輪舞曲
「それじゃあもうリビングの電気消すからな、おやすみ」
「「おやすみー」」
あの衝撃的な事実を知ってから、それからどのようして家に帰り、夕飯を食べたのか記憶が曖昧だ。
ターシャさんに明日の明け方、向かえに行くと話したのはなんとなく覚えているが。
そもそも精霊との契約とは、一体どういうものなのだろうか。せめて事前に、口頭でもいいから契約内容の説明をして欲しかった。
携帯でもオプション契約の時には説明があるというのに、中途解約とかしたら法外な物が取られるのだろうか。
あのモグラ達の事だ、今度はテレビやPCを要求してきそうな気がする。
これ以上、答えのでない事を考えても仕方ない、さっさと寝てしまおうと照明の電気を落としてソファーに横になりタオルケット羽織る。
・・・・・・
紋章を使いすぎたせいだろうか、少し頭痛が気になって寝付けない。
頭痛はさほどではないが、昨晩とはまた違って、頭が重く締め付けられている感じがする。
明日からの旅に備えてきちんと眠っておかなければ、修学旅行のようなスケジュールに沿った旅とは違うのだ。
何が起こるか分からないし、状況に応じ適宜判断していかなければならない。
しかし、寝なければと焦れば焦るほど眠気が遠ざかっていく。これでは思考のループだ。
起きて温かいミルクでも飲もうかと瞼を開くと、目の前にはこちらをジッと見つめる緑色の双眸があった。
「ひぃぃぃぃぃぃい!」
「ひゃああああああ!」
ん?これは昨晩も同じ事があったような。ソファーから起き上がり、思わず深い溜息をつく。
月明かりを手がかりに、目の前の人物の腕を掴んで自分の横へと座らせる。
「あのなぁ亜奈。昨日の今日だぞ、また朝っぱらからエルミアの説教を受けたいのか。今日の頭痛は我慢出来るぐらいだから、ウンディーネはいらないぞ。明日に備えてベッドできちんと眠らないとキツイぞ」
「えっ頭痛ってなによそれ?聞いてないわよ私」
あれ?妹じゃない・・・という事は必然的にもう一人の同居人に絞られるわけで。
「すいません人違いでした。お帰りはあちらのドアからお願いします。あと俺がソファーに引き込んだっていうのは、亜奈には内緒にして下さい。後生ですから。」
その同居人に拝むようにして頼み込んでいると「Pi!」という電子音とともにリビングに明かりが灯る。
恐る恐る顔を上げると、金色の髪をした美しいエルフが、青い毛布を肩に掛け、照明のリモコンを片手に笑っていた。しかし、その緑色の双眸は決して笑っていない。
「それで、頭痛ってどういうことよ?ウンディーネ様に治して貰うぐらい酷いものだったの?」
ズイッと顔を寄せてこちらの顔色を伺ってくるエルミア。
「い、いや大した事じゃ――」
その視線から目を反らした時、彼女が涙目で自分に胸に縋ってきた光景が脳裏に過った。
――「・・・まだ私の事、信用してくれてなかったの?」
そうだ、彼女は大切な仲間だった。それに今日の昼にこれからは色々と相談させて貰うと宣言したばかりだ。ならば今は少しだけ彼女の肩を借りよう。
視線をエルミアに戻し、彼女の肩を掴んで少し距離を取らせる。
「実はな、昨晩の爆発や物を収納する能力を使うと、少なからず脳に負担がかかるんだ。それで昨日はその力を使いすぎて頭が痛くて眠れなかったんだ」
「眠れない程痛かったの?」
「情けない話だけどその通りだ。特に昨日は酷くて、ウンディーネがいなかったら一睡も出来なかったと思う。ただ力の制御方法にも慣れてきて、今はそれほど痛みはない」
すると、彼女は顔を頬を染めながらソファーに座り込み、ポンポンとふとももを叩いた。
「こ、こんな事、普段はしないんだから早く頭を乗せなさい」
これは膝枕してくれるという事なのだろうか?しかし、今の彼女は格好は、妹の着せ替え人形にされていた時の一着であろうミニスカート姿。
