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出立に向けて

 あの後、ターシャさんのご厚意で、昼食までごちそうになることになった。


 初めは辞退したのだが、若いもんが遠慮せんええ!とターシャさんから押し切られた形だ。見た目が妹達と変わらなくなったターシャさんから言われると、非常に違和感がある言葉である。


 ちなみに出されたものは、野菜がふんだんに使われたポトフのようなものと、黒パンだった。


 黒パンが固くて噛みきれずに四苦八苦していると、エルミアからポトフに浸して食べなさいと言われ、その通りにすると難なく食べることが出来た。


 普通、黒パンはスープに浸して柔らかくするか、粥にして食べるらしい。そして保存食として優れているので味は二の次なのだそうだ。


 ポトフは全体的に薄味だったのだが、野菜がふんだんに使われて出汁が効いているせいか美味しく頂けた。


 まぁ食事を頂けること自体ありがたいので、文句のつけようもないのだが。


 食後の紅茶を頂き、人族の魔法と、この辺で取れる食物についてターシャさんに教えてもらおうと思っていると。


「少年、アンナちゃん。なるべく早くこの村を離れた方がいいわ。明日にでも家の荷物を纏めて、近隣の村まで避難しましょう」


 神妙な面持ちでエルミアが言葉を発した。


「なんだよ突然。それに避難って、またあの災害級でも現れるのか?あいつ倒したから、もう魔物は出ないんじゃなかったのか?」


 それにスタンピードは10年から20年に一度発生すると先ほど説明を受けた。亞人召喚された土地とは言え、こんな過疎地では、先日のような事が起きる事は皆無ではなかろうか。


「そうね。普通のスタンピードであれば問題なかったのだけど・・・もしかすると、この村周辺がスタンピード頻発地域なるかもしれない」


「それは亞神召喚と関係してるか?」


「ええ、その通りよ。亞神召喚と同時にスタンピードが起きた土地では、暫く魔物が異常発生するらしいの。災害級の事ばかり考えてたから、完全に失念してたわ」


 そう言いながら悔しそうに自身の爪を噛むエルミア。


「あの三つ目オーガみたいのがまた現れるっていうか」


「例え災害級が現れなかったとしても、次は魔物の数が今回の比にはならないと思う。そうなると、私一人じゃとても貴方達を守れないわ」


 となると我が家を捨て去る事になるのか・・・いや、今は妹の命が最優先だ。なによりエルミアが逃げろと言っているのだ。それはあの災害級と同程度の脅威が差し迫っているに違いない。


