐らくどんなに頼みこんでも彼女は首を縦へと振らない。
困ったときの神頼みといきたいが、その神からも駄目だしをもらった現状、どうすればいいのか皆目検討がつかない。
何か打開策はないかと思考の海に沈みかけた時、視界の隅に先ほどの召喚陣がいきなり飛び込んできた。
未だ回転し続け、今では光り輝くバレーボールのようにも見える。
ふいに彼女を見上げると、両手を組み空の一点を眺めていた。
先ほどの無表情とは打って変わって、人差し指でトントンと二の腕を叩き、何かイライラしているようにも見える。
――ああそういう事か
不器用な神様に心の中でお礼と、先ほどの謝罪をし立ち上がる。
召喚陣に片手を向けると、吸い付くように飛び込んできた。
手のひらの上でグルグルと回る球体を手に、彼女の真正面へと回りこむ。
「この召喚陣の転送先を変えて、再度転送する事は可能ですか?」
ぴくりと片眉をあげる彼女。
「ふむ、その程度であれば造作も無い。それにその召喚陣は元々君がもっていたものだからね」
やはりそうか!「積極介入」が禁忌なだけで干渉そのものは否定されていない!
思わず片手でガッツポーズを取る。
「とりあえず上着を着たらどうかね?」
イソイソと上着を羽織っていると後ろから声がかかった。
「君の召喚陣を再起動する事は問題ない。だが、ひとつ問題があってね――そのまま転送しても君は世界の因果に干渉できない」
「確かAという原因があるからBという結果あるという、不変の法則でしたっけ?」
グイッとシャツの首まわりを引っ張り、顔を出す。
「それは因果律だ。因果律への干渉ではないよ。君の場合は「因果」だ。このまま世界を渡ったとしても君が行った行動全てが無に帰する事だろう」
彼女の方へ身体を向け、手を顎にやり少し考えてみる。
「他人にも認識される事もない透明人間みたいなものですかね?」
「透明人間ならまだいいさ。見えないだけで情報伝達の手段はあるだろう?つまり世界の観測者いや傍観者として世界を漂う他ない、宇宙の終焉までね」
死ぬ事すら出来ないのか、なんでまたそんな事を。
「これは君の召喚陣のログから判明した事だ。転送先で人体が再構成されると同時に発動するようセットされていた」
片手を上げると彼女の手のひらに召喚陣が収まる。
「だが本来の転送先から、転送事故でこちらの世界にリダイレクトされた事により、再構成プロセスもまたリセットされていたのさ」
すると召喚陣を手にジッと見つめる彼女。
「これには仕掛けた側も想定外だっただろうね」
バスケットボールを指先でくるくるするように回され、されるがままの召喚陣。あんな風に扱って不具合とか起こさないのだろうか?
「しかし複雑な転送シーケンス中に、ダイレクトに割り込みをかけ改ざんしている事から察するに、これは明らかに故意に仕組まれている」
お次はポンポンとバレーをするように両手でトスをし始めた。何気にさっきから器用だな経験者か?
「ここまで手間をかけ、転送先で傍観者として存在させるのは正気の沙汰とは思えない」
召喚陣を地面に置くと、思いっきり足を振りかぶる彼女。
「やめたげて!それ以上は壊れちゃう!」
蹴られる直前にヘッドスライディングで召喚陣を奪取する。
心なしか召喚陣が抗議をあげるように点滅している気がする。
ん?一回リセットされているなら、これを使っても大丈夫じゃないのだろうか?両手で抱え目の前の召喚陣を見つめる。
「いや、仮にこのまま転送座標を変更し転送プロセスを再起動したとしても、召喚陣自体を追跡し人体の再構成時に確実に割り込みを仕掛けてくるだろう」
あれ?これは積んだか?
「安心し給え、これでも私は知識神とも呼ばれていてね――君の召喚プロセスを再構成する事は容易だ」
彼女は召喚陣を見据えるとニヤリと笑った。
パチンッという音が辺りに響き渡る。
同時にオレンジ色をしたウィンドウが自分達を取り囲むようにいくつも浮かび上がる。
そして、これまたどこから出てきたのか、彼女はメタリックな近未来的なデザインの椅子に腰掛ける。
手元に浮かび上がってきた球体に手を触れると、ウィンドウには見たことのない文字が上から下へと勢い良く流れていく。
以前、情報系に進んだ友人が見せてくれた、Webサーバーのアクセスログをコンソールで流していた様子に似ている。
「少し待ち給え・・・ほう良かったじゃないか、妹君の転送プロセスは再起動中のようだよ」
再起動中・・・という事は亜奈はまだ日本にいるという事か。力が抜け安堵息と共にその場にしゃがみこんでしまう。
「なるほど、これは転送というより存在の置換に近いな」
顔を上げ一つのウィンドウに好奇に満ちた視線を向ける。
「通常の宇宙間転送とは、宇宙の観測者である人間一人を素粒子レベルで複写・消去し、転送先でその世界の因果と結びつけると共に人体の再構成を行うんだ」
「それには当然膨大な演算が必要になる。それを制御だするなんて少なくとも人の身では不可能だ」
首を傾げていると、彼女はそのまま説明を続けた。
「簡単に言うとだね。対象の複写→消去→再構成というが正規の転送プロセスだ。だが、妹君の転送は原始的な等価交換が原点にあるようだ」
なるほど、別の世界にある存在を他のものにすり替えるという事だろうか。
「強大な想念あるいは多大な生贄を対価に新たな生命を創造する。君には一種の降霊儀式といった方が分かりやすいかね」
降霊っていきなりオカルトじみてきたな。