つまり生太もも。流石にこれは不味いのではなからろうかと逡巡していると、頭を抱えられ強制的に膝枕された。
エルミアの甘い香りが鼻孔をくすぐり、太もものなめらかな肌ざわりが気持ちいい。人肌に触れるとこんなにも落ち着いた気持ちになれるものだっただろうか。
「母なる水の精霊よ、我らに慈悲を、痛めし肉体に癒やしの雫を・・・」
頭痛と頭が重かった感覚が徐々に引いていき、頭がスッキリとしていく。
「どう?頭痛は無くなった?こちらの感覚だと、もう治せそうなところは無いのだけど」
「ああ、もう完全に治ったよ。ありがとうエルミア、助かったよ」」
そうお礼を言い、少し名残惜しいが彼女の太ももから頭を上げようとするが、手で押さえつけられて起き上がれない。
「なぁ、もう治ったから膝枕しなくていいぞ。エルミアも恥ずかしいんだろ?」
「も、もうすぐ成人になるんだもの。膝枕ぐらい、恥ずかしくなんてありませんー」
ちらりとエルミアの顔を見ると、顔を真っ赤にして横を向いていた。
「そう言うならそれでもいいけど・・・エルミアは俺に無茶するなとか言わないんだな」
「えっ?ああ、そうね。どうせあなた、言っても頑張っちゃうでしょ。だから私は言わない。でも、本当に辛い時は一人で我慢せずに、さっきみたいにきちんと言葉にして伝えてね。そうしたら、またこうやって癒やしてあげるから」
髪を掬う感触が心地良い。このまま眠れたどんなに幸せだろうか。
「そうか・・・ありがとなエルミア」
癒やしてくれたお礼とは別に、無茶する自分を見守ってくれる彼女に感謝してお礼を言う。
「べ、別に感謝されるようことじゃないわ。私があなたを守るっていったでしょ。これもその一つよ」
照れながらそう言う彼女の姿を見ていたら、なんだか安心して瞼が重くなってきた。
「それでいつまで膝枕するつもりなんだ?このままじゃエルミアが眠れないだろ」
「野宿して魔物を警戒しながら眠る事に比べたらなんて事ないわよ。いいからこのまま眠りなさい。どうせ旅の事が心配でごちゃごちゃと考えてたんでしょ」
その言葉にビクリッと身体が反応する。
「なんで分かったんだ?」
「私もナーナリアから旅に出た時に経験あるもの。それとアンナちゃんも不安そうだったから寝かしつけてきたわよ」
「亜奈もそうだったのか・・・すまん助かった」
自分の事で精一杯でそこまで頭が回らなかった。自分は兄なのに妹のそんな様子一つ気づいてやれなかった。
「大体考えてることは想像つくけど、アンナちゃんもあなたと同じで、心配掛けたくなかったみたいよ。ほんとに似たもの兄妹ね、あなた達。それに別の土地に行くんだもの、新しい出会いや出来事に、期待で胸を躍らせるばかりじゃない。誰だって不安の一つや二つ抱えてるわ」
当たり前のように言うエルミアだが、そうやって達観するまで、どのくらい旅を続けたのだろうか。もう少しだけ彼女の事が知りたい、そう思った。
「なぁ、エルミアがナーナリア出た理由ってなんだったんだ?」
「んーほんとは内緒にしておきたかったんだけど、さっきは私の事を信じて正直に話してくれたみたいだし、特別にエルミアさんの事を少しだけ教えてあげましょー。アンナちゃんにも内緒だからね、これはあなたと私だけの秘密」
ウインクしてから、彼女はゆっくりと自身の事を話し始めた。
「私の家はね、ナーナリアの中でもそこそこの家柄だったの。それで私の周りにはいつも亞神信仰の偉い人達いて、その中には他種族を馬鹿にする人だっていたわ。初めはそんな環境に対する反発心からだったの。なんでいつも力を貸してくれる精霊様じゃないのか、他種族にも良い人はたくさんいて、きっと皆仲良くできるはずだって」
自分の頭を撫でながら、遠くを見るように話し続ける。
