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大事な人だった  作者:
4/13

4.理不尽なベテラン

 それきり原田は補講に来なくなった。それどころか、体育とは無関係の夏期講習そのものにさえ顔を出さなくなってしまった。

 一年生の夏期講習は、一部の補講の生徒を除いて月曜から金曜までの五日間と決められている。だから原田は残りの二日を丸々休んだことになる。

 このことについて龍一は態度にこそ出しはしなかったものの、内心、ひそかに罪悪感を覚えていた。

 彼に直接的な落ち度があったわけではないとはいえ、吐露できぬ悩みを抱えた彼女の態度を一方的に単なる怠惰と決めつけて叱責し、偉そうに諭した。自らもときには教鞭をふるい、保健体育の指導をする立場でありながら、女子生徒と二人きりという歓迎できかねる状況に、知らず距離を取っているところがあったのは、事実かもしれない。

 よかれと思ってなんて、言い訳にもならなかった。

 教師のくせに。

 臭い物には蓋をする感覚で、本当ならもっとちゃんと見て、斟酌してやるべきだったかもしれない場所から逃げていた。

 教師のくせに、生徒の胸一つにびびったんだ。どう思われるか、怖かった。そんな自分が情けなかった。


(所詮補講だろ。補講なら、もっといろいろ融通も利いたし、便宜を図れたんじゃないか)


 平素はもっと穏やかで、聞き分けもよく、万事に良好な生徒が、ああまで頑なにひとつのことを避け続ける背景に深刻な事情が潜んでいないはずはないのに。

 顧問として部活動に向かうべく、着替えを済ませ、ロッカーのドアを閉めながら龍一はため息を吐いた。


(たぶん、中学とかでもからかわれてきたんだろ)


 あの様子なら。


(参ったなぁ……)


 頭が痛い。

 もし、このまま夏休みを鬱屈と過ごし、出口のない中で自分を追い詰めて、2学期も学校に出て来れなくなったら。

 そのときには、こういう状況を作ったあの3人組に責任をなすりつけ、拳に物を言わせて嫌でも原田を元いた場所に戻してもらう。


「ちょっとよろしいですか」

「うわあっ!!」


 更衣室を出たところで、いきなり原田の担任に声をかけられた。

 龍一はみっともないほど大きい声を出して瞬く間に真っ赤になる。


「驚かさないでくださいよ! 立つならもっと明るいところを選んでください! てか、いるのわかってんならドア叩いて呼んでくださいよ」


 いつもの癖でつい強い口調で言い募ると、心外そうに女教師は眼鏡の奥で目を細めた。

 本当にこの人は……。いつまで経っても慣れない。


「……で、俺に何か用ですか」

「今日で夏期講習終わったじゃないですか」

「そうですね」

「原田が来ませんでした」


 抜け目のない視線にぶつかって、龍一は一瞬息を詰めた。


「何か思い当たること、ありませんか」

「どうして俺が」

「どうしてって」


 女教師は鼻先で繰り返した。気を逆撫でるようにいやらしく俺から目線を逸らすと、おもむろに眼鏡のブリッジを上げた。


「一昨日、原田が更衣室で泣いていたという情報提供がありましてね」


 首の後ろがカッと熱を持った。


「……それで俺のせいになるんですか」


 女教師の目の色が変わった。


「そもそも、原田が体育の授業に出ないのも、先生に問題があるという話がいくつかあるようですけど」

「はあ!?」


 思わず声を荒げると、女教師は露骨に顔をしかめて背中を反った。こういうガサツさが本当にうんざりするとでも言いたげだ。 


「聞いたところによると、まあ原田本人にも問題はあるようですが、なにより先生が彼女をしつこく皆の前でがなるから、それが恐怖症になったんじゃないかとの指摘が濃厚でしたよ。それについて先生ご本人はどう思っていらっしゃるのかと」

「俺は彼女が周囲と同じように言われたメニューをこなさないことについて当然の注意をしたまでのことです。がなるなんて人聞きの悪い」


 女教師は鼻で嗤った。


「当然ねぇ」


 まるで信じていない口ぶりである。


「それは先生がそう思っているだけのことでしょう? 現に原田は体育も出なければ補講も途中から来なくなってますし。生徒たちからの証言もあります。同じ場所にいた彼女たちが度を越していたと判断するなら、そちらのほうが証拠としては有力なのでは?」

「ですから!」


 いよいよ腹に据えかねて、龍一が吠えたその瞬間。女教師の目つきが、それまでの狡猾で残忍なそれから、教職者としての責任と気高さを秘めた侮りがたいものへと一転した。


「原田は一昨日から家に帰っていないそうです」


 龍一は目を剥いた。


「今日で三日目になります」

「携帯電話は?」

「彼女は持っていません。学校に届けられている番号は彼女の家の固定電話です」

「……なぜ、それを俺に言うんですか」


 教師は冷ややかに言い切った。


「原田にもしものことが起きた場合、わたしは校長先生に、先生のことを注進するつもりです」

「な……っ!」


 開いた口がふさがらないとはこのことだ。龍一は唖然と目の前の女教師を凝視した。


(あ、あいつはてめぇの生徒だろうが!)


 いくら生徒の証言があろうと断じて俺が非難されるいわれはない。指定されたウォーミングアップを、せめて形だけでもこなそうとしなかった原田が悪い。それが引き金となって体育に出れなくなったのは龍一も薄々わかってはいた。けれど、俺のほうから頭を下げるのは理屈に合わないと強いて目を背けるうち、いつしか根競べのようになっていた。

 でも実際、そう思って意固地になっていたのは多分、俺だけだった。

 だって原田は、あの日まで、ちゃんと補講に来ていたんだから。

 問題は俺がどうというのではなく、運動をすることで不可抗力で胸が揺れ、それを男子に軽い気持ちで話題にされることが耐えられなかった。だから休まざるを得なかったということだったんだろう。

 むしろ俺なんて、原田が傷ついたように周囲に思い込ませるため、本人のあずかり知らぬ所で体よく片棒を担がされた被害者みたいなもんだ。

 それなのに、どうして俺の責任になるんだ。

 まあ……確かに、最悪の事態が起きるまで、彼女の心の闇に気づいてやれなかった後悔はある。

 けれど。

 だからって、あいつの家出まで、どうして俺の責任になるんだよ。

 それでいったら俺と担任であるあんたの立ってるラインはほとんど一緒じゃないのか。

 龍一は、目の前の初老の女を剥き出しの憎悪と共ににらみつけた。


(いい大人のふりして、中身は腐った官僚と一緒だな、このババア)


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