「そうか。亜奈、家に帰ったらすぐに、かさばらない非常食の仕分けを手伝ってくれ」


「・・・うん。分かった」


 我が家から去る事を理解してるようだ。妹の目には不安が見て取れる。


 妹は異世界にきて精神が不安定に、いや既に若干幼児退行を起こしている。それは心の防衛機制なのだろう。


 いずれ召喚陣を探す旅に出る予定だったが、それまでは我が家で、妹をこの世界に慣れさせるつもりだった。


 こんな形で無理矢理離れさせるのは得策ではないが、現状これ以外の選択肢がほぼ無いと言っていいだろう。


 この地に留まり、エルミアと共に魔物達に立ち向かうとなると、必ずウンディーネの力が必要になる。


 それは、三つ目のオーガに立ち向かった時の再現に他ならない。あの時のように泣かせたくはないし、妹の心が傷が心配だ。


 それに、未来視やあの粒子制御があるとは言え、まだ魔物と戦う心構えが出来ているとは正直言えない。


 そうして容赦なく降りかかってくる「死」という現実。ウンディーネも自然の摂理に背く云々言ってたらしいし、死者蘇生は無理なのだろう。


 ともあれ、なし崩し的とはいえ旅だ。幸い非常食も手を付けていないし、一人ぐらい増えても構わないだろう。


「良かったらターシャさんも――」


「そこの人族まで連れていく必要はないわ。なにより私はあなた達の護衛なのよ。そこを勘違いしないで」


 今まで人族に対して少し上から目線だったエルミアではあるが、それでも自分の知っている彼女とは思えない物言いに驚いてしまう。


「「エルミア(さん)!」」


「ええんじゃよ、坊主にアンナちゃん。儂は庭と畑の世話があるからの、ここを離れる訳にはいかんて」


 ターシャさんは若返る前と変わらずに飄々した様子だ。


「ターシャさん、庭や畑よりも命の方が大事ですよ。保存食なら結構量がありますから心配ありません。一緒にここから離れましょう」


 テーブルに手を付き身を乗り出しながら、説得を試みようとするがターシャさんは頭を振るばかりだ。


「ほら、いいって言ってるでしょ。私は早く帰って弓矢と剣の手入れしたいの」


 エルミアは既にドアを開けて外で待っている。そんな彼女のどこか冷ややかさな様子に苛つきを覚える。


 さっきまでは穏やかな顔でターシャさんの紅茶を飲んでいたのに、脅威が迫っていると分かった途端そんな反応はないだろ。


 彼女に歩み寄り、肩に掴み無理矢理こちらに向かせる。


「エルミア!」


 そこには自分の知らない、彼女の冷め切った表情があった。


 人族と亜人種、聞いた話では信仰の違いから時々種族間の差別があるというが、彼女もまたそれに飲まれていたのかと愕然となる。


 ・・・いや、それなら三つ目のオーガの時も、エルフである妹を連れて逃げれば良かったはずだ。人族の自分を置いて。


 思わず自己嫌悪してしまいそうになる。あんなにも焦がれていた彼女の後ろ姿に、自分で泥を被せるところだった。


 エルミアの表情をよく観察していると、その目は何か我慢しているような、それでいて悲しそうな目をしている。


 つまりそれは彼女の本心からでの行動では無いという事。一体何が・・・


「坊主にエルミアちゃんよ。儂なんかの事で喧嘩しないでおくれ。これは儂自身の問題なんじゃからの」


「ターシャさん」


「・・・」


「すまんの。儂のせいで坊主との仲をこじらさせるとこじゃった。エルミアちゃんも、ほんに人を思いやられる優しい子じゃね」


 ターシャさんは申し訳無さそうにエルミアに頭を下げた。


「な、なな、何言ってるのよ!私はあなたを守る理由なんてないって言ってるの、それ以上の理由なんてないの!」


 凄然たる態度を崩し、何やらワタワタと慌てだしたエルミア。


 いや、それなら自分を守った理由も無いんだが。一食の恩にしては大きすぎるし。


「エルミアちゃん、無理して悪役になろうとせんでええよ。坊主にアンナちゃん、あんた達の言葉も嬉しいんだがね、儂は庭や家を捨てて逃げる訳にはいかんのじゃ」


 それまで黙っていた妹がおずおずと立ち上がり口に開く。


「あ、あの。家が大切なのは分かります。私もいきなり別のところに行けって言われたら反発すると思うし。でもそれは命を捨ててまでする事じゃないと思うんです、ターシャさんの大切な人も悲しむと思うし」


「そうじゃな・・・息子や義理娘、孫達も悲しむかもしれん。じゃがそれでも儂はここから絶対に離れられんのじゃ」


「そ、そんな、そうして・・・」


 ターシャさんの頑なな姿勢に、妹は椅子ももたれかかるようにして座り込んだ。


「はぁ・・・もう仕方ないわね」


 先ほどの冷淡だった態度はどこへやら、やれやれといった感じのエルミアが、カツカツと靴の音を響かせながら家の中を歩く。そうしてターシャさんと向き合った。


「この手の人はね、人生の全てを一つのものに掛けているの。それがこの人にとって、あの庭園や畑だったりするんでしょ。身の危険が迫ってるって、私達がどんなに忠告しても絶対に動くわけないわ」


 その言葉にターシャさんは、その通りだと言わんばかりにニッコリと笑う。


「どんな結末を迎えようとも、それは彼女の意思で決めたこと。私はその意思を尊重したいわ」


 エルミアは真摯な表情で、ターシャさんの運命を受け止めようとしていた。




 結局、あのまま家に帰ってきてしまった。去り際、ターシャさんに何か声を掛けねばと考えていたら「あんた達にも辛い思いさせてすまんね」と逆に気を遣われてしまった。


 妹はあれから一言も喋っていない。エルミアや自分が何か話しかけても苦笑いして誤魔化すばかりだ。


 そして家に着くとすぐさま自室に駆け込み、エルミアも心配そうに付いていった。


 翻って自分はどうなのかと言うと、同じく心の整理が付いていない状態で、リビングのソファーに座り込んでいた。


 ターシャさんの意思、それに敬意を払うエルミア。自分の意思を貫く事、それはきっと尊い事だ。三つ目のオーガに単身突撃していったエルミアも、自身の信条を貫き通した。


 だから、その選択に疑いを持っていけないんだと思う。それでも、心の奥で納得出来ないと叫ぶ自分がいる。


 リビングの窓ガラスを開けると、心地より風と共に、一枚の花びらが部屋の中に入ってきた。それを摘み上げ、目の前に広がる庭園に重ねる。


 そう、これがターシャさんが守りたいもの。彼女が人生全てをとして作り上げてきたもの。


 それを全て投げ捨て一緒に行こう、というのは自分のエゴだったのだろう。


 ただ、見知った人が理不尽に危険な目に合うのが我慢出来なかっただけ。当たり前のように付いてきてくれると思っていた。いくら大切なものでも自分の命を優先させるだろうと。