「それからは周囲の人達を説得し始めた。他宗教・他種族の人達とも仲良くしましょうって、もちろんそんなの子供の戯れ言だって聞いてもらえなかった。そんな事を続けてたら、周りから少しずつ孤立していったの。でも私の母だけは違った、あなたの言っている事は正しいって肯定してくれた。でもそれを通そうと思うのなら相応の覚悟が必要で、あなたにその覚悟はあるのかとも言われたわ」
母親の事を語っていた時の彼女はどこか誇らしげだった。
「その時は答える事は出来なかった。だってそんな覚悟なんてなかったから。成長しても自分の信じた事を頑なに曲げようとはしなかった。そんな時、母から言われたの。中から変えるのが難しいと思ったなら、外からナーナリアを、他国を見て自分の覚悟を示しなさいって。それですぐナーナリアを飛び出して、世界中を旅し始めたの。まぁその中で少し嫌な事があって、こんな可愛げのない性格にもなっちゃったんだけどね」
突如、彼女が真剣な表情をしてこちらを見つめてきた。
「そうしてあなた達に出会った。エルフの少女と人族の少年の仲睦まじい姿が眩しかった。同時になんで私が彼女の場所にいないのかって嫉妬した。そしてあの三つ目のオーガがやってきて、今まで信じてきた道を、覚悟を自分に示そうと立ち向かった。でもそんな覚悟は簡単に折られたちゃったの。起き上がってきた三つ目のオーガを見て、もう無理だと思った。なんで私はここに来てしまったんだろう。なんで見ず知らずのエルフの少女と人族の少年を助けようとしたんだろうって」
慈しむように頬を撫でられる。
「その折れた心を、私の信じてきた道を、母と同じように肯定してくれたのがあなただったの。片手で剣を構えるあなたは、正直に言うと足も震えてて格好悪かった。でもその後ろ姿に感じたの、私の信じた道とその覚悟は正しいと証明してみせるって。だから私は――ってハッ!」
エルミアが突然立ち上がり、もれなく自分は彼女のふとももから滑り落ちて、顔面から絨毯へとダイブする事になった。
「ガフッ!!いってー!エルミア!?何かあったのか?」
ソファーの方を見上げるが彼女の姿が見当たらない。リビングをグルリと見渡すと、ドアの近くで両手で顔を隠している彼女がいた。
「い、今の話は無し。嘘、冗談、作り話だから。なんか流れでとんでもない事を言いそうになっちゃった。あーもーなんで私っていつも勢いに任せてばかりなんだろ。やだもー」
今度は頭を抱えなにやらブツブツ独り言を言い始めた。
「なぁ大丈夫か?体調が悪いなら明日は延期にするか?」
「いえ体調なら大丈夫よ。うん、もう大丈夫。もう痛いところはないのよね。それじゃあ私は部屋に戻って眠るから、おやすみ!!」
ドタバタさせながら階段を上がっていくエルミア。真っ暗なのによく転けないな。
ソファーに横になり照明を落とすと、すぐに睡魔が襲ってきた。これなら朝まで熟睡できそうだ。
それにしてもエルミアが理想主義者だったとは驚きだ。きっと幼い頃は素直でいい子だったんだろう。そして今でも竹を割ったような性格をしている。自分のように捻くれてはいない。
でも彼女が信じる道は茨の道だ。どこかで妥協し清濁併せ呑まなければ、待っているのは自身の破滅。それでも――
「エルミアの後ろ姿に焦がれてたんだから、俺がそれを肯定するのは当たり前じゃないか」
毛布を取りに戻ってきた金色の影に、その時は気付かなかった。
「おはようございます、ターシャさん。これからよろしくお願いしますね」
「ああ、おはようさん。なに世話になるのはこちらの方じゃて、こちらこそよろしく頼むよ」
ターシャさんは、ブラシのようなもので馬の毛並みを整えていた。その道具を手際よく片付けていく。
「儂の方はもう準備できとるよ。野営の道具なども馬車にもう積んどる。あとはあんたに任せるよ」