「このやり方では宇宙間転送という事象は発生しないが・・・今回の場合は対価が破格だったようだね」
「貢物が時空間に影響を与える程の特異点と化していたようだ。媒体としては最高級品といっても過言じゃない」
「更には周辺の恒星系のエネルギーを取り込んでいるようだ。やり方はアナログだが良く考えられているよ」
感心しながら頷く彼女、と何かに気づいたのか椅子を回転させながら体ごとこちらを向けた。
「これに見覚えは?」
そういうとウィンドウが目の前に滑りこんできた。そして写っている画像に大きく目を見開く。
「その様子だと見覚えがあるようだね」
そこには巨大な神殿を前に、多くの人々が地面に膝を付けながら胸に手を組み、祈っている様子が映し出されていた。
「その神殿が今回の転送に利用される媒体だよ」
瞬間ピタリとピースが噛み合った。
昨晩みた神殿モドキ、あれが時間に作用する程のものだとしたら、あの「2時間過ぎても冷えたペットボトル」の説明がつく。
その事を彼女に説明すると、またウィンドウの一点を凝視した。
「どうやら妹君周辺の時空間が、強制的に歪められているね。今はほぼ停止状態だ」
「通常の転送ならばこのような事はありえない」
「だが今回の転送は特異点となっている媒体との置き換えだ。転送元での時空間の歪みの一つもおこるさ。しかしそれでは・・・」
なにやら思考の渦に飲まれてしまった知識神様。
手持ちぐさになった自分は、召喚陣をポンと上に放り投げては受け止める。それを10回は繰り返しただろうか。彼女が声を上げた。
「予定変更だ――これを利用させてもらう」
ニヤリと口を歪ませる彼女の視線の先には、あの神殿モドキが映っていた。
「妹君に行われている転送プロセスを一旦こちらにフィードバックさせ、君という存在を割りこませた上で私の用意したシーケンスを走らせる」
「転送する人物の存在密度によって転送座標にズレが生じるが、人間二人程度の存在密度なら容易に修正できるよ。安心し給え」
そういうとまたパチンッと音の響かせた。
同時になにやら見たこともない機械群が浮き出てきた。その機械からコードうねり出し、椅子の側面と後ろ側に次々と取り付いていく。
球体がもう一つ増え、彼女はそれらに両手を添える。するとウィンドウの数が倍以上に増え、もはや背景が見えないほど視界を埋め尽くす。
そもそもこれは一体なんだろうかと立ち尽くしていると、声が掛けられた。
「ん?ああ、これか。これは以前、観測していた宇宙にあった小宇宙演算器だよ。」
「まぁ、これの暴走によって一つの宇宙が消滅したんだがね、崩壊直前に回収しといたのさ」
そんな不良品使っても大丈夫なのだろうかと不安になる。
「そして私自ら改造して、今ではこれ単体で因果律の干渉すら行えるようになったのさ」
さっきからやってる指パッチン一つで簡単に出来ないものだろうか。
「もちろん出来なくは無いが、そこは浪漫というやつだよ君」
そう楽しげに笑う。と真面目な表情をして彼女が問いかけてきた。
「ひとつ聞くが――その召喚陣を使い、君を元いた世界に返す事も可能なのだよ?」
「いえ、妹を放ってはおけませんので」
思わず手のひらを見る。自分一人の力で何が出来るか分からない。もしかすると迷惑になるかもしれない。
それでも――別の世界にあいつ一人を置いてなんて帰れない。
この選択だけは後悔しないと胸を張って言える。
「そうか・・・愚問だったね。忘れてくれ。」
優しげな表情でそういった彼女は、気合を入れるように白衣の袖をまくり、椅子に深く腰掛けた。
「では始めようか――宇宙へのリアルタイムクラッキングを!」
自分の存在が徐々に希薄になっていくのを感じる。
「後は小宇宙演算器が自動で座標修正を行うはずだ。後は君の頑張り次第だよ」
お礼を言おうとするが、喉が発声器官として役割を忘れたかのように声が出せない。
「いや礼は結構。こちらも娯楽に飢えていてね。人であった頃の感情の昂ぶりを少しだけ思い出した。良い刺激になったよ」
目を細めながら懐かしげな表情をし、空を見上げる彼女。
「そうだ、楽しませてくれたお礼にプレゼントをしよう」
そういうやいなや椅子から立ち上がり、自分の背中に素早く回る彼女。
最後まで人の後ろに立つのが好きだなと、思わず笑いがこみ上げてくる。
と既に感覚のない背中から、熱い何かが身体中を巡るのを感じる。
その熱い奔流に身を任せていると、カシャリと音がした。
音がした方に目を向けると右腕に赤い腕輪があった。
「これは私の加護が付与してある法儀礼済みの腕輪だ、私の管轄外域とはいえきっと役に立つはずだよ」
自分の真正面に回り込みそう言う彼女。
徐々に視界が暗闇に閉ざされていき、意識もゆっくり遠のいていく。
「では良い旅を」
ボヤける視界の最後に写ったのは、まるで戦女神のような姿をした彼女だった。
ガシャンと剣をその場に突き立て、髪の留め具とモノクルを外す。
白衣は戦装束へと代わり、長い赤い髪が背中に広がる。更にコバルトブルーの瞳がワインレッドへと変貌した。
赤い神気が一気に溢れ始め、地平線まで続いていた美しい草花達を侵食する。
世界は一瞬にして広大な草原へと姿を変えた。
「――――ようやく一歩踏み出したか。人間の一生は短い、足踏みしてる場合ではないぞ青年」
先ほどまでの優しげな声色とは一変、凛とした声が草原の風とともに流れた。
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