命の洗濯
「ほれ、そこの二股を左じゃ。さっき教えたように左手首だけで手綱を外向きに引っ張って、右手の手綱は少し緩めるんじゃよ」
「は、はい」
自分は今、馬車の御者台に座り、ターシャさんから馬の操作方法を教えてもらっている。
なぜこんな事になっているのかと言うと、先ほどの戦いの後、ターシャさんから話があると言われ、御者台に引っ張り込まれたからだ。
エルミアは戦いの疲れで、妹は昼食時にそれなりの量を食べていたので、馬車の中で二人共ぐっすりと昼寝をしている事だろう。
話があると言いつつ、だんまりを決め込み馬車を操作する彼女。
その隣で自分は内心彼女に怯えていたのだが、一時間近く無言の時間が過ぎ去ると落ち着きを取り戻し、余計な事を言ってしまった。
「馬車ってそんな風に運転するんですね」と。
そうして始まったターシャ先生による馬車の操縦レッスン。
手綱の握り方から腕の位置、発進から停止に曲がらせ方など、一気に教えられた。操作を間違えるとやんわりと窘められ、正しい操作をすると過剰に褒められた。
彼女はどうやら褒めて伸ばす教育方針のようだ。
「あとはあそこに見える山の麓にある休憩所まで一直線じゃて。じゃが、すぐに止まれるように手綱だけはしっかり持ってるおくようにの」
「分かりました」
馬車の旅に於いてもっとも注意すべきなのが、魔物に襲われ馬を失い立ち往生してしまう事なのだそうだ。
特にこの街道は、人の行き来がほとんどない。例え馬を失っても隣村まで歩くのは問題ないが、やはり魔物を警戒して歩くのは精神的に堪えるらしい。
ターシャさんが住んでいたカナエ村近辺では魔物はほとんど出ないが、人口の多い隣村・サーリア村に近づくにつれ、それなりに魔物が出るとの事だ。
もちろん今回のようなスタンピードは例外中の例外だ。
馬車がゆっくりと揺られ、燦々と照らす太陽と爽やかな風が心地よく、思わず頬が緩む。
「どうやら落ち着いたようじゃね」
「はい?」
「すまんね。まさか見切られるとは思いもせんかったんじゃ。そのせいで坊主を怖がらせてしまったようじゃね」
その言葉でサンドワームと戦っていたターシャさんの狂気とも言える戦闘風景を思い出す。
「あ、あれは一体何だったんですか!?あんな事を続けたらターシャさん本当に死んでしまいますよ!」
「やはり、視えていたんじゃね。若いころ、一度だけ剣士をしていた冒険者から似たような事言われたよ。おまえの戦い方は狂っているとね」
「ターシャさんならもっと安全に戦えるんじゃないんですか?あの空気を圧縮させた魔法を遠距離から撃つだけも良かったんじゃ」
「これは驚いた。おまえさん、そこまで視えていたのかい?エルミアちゃんにも言ったがね、儂にはああいう戦い方しか出来んのじゃよ。興奮するとどうしても理性のタガが外れてしまう。こればかりは生まれた時から変わらんのじゃ」
「生まれた時からってそんな大げさな」
「・・・坊主、儂はね、物心ついた時から「自分の命」というものが分からんかったんじゃ。じゃから幼い頃は、人の痛みや恐怖も分からず、近所の子供や大人達といつも流血沙汰の喧嘩もしとった」
想像できない。「自分の命」とは生きていく上で一番大切なもので、魂とも言えるものだ。それは、より良い自分であろうとする向上心や、自身を守る防衛本能、他者を守ろうとする庇護欲に繋がるものだ。
「ある時、そんな儂を見かねた母から、庭の世話を任されたんじゃ。初めは楽しいも辛いもない、ただのつまらない作業じゃった。じゃがの、いつの頃からか芽を出し成長する草花達から、生命の営みを感じての。それがかけがえのないものだと気付かされた」
「そうして少しずつ、草花や木々の自然の営みを、自分自身と重ねるようになっての。そんな風に儂を育ててくれた庭は、もう一人の自分でもあるんじゃよ。それからは何かを育てる事に無心しての。子供や花達を育ててる時が、儂が唯一自身の生を実感できる瞬間じゃったんじゃ」
だからあんなにも村から避難する時に、庭や畑に執着していたのか。自分の分身である庭を置いてはいけないと。
「じゃが戦いとなると話は別じゃ。興奮すると庭の事など頭から飛んでしまっての、いつも生と死のギリギリまで足を踏み込んでしまうんじゃ。幸いにも儂の身体はそんな無茶に耐えれるようになっておっての。いつの間にかそれが当然のようになっておった」