「任せれました。「アクセス」」
あとはターシャさんの家を収納するだけだ。我が家と庭園そして畑はここにくる途中、既に収納している。
紋章を家より少し大きめ広げて中へと格納していく。そうして目の前には綺麗に抉られた大地だけが残った。
先ほど庭園を格納する時に実験したのだが、無限に広がると思われた虹色に輝く八角形の紋章は、目測で半径100Mぐらいでその広がりが鈍化した。
まだ先にいけそうな手応えはあっただが、頭痛が酷くなってきて、これ以上は危険だと断念した。とはいえ、未だ最大収納容量の底すらみえないので、現状はこれでも十分なのだが。
「改めて見るとやっぱりすごいもんだねぇ、あっという間に家が無くなっちまったよ」
まじまじと家があった場所を覗きながら、枝葉で抉れた土の部分をツンツンと突いているターシャさん。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか。行き先や道筋はターシャにお任せしても大丈夫なんですよね」
「ああ、そうじゃね。馬車で三日ぐらいのところに息子達が住む隣村があるからの。道筋もちゃんと覚えとるし大丈夫じゃよ」
各々の荷物を馬車に積み込んだあと、ターシャさんは御者台へと移動し、自分達も馬車の中へと入っていく。
中は思っていたよりも広く、座っていても十分足を伸ばせそうだ。側面には窓ガラスが付いており、前の方には御者台に続く小窓まで完備されていた。
車体後部にはきちんと収納スペースが用意されており、デザインと実用性を兼ね揃えたこの馬車からは、例のモグラの心遣いが感じられる。これはもう客車と言ってもいいだろう。
妹が自分が隣に座り、なにやらワクワクした様子で窓の外を見ている。昨晩エルミアから聞いた話では不安で眠れなかったようだが、今はそんな雰囲気の欠片すらない。小さく安堵の息をつく。
エルミアはというと、妹の正面に座って、なにを考えているのか分からないがボーっとしている。大丈夫だろうか?
「それじゃあ、出すからの。結構揺れるから、酔ったりしたらすぐに言うんだよ」
ターシャさんが小窓から顔をひょっこりだし忠告してくれる。
「分かりました。お願いします」
馬の鳴き声と共に、窓の景色がゆっくりと流れる。この世界にきてたった三日ではあるが、なんとなく感慨深い。
妹も窓に流れる風景を、少し戸惑った様子で眺めている。左手をそっと妹の右手に重ねると、強く握り返してきた。
ガタゴトと揺れる馬車の中、お互いの手を強く握りしめた。
窓から太陽が見えなくなり日も高くなった頃、馬車が一旦停止した。
御者台に通じる小窓がガラッと開き、ターシャさんが馬車の中に顔を覗かせる。
「ここらで休憩にしようかね。あんた達も酔ったりはしなかったかい?」
「ええ、こっちは大丈夫です。馬車は揺れると聞いていたんですが、思ったより揺れなくて拍子抜けしたぐらいです」
そうなのだ、中世ヨーロッパ辺りの馬車は揺れが酷く、嘔吐する事も珍しくなかったらしいが、この馬車はほとんど揺れなかった。
現に妹は自分の肩にもたれかかって静かに寝息を立てている。
「おい、亜奈そろそろ起きろって。休憩だ休憩」
「ん、にぃにもう少しだけ、もう少し・・・」
起きるどころか自分の脇の下から手を回し、熟睡できる姿勢を探そうと抱きついてくる。
両手で引き離そうとするが、妹は決して離しまいと更に力を込めてくる。どうしたものかと思案していると、妹の耳元でパンパンと音が鳴らされた。
顔を上げると不機嫌そうな表情をしているエルミアがいた。
「アンナちゃん!そろそろ起きて!少年が困ってるでしょ!」
「えっ!何!?何が起きたの!?」
ガバッと起き上がり左右を確認している妹。まだ寝ぼけているな。