 もし、妹がこの地から離れられない事情があった場合、自分はどうするだろう。考えるまでもない。家族を、大切な妹を守るためにこの地に残り戦うだろう。


 命を賭してまで守る対象が、人でなくてもいいはずだ。それは人それぞれの価値観の違いにすぎない。自身の事さえ分からないのに、他者の事がどうして分かるというか。


 でも、もしこの光景を切り取って持ち運べたならば――


 ふと、知識神が立方体を平面に押し付けながら説明してくれた様子を思い出す。


――「我々から見ると、これは「大きさが変化する平面」のようにみえるが、二次元世界の住人から見ると、「長さが変化する一本の線」であるとしか認識されない。」


 リビングにあるメモ用紙とペンを持って立方体と平面を描く。


 二次元の平面を展開すると、一本の線になる。すなわち一次元。


 そして三次元の立方体を展開すると、平面になる。すなわち二次元。


 という事は四次元のモノを展開すると、三次元の立方体になるはずだ。


 つまり立方体を折りたたむと、四次元のモノになるという事だ。


 平面に奥行きという90度の軸を加えると三次元の立方体になるという事は、縦横奥行きに90度の軸を加えた、更に広がりを持つ空間が存在するのではないのだろうか。


 自分達は折り紙などを折りたたむ事ができるが、上位次元にアクセスすれば立方体を折りたたみ持ち運ぶ事ができるのでは?



connect(コネクト)



 目の前に広がる粒子の世界を見渡す。これは三次元より上の次元にアクセスした事で得られた能力。つまり四次元空間へのアクセスも出来るはずである。


 空間の広がり意識して粒子を一つ一つ見ていくと、その中の一つの粒子の振る舞いが妙に気になった。それはこちらに何かを訴えかけるように虹色に瞬いている。


 その粒子を手のひらに集めるよう意識を集中させると、次々と粒子が手のひらに吸い込まれていき、虹色に輝く八角形の紋章のような形に姿を変えた。


 ターシャさんのところへ持って行ったクッキーの缶を、紙袋から取り出しテーブルに乗せる。


 その八角形の紋章をクッキーの缶に上から重ねていくと、接触面から徐々にその紋章に吸い込まれるようにして消えていく。


 そうしてクッキーの缶は跡形もなくその姿を消した。


 続いて絨毯の上に手をかざし、紋章に意識を集中させるとコロンという音と共にクッキーの缶が落ちてきた。



disconnect(ディスコネクト)



 クッキーの缶を開けて、恐る恐る平べったいクッキーを口に入れる。


 かろやかでざくっとした食感とアーモンドの歯触りが非常にマッチしていて、とても美味しい。つい二つ目に手が伸びて――


「あー!隠れて食べるなんてずるいよー。二人してまださっきの事怒ってるのー。でもでもそんな美味しそうなクッキーを一人で食べるだなんてお姉さん関心しないなー」


 誰がお姉さんだ。姉がいた覚えなど無い・・・が年齢的には確かに、待て待て待てこの考えは命の危険を感じるやめだやめ。


 とりあえずクッキーの缶に蓋をして、再度同じ事を試みる。手のひらの紋章から、テーブルの上にゴロンとクッキーの缶が転がり落ちてきた。


 その様子をエルミアは、ポカーンとした表情でテーブルの前に座って見ていた。


「これ、どう思う?」


「ハッ!今一体あなた何したの!?クッキーの缶が突然消えて、また現れたように見えたんだけど」


「だからそうだって。クッキーの缶を別の空間に収納した後、別の場所に出した――」


 瞬時に隣に現れ肩を掴み首をガクガクと振ってくる。エルミアの目が、有り得ないものを見たかのように見開いていて結構怖い。


「だ、だだ、だからこれも俺の能力の一つだって。今のは出し入れできるか確認してたんだよ!」


「能力ってそんな・・・こんなの国宝級じゃない!」


 ようやく肩を離してもらえホッとしていると、何やら物騒なワードが聞こえた気がする。


「国宝級ってやっぱり精霊魔法でも同じ事ができるのか?」


「出来るわけないでしょ!ナーナリアの国宝の一つ、初代亜神様が作られたって言われる魔道具「精霊の袋」の能力そのものじゃない!なんで今まで黙ってたのよ!・・・まだ私の事、信用してくれてなかったの?」