死にたがりという訳でも、自分の命を勘定に入れてない訳でもない。初めから彼女の中には命の秤そのものがなかった。だからあんな無茶な戦い方をするようになり、彼女の身体能力と戦闘センスが合わさって、いつしか一つの技へと昇華したのだろう。
「知らなかったとはいえ、無闇にを怖がってしまってすいませんでした」
「おや?もう怖がらないのかい?」
「ターシャさんの事はあの庭園を見てなんとなく分かってましたから。今回はその庭園の風景と、ターシャさんが戦っている姿にギャップを感じてしまってたんです。その理由が分かったら怖がる必要なんてありませんよ」
「そうかい・・・ちゃんとあの庭を見て儂の事を分かってくれていたんだね。嬉しい事を言ってくれるじゃないか。儂がもうあと三十程若かったらコロッっといってたかもしれないね」
少しだけ頬を紅潮させ笑い出すターシャさん。そのはにかみながら笑う横顔は綺麗だった。
もう少しで日が暮れそうな時、ようやく休憩所に着いた。
「あーやっと着いたーお腹すいちゃったなー今日はここで野営するの?」
馬車からぴょんと飛び出し、背筋を伸ばしながら言うエルミア。休憩所といっても小屋はなく、近くに川と広い更地があるだけだ。きっと旅人達がここで野営をするのだろう。
「いや、野営はしない」
「はっ?ちょっとどういう事よ?夜の強行軍は危険すぎるわよ」
「移動するとは行ってないだろ、「アクセス」」
更地に紋章を浮かべ大地を抉りながら収納する、続いて我が家をその抉り出した大地に取り出す。
「と、まぁこういう訳だ。きちんと家で休むぞ」
「そうだった・・・あなたって常識外の存在だったのよね」
失敬な。その常識外の力のおかげで、きちんと身体を休める事ができるというのに。
「なるほどのう。坊主にはその力があったの。ついでに儂の畑も出してくれんかね」
ターシャさんのその言葉に従い、家と同じように畑を更地に取り出すと、ターシャさんはすぐさま畑へと向かい、両腕に野菜をたくさん抱えて戻ってきた。
「ほれ、昼の弁当の礼じゃ。この新鮮な野菜をあんた達にやるよ」
「わーありがとう。ターシャさん。・・・ってこれなんだろ?人参?じゃがいもにキャベツ?似てるけど形がなんだか違う」
妹がそれを受け取り、お礼を言いながら首を傾げている。
「ターシャさんも家で一緒に食べませんか?その野菜でとびっきり美味しい夕食を作りますから」
「しかしのう、昼にもごちそうになったしの」
自分としては旅の間ぐらいは、ターシャさんの衣食住を任せて欲しいのだが。御者をして貰っている恩もある。
「ターシャさん、遠慮しないで!どうせなら大勢で食べた方が美味しいじゃない!」
渋るターシャさんに妹からの援護射撃がくる。
「そうかね。それじゃあ、その好意に甘えようかね。正直に言うと昼に食べた弁当が美味しかったんでの楽しみなんじゃよ」
「しっかし、もう夜になるというのにこの部屋は明るいのう。これは魔道具なのかね」
「そんなものだと思った方がいいわ。この家も私達の常識は通じないから、深く考えたら負けよ」
照明に興味津々のターシャさんに、エルミアが何か諦めた感じで言い放つ。
「なぁ亜奈、今朝スマホ渡したよな。少し貸してくれないか?」
「あーそういえば朝渡されたね。圏外になったままだし結局なんだったの?」
不思議そうな顔し、スカートのポケットからピンク色のカバーが付ついたスマホを取り出し渡してくれた。
渡されたスマホとリビングにある時刻を確認する。共に六時を回ったところだが、スマホはPM6:00、リビングの時計はAM6:10と表示されている。
そして時計の横にはストップウォッチがあり、それを手にとり確認すると10分と表示されていた。
つまり12時間ほど紋章の中に家を収納していたのに、紋章の中では凡そ10分しか時間が進んでいない事になる。
いや、ストップウォッチを押してから家を出て収納し、この場所で取り出して皆と家に入るまでの時間を考慮すると、紋章の中の空間は時間が止まっていると予想される。
念のため、太陽光システムの蓄電池の状況を確認すると、60%となっており家を収納する前と同じだった。
紋章内にも太陽があるのか分からないが、時間が流れているのであれば、太陽光による発電と冷蔵庫による電力消費で、蓄電池の容量は増減するはずだ。