「亜奈、休憩だってさ。作ってきた昼ごはんを出すから手伝ってくれ」
「あれーもうそんな時間?うん、分かったよ」
目をゴシゴシと擦りながら自分に続いて馬車から降りてくる。
目の前には一面、青々とした草原が広がっていた。
馬車の前後には、申し訳程度に馬車一台が辛うじて通れる道らしきものがある。そこに目を凝らして見ると轍のようなものが微かに見えた。
人の交流ほとんど途絶えてしまったため、街道そのものが風化してしまったのだろう。
しかしこの整備されていない路面状況では、揺れは相当酷かったはずだ。
馬車の下を覗き込むと、そこには車軸と車体を繋ぐ部分にバネらしきものがあった。
昨日モグラ達がリフォームする前の荷馬車には、こんなものは付いていなかったはず。
という事はこのサスペンションらしきものは、あのモグラ達が作ったのか。今まで渡したのはスマホとポータブル音楽プレーヤーのみ。
おそらくはその部品の中からバネを見つけだし、サスペンションを発明したのだろう。恐ろしいほどの応用力である。
自分が馬車の構造について唸っている時、ターシャさんは馬車の収納スペースから桶を二つ取り出し、片方には魔法で水をいれ、もう片方にはなにやら大き目の石を入れていた。
「ターシャさん、その石はなんですか?」
「これかい?これは岩塩じゃよ。馬も汗をかくからの、時々こうやって与えてやらにゃならん。放っておくと自分の糞を食べだして体調を崩すからの。まぁ桶に入れておけば勝手に舐めだすさね」
そういえば動物も人間と同じように塩分は必須で、塩分を足りなくなるとミネラル欠乏症になり、塩を求めて放浪するようになると聞いた事がある。
知識では知っていても、実践となるとまた話は別か。単なる頭でっかちになるか、それを利用して生活に活かせるかどうかは本人次第という事だな。肝に銘じておこう。
「にぃにも手伝ってよ!」
いかん。どうやら考え過ぎていたらしい妹様がご立腹だ。
馬車の収納スペースからレジャーマットとバスケット、そして魔法瓶二個を取り出す。エルミアには剣で周囲の草を薙ぎ払ってもらった。
空いたスペースに、妹と一緒にレジャーマットを敷いて昼食の準備をする。
「ターシャさん、昼食の準備が出来たので、一緒に食べましょう」
馬の側から離れたターシャさんの口には何か咥えられている。
「儂はこの干し肉があるからええよ。あんたらだけで食べとくといいさね」
「いえ、ターシャさんの分も作ってきてるんで、余ったら勿体ないので食べてください。それにずっと御者してて疲れてるでしょ。少しでも食べて英気を養って下さい」
「んーそうかい?それじゃごちそうになろうかね」
各々が席につき、バスケットを開けると出てきたのは、おにぎり、卵焼き、ウインナー、パスタといったお弁当の定番である。
本当はサンドイッチにしようかと思ったのだが、食パンの賞味期限がまだ先だったので、備蓄に余裕のあるお米をメインに添えた。もちろん魔法瓶にはそれぞれ緑茶と味噌汁が入っている。
「ほーこれはまた珍しい料理だね。この茶色いスープに、これは紅茶かい?こんな香りは初めてだね」
「俺の国のお弁当の定番なんです。お口に合うか分かりませんがどうぞ食べて下さい」
ターシャさんは、バスケットにあるものをフォークで丁寧に皿に盛り付け、ゆっくりと味わうように食べ始めた。
「ふむ、食べたことの無い味じゃが確かに美味しいね。特にこの緑色の茶が気になるんじゃが、この茶葉はどこで取れるんだい?儂も育ててみたいんじゃが」
「えーと、確か紅茶も緑茶も同じ茶葉を使ってます。それで摘みたての茶葉に加熱処理したものがこの緑茶になって、そのまま発酵させたのが紅茶になるとか」
「ほー、それじゃあ茶葉を鍋で炒ったりすればええんかね」