 いきなりまくし立ててきたと思ったら、次には涙目でこちらの胸に縋り付いてきたエルミア。


「い、いや信用してるしてないじゃなくてだな。俺も今さっき出来るかなと思って」


「思って?」


「試したらなんか出来ちゃったんだわ」


 言葉を発した瞬間、世界がブレた。リビングにあるもの全てが幾重にも見える。


 自分が振動しているのか、家が振動しているのか、はたまた宇宙が振動しているのか。非常に興味深いが、その答が出る前に首がモゲそうである。


「ふざけるんじゃないわよ!国宝よ国宝!それと同じ事が出来るってあなた一体全体何者なの!それも知識神とかいう神様の力?!それとも異世界人ってそんな事が当たり前のように出来るの?確かあなた達の世界って魔法も精霊様もいないって言ってたじゃない!」


「お、おお、おち、おち、落ち着けって!」


 両手でエルミアの腕を思いっきり外すと、その反動でエルミアともつれ込むように床に倒れこんでしまった。


 後頭部を絨毯に強かさに打ち付け顔を歪めていると、頭の下にそっと手が差し込まれ、片手をギュッと握られた。瞼を開くと目の前にエルミアの不安気な顔があった。


「ねぇ、さっき出来るようになったのって本当?私だけ秘密にしてた、なんて事ないのよね?」


 国宝がどうこうよりも、彼女は隠し事されていないかが気懸かりらしい。


 昨晩、滅したブツについては墓の下まで持っていくつもりだが、これに関しては特に隠し立てする必要もないだろう。それに――


「一緒に三つ目のオーガ倒した仲だろ。大切な仲間に隠し事なんてするわけないって。昨晩と同じで、色々と実験してたんだよ」


 絨毯に転がっていた蓋の空いたクッキーの缶から、片手で中身を取り出し彼女の口に放りこんだ。


 初めはなにやら何か文句を言っていたが彼女だが、次第に咀嚼し始めた。


「これ美味しいわね」


「だろ。これにターシャさんの紅茶があれば最高だとは思わないか」


「そうね・・・ってあなた、また何か変な事考えてない?あの人はここからは絶対に動かないわよ」


 彼女の緑色の双眸を見つめながら笑いかける。


「だろうな。だからさ――」




「二人にすると、すぐいちゃつき始めるよねーなんでかなー私色々と悩んでたのに馬鹿らしくなっちゃったーそれに昨日の夜は私の胸の中でグッスリだったのにーやっぱり大きい方がいいんだー」


 自分達の体勢をみると、片手は決して離さないようにと恋人結びをしており、足は互いを求めるかのように絡み合っていた。更にはエルミアのその母性の象徴たるたわわに実った御神体が、自分の胸に鎮座しその形を変えていた。