これでほぼ確定した。あの虹色の八角形の紋章の中は時間が停止している。自分しか使えないというデメリットがあるが、これは色々と利用できそうだ。
しかし、この力がいつ使えなくなるか分からないので、最低限の非常食だけは携帯しておこう。その上で生鮮食品は紋章の中にいれておいた方がいいだろう。
そして我が家を常設できる場所が見つかったら、キッチンの冷蔵庫を自分の部屋にある小型冷蔵庫に置き換えれば、かなりの電力マージンが稼げるはずだ。
「ありがとう亜奈。詳しくは食事の時に話すよ。今はとりあえず一緒に夕食作ろう。何か作りたいものはあるか?」
「そうだね・・・色んな野菜をもらっちゃったし、クリームシチューでも作る?小麦粉から作るには牛乳が足りるか微妙だから、もう固形のルーを使っちゃおうよ。まだ買い置きが二、三回分あったはずだよ」
妹の提案どおり野菜たっぷりのクリームシチューと作る事にした。肉は備蓄が心配なので今日は我慢だ。
「んーこれもおいしーやっぱりあなた達の料理ってサイッコーだわ。旅の途中でも食べれるなんてしあわせー」
ほっぺに手を当てながら器用に食べ続けるエルミア。
「こんな濃厚なシチューを食べるのは初めてじゃね。ふむチーズに乳、色々入っておるね。若返ってからどうにも食欲がでるようになったからありがたいわい」
ターシャさんもゆっくりとしたペースだが、スプーンを動かす手を止めない。
初めて使った食材もあり心配だったが、二人の舌に合ったようだ。
二人ともおかわりをして、皆食べ終わったところで自分の紋章について詳しく話していく。
「それって「精霊の袋」より凄いじゃない。確かあれって時間はそのまま過ぎていったはずよ。だから保存食しかいれておけないもの」
「ほー、ほんとに坊主の力は凄いの。儂らと同じ魔法ではなさそうじゃし。これもあれかね才能の一部なんじゃろうか」
「才能?」
初めて聞く単語に思わずオウム返ししてしまった。
「あーそうか、そういう見方もあったわね」
しまった!という顔をして額に手をやるエルミア。
「ギフトっていうのはその名の通り、生まれ持った才能の事ね。芸術や算術に特化してる人が多いんだけど、稀に魔法や精霊魔法に特化した人もいるのよ。ちなみに私には精霊魔法を全て使えるっていうギフトがあるわ。まぁそれでも得手不得手はあるんだけど」
それって全属性使えるという事だろうか。ゲームだったらチートじゃないか。エルミアって凄いとは思ってはいたけど、この世界の基準でもやはり凄い人物だったりするのだろうか?
「でもターシャだって人族の魔法のギフトを持ってるはずよ。あんな動き、普通の人族にはできないもの」
「ありゃま、バレてしもうたかい。余計な事は言うもんじゃないの。まぁ今更あんた達に隠しだてしてもしょうがないかの。儂のギフトは身体能力強化の魔法を更に特化させたやつでね、反射神経やら瞬発力、筋力、体力全てを一時的に引き上げる事が出来るんじゃよ」
こっちは魔法といいながら物理特化か。なるほど、サンドワームとの戦いの時に視えた人間離れした動きも魔法によるものだったのか。
「それで、俺の力もそのギフトでいいのか?」
「あなたみたいに国宝以上のギフト持ちなんて聞いた事ないわ。それにあの時の模擬戦と夜の爆発もあなたの力でしょ。ギフトの複数持ちなんてお伽話の世界の話よ」
厳密には上位次元にアクセスする単一能力のはずなんだが。しかしどうもギフトとは違うような気する。そもそもターシャさんみたいな魔法が自分に使えるかすら怪しいし。
「じゃが、ギフト持ちという事にしておけば、大体の人間は納得すると思うがの。元々ギフトとは理不尽の塊のようなもんじゃし」
「それじゃあ、サーリア村に着いて、家やら畑を出して不審がられても「ギフト」の一言で片付くのか?」
「んーそれだと余計な厄介事になる可能性もあるんだけど・・・秘密にしてたほうがもっと危険ね。そうね、何か言われたらギフトで通しなさい。何かあったら私がフォローするから」
「ああ、厄介事になりそうな時には頼むよ、エルミア。それじゃあこの話はここまでな。シチュー食べ終わってるなら、みんな風呂場で身体拭いてこいよ。俺がここを片付けとくから」
リビングの端に置いてある、災害時用の簡易ぬれタオルのセットと充電式のLEDランタンを取り、エルミアに渡そうとすると。
「ねぇにぃに。私、お風呂に入りたいんだけど」