「そういう方法もあるらしいです。でも自分のいた国では、基本的には蒸気で蒸すのが一般的だったはずです。すいません、俺もこれ以上詳しい方法は分かりません」
「いやいやそれだけ分かれば十分じゃて。茶の新しい飲み方が分かってワクワクしてきたわい。隣村に着いたら早速試してみようかね」
食後には収納実験に使った薄いクッキーを出した。するとターシャさんが例の王室御用達の紅茶を振る舞ってくれた。
まったりとした午後の一時を過ごし、そろそろ片付けようと立ち上がったその時――奴らがやってきた。
「そんな!?いくらなんでも早すぎる!」
エルミアの視線の先には土煙を上げてこちらに向かってくる緑色の魔物達がいた。少なくとも百は下らないだろう。
「エルミア!あの三つ目のオーガは!?災害級はいるのか!?」
自分の視力ではそこまで判別できない。
「・・・いえ、災害級はいないようね。ほぼオークだけの構成だわ」
「目標はターシャさんの村なんだろ。それならなんとか、やり過ごす事はできないのか」
「いいえ、私達が奴らの進路上にいる以上、必ず接触してくるわ。でもあの程度なら私の矢で遠距離から殲滅可能って嘘!?」
オークの手前に数匹の巨大なミミズが地中から姿を現した。
「ほほう。サンドワームかえ。確かに昔はこの辺りでも出とったが、まさかまだ生きとったとはのう」
懐かしげに魔物を見るターシャさん。
「ターシャ、あなた行けるの?」
エルミアは馬車の収納スペースから弓矢を取り出しながら、ターシャさん視線を投げる。
「今の儂の身体なら、あの程度なら朝飯前じゃて、伊達に長生きしとらんよ」
ターシャさんは身体の関節の動きを確認しながら、挑発的な目でエルミアを見る
「そう、じゃあ援護はいらないわね。私はオークに集中するから、サンドワームはお願い」
金属で出来た棒を凄まじい勢いで組み立てていくエルミア。
「それは構わんがの、後ろから打たないでおくれよ」
どこから取り出したのかショートソードを手に、サンドワームへと歩みを進めるターシャさん。
「エルフにそれを言う?」
馬車の上に飛び乗り、弓矢を構えて、すこし不満気な表情でエルミアは口を開く
「ほっほっほっ、そうじゃったそうじゃったすまんね、エルミアちゃん」
二人の視線が交差し、ターシャさんが片手を指揮者のように振るとその姿が掻き消えた。
同時にエルミアが詠唱が始める。
「弓に纏いしは聖光なる精霊の息吹、天駆ける矢となりて、我が敵を討ち滅ぼせ!」
光の矢がサンドワームを飛び越えたあと二十の光の雨に姿をかえ、オークのいた場所に寸分違わず着弾し、爆音と共に大きな光の花を咲かせる。
息つく暇もなく詠唱と矢を繰り出すエルミア。
一方、ターシャさんはというと地面を這うように走りながら、サンドワーム達の体当たりを巧み躱し続けていた。
そしてサンドワームとターシャさんがすれ違ったあとには、サンドワームからどす黒い血しぶきが飛び、その巨体に小さな穴が次々と空いていく。
ターシャさんが一体何をしているのか分からない。でもあの自分もあのように戦えたならば――
「connect」
視覚野に今行われている膨大な戦闘情報が叩きつけられる。
そこから無駄な情報を削ぎ落とす。必要なのはターシャさんに関する情報のみ。
視覚が拡大されターシャさんの周囲にある粒子からのみ情報が伝達されてくる。
彼女に再度サンドワームが体当たりを試みる。その動きに呼応するようにターシャさんはサンドワームに突撃する。
右手のショートソード逆手に持ち替え、接触までほんの数mmといった極限までサンドワームに近づき、相手の運動エネルギーを最大限に利用しその巨体切り刻んでいく。
それはまさに究極のカウンター。1cmでもズレたらターシャさんの身体はゴム毬のようにはじけ飛ぶ。実際、自分の目にはその未来の可能性も見えている。