 ――追い求めていた理想郷を異世界でやっと見つけたよ、親父。


「ち、違うの誤解しないでアンナちゃん」


 胸にあった心地良い重さと柔らかさが消え去った。ああ、理想とはかくも儚いものなのか。


「なにが違うのエルミアさん?昨日もキスしようと迫ってたし。今日は小さいにぃにを押し倒して何するつもりだったの?」


「違うの、これは・・・その、不慮の事故よ!」


「にぃにもなんでそんな残念そうな顔してるのかなーそんなに気持ち良かったの?やっぱり大きかったから?」


 あかん。こちらに矛先が向けられた。起き上がりエルミアと共に釈明する。


「亜奈。エルミアの言う通り事故だったんだ。俺がエルミアの腕を払いのけたせいで、二人で倒れこんでしまったんだよ」


「・・・二人とも口の端に食べ物の跡がある。二人で仲良く食べてたの?それとも食べ合いっこしてたのかなぁ」


 なんでこんなに鋭いんだ!エルミアにアイコンタクトで、この場は一致団結して乗り切ろうと伝える。


 その思いが伝わったのか、エルミアは微かに顎を引いた。


「これは・・・嫌がる私に少年が無理矢理クッキーを食べさせたの!断じて食べ合いっこなんてしてないわ!私からは少年に食べさせてないのよ!」


 なんでや。いきなりフレンドリファイヤされた。言ってる事は確かに合ってるけれども。なんだか妹の威圧感が更に増したような気がする。


「二人共、正座」


 こうしてエルミアと仲良く説教を受ける羽目になった。朝の件を含めると自分はこれで二回目である。


 ちなみに何故か途中からエルミアは胸をわしづかみされ、彼女は果敢にも反撃を試みたが、足がしびれて立ち上がれず一方的に妹に嬲られていた。


 裏切り者には死あるのみ。非常に眼福でした、ご馳走様です。




「それでにぃに、外に出て何するつもりなの?」


「まぁ簡単な手品みたいものだ。もしもって事があるから一応離れててくれよ」


「んー分かった。でも昨日の夜も言ったけど無茶しちゃ嫌だよ。ほら、エルミアさん離れるよ」


 エルミアはもう既に抵抗する気力すら無いのか、首根っこを掴まれなすがままになっている。


 スゥと息を吸い深呼吸をする。あの粒子の世界を見た後だというのに、昨晩のような頭痛は無く、頭は不思議な程にクリアだ。



connect(コネクト)



 虹色の粒子を手のひらに集め、八角形の紋章を形成する。しかしこれだけでは足りない、「入口」が小さすぎる。


 目を瞑り自身に深く深く潜り込んでいく。目指すはエルミアと模擬戦をした時と同じく意識の更なる拡張。


 瞼の裏にも粒子が見え、そこから更に粒子を選別し虹色の粒子だけを集めていく。そうすると自身と粒子の境界すら曖昧になっていく。


 瞬間、世界が爆発的に広がった。まるで虹色の粒子一つ一つが自分と結びつき、世界と繋がっているかのような不思議な感覚。


 意識だけが上空に浮かび眼下には自分と妹、エルミア、三人の姿がみえる。


 右手を屋根の上空辺りに掲げると、アンテナの上に虹色に輝く八角形の紋章が現れ、それは徐々に大きくなり、遂には我が家をすっぽりと覆う程に巨大化した。


 紋章を地面に近づけていくと、それはクッキーの缶で行った実験の焼き増しの如く、我が家はその姿を徐々にかき消していく。


 そうして最後には、地面が深く掘り下げられた跡だけが残った。



disconnect(ディスコネクト)



 視界が暗転する。目の前には我が家の跡地、というか地面が深く綺麗に抉られた跡だけが残っていた。


 家の基礎はもとより上下水道等、全てあの紋章の中に入れたからなぁ。実際見ると・・・なんというか衝撃だ。


「にぃに、一体何が起きたの?どうしよう・・・私達の家が無くなっちゃった・・・どうしよう!にぃに!」


 パニックを起こしかけている妹の背中の撫でながら慌てて説明する。


 これは自分の能力の一つであり、色々と物の出し入れが可能である。


 出した食べ物はそのまま食べられる事をエルミアと二人で確認した。


 ナーナリアにも同じ事が出来る魔道具があるらしい。


「こんなのナーナリアにもあるわけないじゃない。ほんと、ばっかじゃないの!!」


 ようやく立ち直ったエルミアが呆れた顔して天に叫んだ。


「はっ?さっき「精霊の袋」っていうのがあるって言ってなかったか?」


「そうね、言ったわ「袋」って!あくまで飢饉の時に放出する、麦とかの保存食を収納する事に使われてるの!こんな風に家を丸ごと一気に収納するなんて、桁が違うというか・・・発想からして・・・私もうついていけない」


 声のトーンが少しずつ小さくなり、最後にはブツブツ独り言を言うようになっていた。


 まぁ暫くしたら復活するだろう。さて、エルミアの移動は妹に任せて、もう一仕事といきますか!