「はっ?風呂に使える程の予備の水は無いぞ?」
そりゃ自分もそろそろ髪を洗いたいとは思ってたけど。
「ううん、違うの。ウンディーネさんが浴槽に水を入れてくれるって、流石にそろそろ水浴びぐらいしたいかなーと思って」
ああ、そうかウンディーネって癒やしの精霊と言いつつも身体は水で出来ていたから、水を出すぐらい簡単なのだろう。それならついでに、空きのペットボトルに飲料水を入れて貰えないだろうか。
「ア、アンナちゃん。精霊様を便利な道具のように使わないでくれないかしら。私そろそろ倒れそうなんだけど」
「でもウンディーネさんは水を出すぐらいなら、ほとんど力も使わないから大丈夫だって言ってるよ。あと・・・身体は清潔にしなさいって」
「そ、そうなの。ウンディーネ様がそう仰ってるのね。ああそれなら――って私が不潔って事!?」
バタンッとその場に倒れたエルミアに慌てて妹が近寄る。
「ち、違うよ。エルミアさんがって事じゃなくて皆だよ皆。水浴びでもしてリフレッシュしなさいって」
倒れたまま、妹に目を向けるエルミア。
「せ、精霊様が言うなら私はその言葉に従うわ。でもほんとにいいのかしら。精霊様、自ら生み出した水って神水じゃ――」
「亜奈、浴槽に水入れる時に俺も着いていっていいか?」
「えっ?なに、にぃに。覗くんじゃなくて一緒に入りたいの?私もう小学生じゃないんだし、流石に恥ずかしいんだけど・・・」
頬を染めながら手を組みモジモジとする妹。エルミアとターシャさんの目つきが不審者を見るソレになってる。
「違うわ!もしかしたらお湯を沸かせるかもしれないんだよ!」
「ウンディーネさんありがとう」
浴槽に水を張ってくれたウンディーネに礼を言う妹。ついでに空きのペットボトルに飲料水も入れて貰った。エルミアが後ろでなにやら叫んでいたが、ウンディーネは笑顔で快諾してくれた。
ターシャさんに頼んでも良かったのだが、精神力の問題があり、何が起こるか分からない現状では魔法の無駄遣いは避けたいらしい。
「それじゃあ皆、浴室から一旦出てくれ。お湯が吹き出すかもしれないからな」
妹とターシャさんに両脇を抱えられながら、エルミアは強制的に退室させられていく。
三人が出て行った事を確認し、ふぅと息を付いて粒子の世界へと意識を切り替える。
浴室内に様々な粒子が飛び交っている。その中の赤い粒子達を操作し湯船の中に均一に広げる。
この赤い粒子達は、例の秘蔵DVDを葬ってくれた我が友だ。今回も彼らの協力を仰ぐ。
まるで軍人の様に、ビシっと整列している彼らに数瞬振動するように指示を与えると、すぐに湯船から湯気が立ち昇ってきた。
慌てて粒子の世界との接続を切り、桶で湯船を撹拌し手を入れてみると、若干熱いが入れない程ない。
どうやら今回も彼らに助けられたようだ。
「亜奈ー!もう入ってきていいぞー!」
ガチャとドアが開かれ浴室に三人が入ってくる。
「えっ!?もうお風呂沸いたの?ここって電気きてないから追い焚きできないよね?」
「この前の夜、家の外が爆発した事があったろ。それを利用して水をお湯にしてみた。まぁ少し熱いかもしれないけど十分入れるから」
そう言うと妹は湯船の表面に手のひらを当て温度を確かめている。
後ろの二人はその様子を興味深く見守っている。こちらの世界でもお風呂に入る習慣などあるのだろうか。
「あっ本当だ暖かい。これならお風呂に入れるね。ありがとう、にぃに。あと、その――」
「分かってる。俺はリビングで片付けをしておくから、皆でゆっくりと入るといいさ。ランタンの取り扱いだけは気をつけてな」
妹の頭をぽんぽんとしてリビングへと向かう。後ろでは、さっそく女性陣の騒ぐ声が聞こえてくる。
ああやって騒いでる間は、妹も不安に思う暇などないだろう。
それに今回のような我儘を言う余裕が出てきたのならば、それは歓迎すべき事だ。
リビングで片付けをしながら、昼間のスタンピードの事を思い出す。
粒子制御と未来視の力を使えば、自分も戦闘に参加できたのではないだろうか。
エルミアやターシャさんのように、実戦経験豊富というわけでもない。魔物を殺すという覚悟すらまだ出来ていない。
それでも、あの時なにも出来なかった自分が、もどかしく感じられた。
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