だが彼女はその死線さえ巧み潜り抜け、最適な未来へと自身を導いていく。それはまさに死の輪舞曲。一歩でも踏み外せば確実に死が待っているのに、彼女は華麗にステップを踏み次なる獲物探す。
そうして獲物を見つけた瞬間、握りしめられていた左手の拳を、何かから解き放つように思いっきり開く。すると彼女の背後に幾つもの圧縮された空気が生まれ、切り刻まれてたサンドワームに更なる悪夢をもたらす。
圧縮された空気の渦はそれ自体が亜音速まで加速し、サンドワームの内部を更にズタズタに切り裂いていく。一つ一つの穴は小さいが確実にその体積を減らし、また急所を抉っていく。
そうしてまた始まる死の輪舞曲。
「disconnect」
思わず接続を切ってしまった。彼女が行っているのは、その類まれなる反射神経を利用したカウンターと、卓越した魔法技術を複合させた技。
カウンターに限れば、自分も上位次元へとアクセスし似たよう事は可能だろう。なぜならば、起こりうる可能性を見る「未来視」という力があるのだから。
だが彼女も「未来視」の力があるという事は無いだろう、極至近距離での戦闘であっても更に安全で最適なルートは視えていた。
ターシャさんがやっている事、あれは一種の自殺だ。自分が殺される事を含めた上でのあの絶技。魔物と対峙する度に彼女は一度死んでいる。
三つ目のオーガの時にみた、エルミアの剣技も凄かったが、それは安全を確保した上で一撃を加える、彼女のスピードを活かしたヒットアンドアウェイ。
だがターシャさんのソレは、一撃に全てを賭けたクロスカウンター。それにベットされているのは彼女自身の命。命綱なしで細い糸の上を渡るかのように、自身の命を全く勘定に入れていない。それが当然のように繰り返し行われている。
その精神が理解できない。草花や木々をまるで我が子にように眺めていたあの老婆とはどうしても一致しない。
「にぃに、終わったみたいだよ」
その声で現実に引き戻された。顔を上げると遥か遠くは焦土となり、あのサンドワーム達は全て地に伏していた。
ターシャさんがいつものように飄々とした様子で戻ってくる。その彼女に駆け寄っていくエルミア。
「ターシャ、あなた凄いじゃない。魔法だけかと思ったら剣までやれるなんて思いもしなかったわ。私と同じで遠距離から魔法で仕掛けると思ったのに」
「いや何、儂はあれしかできんのでの、エルミアちゃんみたいに器用にはやれんのじゃて」
妹は馬車の収納スペースからタオルを取り出し二人に近寄っていく。
「ターシャさん、エルミアさん、これで顔を拭いて。二人共凄い汗だよ」
「ありがとうアンナちゃん。あー疲れたーもう今日はここで野営しようよー」
「いや、なるべく早く村から遠く離れたほうが良かろうて。流石にこんな短期間でのスタンピードは初めてじゃし、これから何が起こるか分からん」
自分も彼女達を労いたいところだが、足が動かない。三つ目のオーガの時のような力による威圧感によるものではなく、それはまるで直接精神を削られていくような感覚だ。
その元凶たる彼女が自分に近寄ってくる。人間、理解できないものに不安を覚えるというが、人に対してここまで強烈な不安を感じるのは初めてだ。
「坊主?さっきからボケっとしてどうしたんじゃ?サンドワームの死骸でもみて怖くなったのかの」
カラカラと笑う彼女。いや怖いのは――
「ふむ、本当にどうしたんじゃ?おまえさんが見せてくれたものに比べたら大した事ないじゃろ、どれ」
彼女の手が自分の額に押し当てられそうになり、反射的に一歩後ずさる。
「坊主?――まさかおまえさん視えたのかい?」
ターシャさんの表情が、一瞬死神のそれに見えた気がした。
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