「こりゃあたまげた。一体何をしたらこんな事になるんだい?」


 目の前に広がるのは広大な窪地。というか崖の前に立っている。


 そう、ターシャさんの命とも言える庭園を、そのまま紋章の中に取り込んだのだ。


 もちろん土のアルカリ性や酸性などのpH値を考慮し、かなり深く広く収納した。


「儂の庭はどこにいっちまったんだい?それにあんた達の家もあっただろうに」


「心配ないですよ、ターシャさん。「アクセス!」」


 窪地の底に巨大な虹色に輝く紋章が出現し、その高度上げていく。膨大な土や草花・木々などが次々と姿を現していき、あっという間に庭園は元の姿を取り戻した。


 「アクセス」というのは一種の自己暗示で、意識して発声とする事により、粒子の世界をショートカットして紋章を発現させるものだ。


 だが厳密には粒子の世界を通っているので、やはり同程度に脳への負荷はかかる。現に今も側頭部にズキンズキンと若干痛みが走っている。


 ただしその負荷は、紋章を発現させた回数で起こるのであり、収納する物の質量や紋章の大きさで左右される事はなかった。四次元ってほんと広大だわ。


「・・・この歳になるまで、色々と驚心動魄な経験してきたがね。一日にこんなに驚いたのは初めてじゃて。坊主、あんたは王都の宮廷魔術師様なのかい?いや、宮廷魔術師様でもこんな真似はできゃあせんわな。こりゃあほんとに愉快じゃてアッハッハ」


 壊れたスピーカーのように笑い出したターシャさん。そのすぐ隣には、魂が抜けたように身体をぐでんぐでんにしているエルミア。そしてその彼女を首根っこで支えているマイシスター。


「ねぇにぃに。私、精霊さん達を呼び出せるようになってから、自分が変わっていってるようで実は怖かったんだけど・・・にぃにと比べたら、まだ普通だったんだね」


 ナチュラルに胸を抉ってくる妹の言葉に、兄の心は砕けそうです。


 そしてエルミアさんは虚ろな瞳で「どっちもどっちよ・・・この非常識兄妹」とか言わないでくれませんか。


「と、とにかくターシャさん!これで近隣の村に一緒に避難出来ますよね。家も畑も全部収納しますから。そうだ!出来るかどうか分かりませんが、どうせならこの村丸ごと――」


「よしとくれ!あとは家と畑で十分じゃ!これ以上のものを見てしまったら、残り少ない寿命が一気になくなっちまうよ!唯でさえアンナちゃんの精霊様を見て、寿命が縮む思いじゃったんじゃからの」


「そうよそうよー非常識なのはアンナちゃんだけにしておいて欲しかったわー」


「えっなにそれ。二人とも酷くない?」


 お前ももう少し自分の非常識さを自覚した方がいいよ。




 結果から言うと、ターシャさんは渋々ながらも避難を了承してくれた。


 当然のことながら、この土地そのものにも愛着があったらしい。特にこの村は開拓村で、自分達がこの村を発展させ、子供達を育ててきたという自負と想いが詰まっているのだそうだ。


 流石に思い出を収納することは出来ないし、記憶(そこ)だけは神様さえ触れてはならない領域だろう。


 そんな事を考えているとターシャさんから話しかけられた。


「この土地に住んどった者達も、好き好んで村を出て行った訳じゃあないんじゃ。隣村から鉱山が見つかっての、王都と取引が始まって景気がよくなったんじゃ。それで男共だけで出稼ぎにいくより、安定して住みやすく子育てしやすい隣村へと移住していったんじゃよ。しかしの、そんな者達も大切なもの全てを持って行けた訳じゃあないんじゃ。儂は幸運にも、このちっぽけな命をかけて世話した庭と畑、息子達が育った家と共に旅立てる。それにの、村の思い出だけはしっかりとこの胸の中にしまっておける。だから、そんなに何もかも背負おうとしなさんな。苦しくなったら誰かに支えて貰えばええ、あんたには支えてくれる大切な人が二人もおるんじゃろ?」


 ターシャさんの視線の先をみると、ニッコリと笑う妹とソッポを向き照れた様子のエルミアがいた。


「まぁ老い先短いとは言え・・・いざとなったら儂があんたの下の世話までみてやってもええんじゃが。よくみると男前だし優しくて気概もええしの・・・良かったら今晩、儂を試して見るかえ?ブランクがあるとは言え、今の儂の身体なら多少の無理は効くぞえ」


 肩をはだけさせ、元老婆とは思えない程の妖艶な雰囲気を醸しだすターシャさん。やはりどんなに歳を重ねても女性は女性、そっちの人生経験も豊富なんだろうか。話し方とか抜きにしたらお世辞抜きに美少女だし。いかん、なんか変な目でターシャさんを見てしまいそうだ。


「ハッハッハ。冗談じゃよ冗談。さっき驚かされた可愛い仕返しじゃて、じゃからそんなに怖い顔をしなさんなよお二人さん。坊主の事は孫ぐらいにしか思えんからの、心配せんでええよ」


 振り返り二人を見るとさっきと変わった様子は見られない。首を傾げる。


「なーるほどのう。お二人さん、道は険しそうじゃぞ」


「私はにぃにと一緒ならそれでいいから」


「わ、私は少年を守るって約束してるし、エルフとしても人族から受けた恩は返さないといけないから・・・」


 これ以上踏み込むと藪蛇になりそうだと直感が告げている。


「ま、まぁこれからも迷惑掛けると思うけど、二人共よろしく頼むよ。色々と相談させて貰う事になると思うから」




「それじゃあ、明日の日の出ぐらいに向かえにきます。馬車の件は色々と本当にすいませんでした」


「なに、頼むのこちらの方じゃて、馬車も気にせんでええよ、あれなら災害級の一撃でも壊れそうにないしの。馬の方はエルミアちゃんの精霊魔法で、毛並みも見違える程に良くなっとるし」


 出立は明日の朝に決まった。流石に夜の強行軍は自殺行為らしい。


 馬と屋根付きの荷馬車はターシャさんが、隣村へ物々交換しに行く時に使っていたもので、息子さんから譲り受けた特注品なのだそうだ。


 しかし、ここ最近はあまり使っていなかったせいで多少ガタがきており、大勢で乗るなら修理しなければならない。


 そこで呼んでもないのに登場したのが、あの厄介なモグラ達である。


 なんでも渡したスマホの材質や内部構造は彼らの知的好奇心を大変刺激したらしく、解析の息抜きに簡単な作業をさせて欲しいとの事だった。


 そうして頼みもしないのに、勝手に木造馬車に群がりトンテンカン、トンテンカンと作業を始めたモグラ達。


 気づくとモグラ達は、一仕事やり終えたという良い汗をかきながら消えていった。


 そうして所々ガタ付いていた木造馬車は匠の技でリフォームされた。


 まるで王侯貴族が乗るような、金属製の絢爛豪華な馬車へと。


 「「「「これは無い」」」」


 という訳で急遽、村の廃屋から馬車を探すハメになったのが、もちろんそんな旨い話はなく、皆で鬱陶しい程にキラキラと輝く馬車の前に座り込み途方にくれていた。


「いいえ、ノーム様の御手自ら御造りになられたものよ。きっとなにかあるはず」


 微かな希望を胸にエルミアが立ち上がり。何を思ったのか荷馬車を懸命に引き始めた。


「おい、エルミア。無理すると身体壊す・・・ぞ?」


 そこには荷馬車を引きずりまわす、ハイテンションな金髪エルフがいた。


「やっぱり!流石ノーム様!強度が必要なところにはアダマンタイト、少しでも重量を減らせる箇所はミスリルで軽量化。更には物理・各魔法属性の魔石まで使ってらっしゃるなんて!もう馬なんていらない!私がこのノーム様が御造りになられた馬車を引くわ!」


 ひゃほーいとグルグルと馬車を引きずり回す金髪エルフ。


 その様子に居た堪れなくなった自分は、妹に頼みこっそりとモグラを呼び出して貰う。


 なにか様か?スマホの解析で忙しいのだがと、グルグル眼鏡をクイッとさせるモグラ。


「あー馬車を作り直してくれたのは、ありがたいんだが、出来ればデザインの見直しをしてくれないか?あれだと目立って仕方ない」


 するとモグラの隣から更に一匹のモグラが現れた。しかし他のモグラと様子が違う。


 現代的なフレームの眼鏡に、片手には小型のスマホのような物を持ち、脇にはノーパソのようなものを抱えている。


 あっこれ拗らせたモグラだ。


 そのモグラは憤慨したように、荷馬車のデザインについて語り始めた。妹の話を聞くと、どうやらデザイン担当はこのモグラらしい。デザインはアンリナーテという国の最新鋭の馬車を参考に作ったとの事。


 他のモグラ達はデザインに無頓着だが、自分は日夜に最新の流行を追い求め、他国の情勢にアンテナを張り続け、常に新しい自分を探し続けていると。更に今は同好の士を集めている最中だと。だから是非この機会に、この馬車は亞神である妹に使って欲しいと。


 あっ更に意識高い系のモグラだコレ。


「君が凄いのはよーく分かった。熱意も伝わってきた。しかし温故知新という言葉もあるように、古いものから新しい発見があるかもしれないだろう。頼むから馬車をシンプルなものにしてくれないか?」


 するとモグラは手を振り回しながら抗議してきた。これは処置なしかとリーサルウェポンを投入する。


「ほら、これ貸すから普通のデザインにしてくれ。これは俺の親父のだからぜーったいに壊すなよ」


 受け取ったモグラ二匹はその四角いデザインの物体を様々な角度から観察している。


「これはポータブル音楽プレーヤーと言って、まぁスマホにもその機能があるんだが。その機能のご先祖様みたいなものだ。ここのボタンを押すと・・・」


 イヤホンからシャカシャカと当時の父親が聞いていたであろう音楽が流れてくる。停止ボタンを押しテープを取り出す。


「なんでもこのカセットテープってやつに音を入れてるらしい。俺も詳しくは知らないが磁気を使って録音してるんだと。これなら解析も楽じゃないのか」


 次の瞬間、辺り一面がモグラに覆われた。そして全員がくれ!と両手を差し出してきた。


「い、いいかお前達。あげるんじゃないからな。解析が終わったらちゃんと返してくれよ。これは、亞神である亜奈の父親の持ち物でもあるんだからな!」


 ざぁぁと波が引くようにモグラ達が後退していく。本当に自分のスマホは無事なんだろうか。


 クイックイッとズボンが引っ張られる、下を見るとあの意識高い系のモグラがいた。そうして手を差し出す。


「おまえ・・・これが亞神の父親のものって分かってるのか?下手すると亜奈から怒られるぞ」


 一瞬、ズボンを引っ張る手が止まった、しかし諦めずに弱々しくはあるが、再びズボンを引っ張ってくる。


「分かった、お前に一任する。壊れても俺が親父に謝るから、好きなようにしてくれ。あと頼むから馬車のデザインをシンプルなものにしてくれよな」


 ポータブル音楽プレーヤーを渡しながら、信頼の証にモグラの手をギュッと握る。


 するとモグラはなにやら慌てるようバタバタし、音楽プレーヤーと共に消え去った。


「一体なんだ?ちゃんと馬車のデザイン直してから帰ってくれよ」


 直後、馬車の方からエルミアの声が響き渡った。


「ちょっちょっとノーム様一体何をなさるんですか!?私なら自分で歩けますからこんな事お止めください!」


 エルミアがモグラ達にピストン輸送され、自分達のところにポイッと捨てられた。


 そうして再び馬車からトンテンカン、トンテンカンと音が周囲に響き渡る。


 骨組みは変えずに微調整や色の塗替えだけですんだのだろう、今回はすぐにその音がやんだ。


 モグラ達が消え去ったあとには、シンプルで将に質実剛健といった感じの漆黒の馬車があった。


 少々高級過ぎる気もするが、先ほどの絢爛豪華なものと比べると雲泥の差だ。流石デザインに拘るだけの事はある、良い仕事してるなぁ。


 その馬車の隣を見ると、モグラ達にピストン輸送されたエルミアがショックの余り愕然としていた。


 仮にも崇める精霊から邪魔だと言われんばかりに運ばれ、ポイ捨てされたのだ。その心情を推し量る事など出来はしない。


「あははっノーム様に触れちゃったー・・・でもどうしよう精霊様に触れるなんて恐れ多いわ。私の運ここで使い果たしたのかしら」


 どうやら自分が思っていた以上に彼女の信仰心は根強いものだったらしい。もしかすると都合よく解釈してるだけかもしれないが、ここは言わぬが花であろう。


 エルミアにはそのテンションのまま、馬の体調を精霊魔法で整えてもらった。なにやら過去最高の手応えがあったららしく更に舞い上がっていた。


「にぃに、エルミアさん元気になって良かったね。初めモグラさんたちが、馬車を弄ったあとはこの世の終わりのような顔をしてたのに」


「あーそういえばそうだったな。流石にあのデザインはないよな、どこの王族だよって」


「あははっほんとそうだね。でもお姫様が乗る可愛い馬車とかには憧れるかも。にぃに、今度あの可愛い眼鏡をかけたモグラさんに作るように頼んでよ」


「んーまぁ旅が落ち付いたら自分で頼めばいいだろ。俺はノームとか呼べないぞ」


「えっ?でもあの眼鏡をかけたモグラさんと契約したんだよね。凄く嬉しそうだったよ彼女」


 ・・・契約?彼女?だれとだれが契約して、彼女って一体だれの事だ。


 首を傾げていると妹が衝撃的な事実を口にした。


「だからモグラさんと握手してたじゃない。あれってモグラさん達にとってはすごく重要な契約の儀式らしいよ。気に入った人としかしないって彼女も言ってたし。良かったね精霊さんと相思相愛だよ。彼女ならにぃにの事、任せられるかな。なんちゃって」


 そのあまりの衝撃に、自分は金魚のように口をパクパクと動かす事しか出来ないのだった。

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