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大事な人だった  作者:
3/13

3.悩ましきコンプレックス

 目を転じると、見覚えのある3年生が3人、手すりにもたれるようにしてにやにやと体育館を見下ろしていた。教官室に行っていたのか手荷物はない。どこにいてもムードメーカー的ポジションにいる目立つやつらで、授業を担当していない龍二にも自然と記憶されていた。

 3人が見ているのは当然、原田だ。原田以外の女はいない。

 その性格を知れば純粋な気持ちで見つめることなんか到底出来はしないだろうが、何も知らないはずの彼らなら眺めて目の保養にするには彼女の造作は十分すぎるほどだろう。

 それから数分の後、原田はきっちり10周を完走すると、当初の予定よりずっと早く今日の補講は終了した。これを狙っていたのかという気もしないではない。 


「ねー、いっぺんその場でジャンプしてみてよー」


 龍一は遅い昼餉を取りに教官室へ、原田は更衣室へそれぞれ帰ろうとしたときだった。

 またしても、それも今度ははっきり原田に向かって、ギャラリーから声が投げて寄越された。

 ジャンプ?

 言葉の意図をはかりかね、龍一は小首を傾げたが、一方の原田本人はそこから何らかの悪意を受け取ったらしく、上級生と知りながら臆面もなくキッと男たちをねめつけた。

 予想内の反応だったのか、男たちは悪びれるどころかさらに軽薄に笑った。

 なんとも胸の悪くなるそれで、龍一は気がかりになって、教官室へと向けたつま先を体育館に戻し、成り行きを見守った。それでもなお龍二は彼らが何を思ってそんなことを彼女に言い、また、それを言われた彼女もあっさり感情的な顔つきになったのか、わからなかった。

 なんにせよ、聞き入れられるはずもない要求はあっさり無視され、原田は足早に体育館を後にした。


「あー待ってよー。せめてお名前だけでも~」

「くだらないこと言ってないでさっさと教室帰れ。まもなく昼休み終わるぞ!」

「うわっ」


 いたんだ、とばかりに男たちは飛び上がって驚き、時計の針を見て、さらに一回り大きく目を見開いた。


「やっべ! あと5分しかねぇ!」


 急げ急げと、互いを叱咤しながら男たちはギャラリーから消えていった。

 龍一は教官室の自分のデスクに腰を下ろしたが、その手は昼食に触れたまま、頭は別のことを考えていた。


(さっきのあの反応)


 俺に殺気だったときと似ているが、それよりさらに剥き出しな印象だった。ああいう表情ができるやつなのか。

 龍一は胸騒ぎを覚えた。


(明日もちゃんと来るといいが)


 彼女の険のある眼差しは、しばらく彼の目の奥に残り、薄れることはなかった。 


 果たして次の日も原田は補講に現れた。が、その態度はここ3日間のうちでずば抜けてひどかった。しきりとギャラリーを見たり、出入り口、非常口を確認したりと集中力に欠け、なにひとつ満足のいくメニューをこなせない。

 昨日、奇跡的に返せたボールは、今日はそのことごとくを外し、ざまあ見ろと思ったのはしかし最初だけだった。次の日も懲りずに独自のレシーブを貫き通す彼女を見ているうち、龍一はだんだん哀れに思えてきた。本人も、意地と後悔の間で揺れているような表情で、痛ましくさえ感じる。だが、それが逆にいじましくもあり、これだから子供は…と白ける気持ちが屈折して、こんな意味のない補講はやめないとと頭では思いながらも、こころは彼の手を動けさせ続けた。

 原田の額にうっすら汗が浮かびはじめたのを見て取って、龍一はボールを放る手を止めた。


「まあこれくらいでいいだろう。じゃあ次はスパイク――」


 と言いかけたとき、原田の顔が硬直した。


「……いやなのか。そんなに」


 原田は唇を噛んだまま沈黙した。


「あのな、授業っちゅうもんには、しかるべき大人たちによって決められたカリキュラムってのがあってだな、それに沿って学習しないと単位はあげられませんよって、さらに偉い人たちによってそう決められてんだよ。おまえがそのやれって言われたことをやらずに、俺が数字をごまかしたら捏造になって、お互いが処分の対象になるんだ。わかるか?」


 原田は俯いた。わかっているから補講に来ているのは見ていればわかる。そうじゃなければ、あんなに熱心に無駄なレシーブをしたりしない。こいつはこいつなりにちゃんとしようとしているのだろう。その姿勢は買う。

 だが、それしかできないというのでは、話にならない。


(あぁあ、やだやだ。こういう理路整然とした諭し方って、俺の柄じゃないんだけどな。いかにも教師っぽくてげんなりするわ)


 自分で自分に寒くなっていると、原田の血の気のない唇がかすかに動いた。


「跳ぶのは、やりたくありません……」

「スパイクがしたくないんじゃなくてか?」


 懇願するような眼差しで原田は頷いた。

 龍一は困ったなと頭をかきながら、……そういえば、と思った。


(こないだも、ジャンプしてって言われてぶち切れてたな)


 自覚があるほど、不恰好なのだろうか。

 ジャンプがコンプレックス? 想像して、ちょっと、可笑しくなった。

 気を取り直して、龍一は時計を見た。


(それならまた走らせるか)


 ネットの出し入れの時間も考えたら、そちらのほうが確かに効率がいい。どうせ技を覚えたところで来年まで使うことはないのだし。そのときもまた一から練習するんだし。


「それじゃあ――」

「あっ、見ろよ。またあの子がいる!」


 龍一の声にかぶさって、またぞろあの男子たちが現れた。


「うるさいぞおまえら!」


 今日は午前だけで講習が終わりなのだろう、肩にカバンを担いで、帰る支度は万端だ。ただ、龍一が気にいらないと思ったのは、彼らがやってきた方角である。前回は教官室のほうから歩いてきたが、今日はその反対側から歩いてきた。ということは、教官室か、あるいはさらに別の目的があってここへ来たということだ。

 だが。


「瀬川先生なら出張中だぞ」


 3年生のクラスを受け持っている先生で、彼らと関わりがあるとすれば瀬川の他にはいないはずだ。それなのに彼らがギャラリーを歩く理由とは……。


「いやぁ、俺たちきょうはちょっと時間に余裕があるもんで、気晴らしに補講の見学なんかと思いましてね」

「見世物じゃないぞ! とっとと帰って勉強しろ」


 男たちは肩をすくめて、首を振った。


「いいじゃないっすか別。可愛い子が運動してるところって、萌えるんすよね」

「だからなんだ。こいつはおまえらのために補講をしてるんじゃないんだぞ」

「先生ばっか独り占めしてずるいっすよ。こ~んないい子をさ」


 次の瞬間、龍一は思わずカッと目を見開いた。

 信じられないことに、男子の一人が自身の胸を手で寄せて、上下に揺さぶるような動作をしたのだ。

 それを見た他の二人も下品に笑い、その視線をそのまま原田へと落とした。


(あいつら……ッ!! ジャンプってそういうことかよ!)


 龍一は歯噛みして拳を握った。

 あのときの原田の顔。あれは自身の胸をからかわれているのを察したためだったのか。

 とっさに原田を振り返りそうになって、龍一はぐっと堪えた。

 補講が始まるずっと前から、彼女が持つ、その無視できない大きさに気づいてはいた。ガキと割り切ってはいても俺だって男で、高校生とはいえ大人顔負けのスタイルに成熟している生徒は少なくない。しかし教師という立場から強いて意識しないよう努めてきた。

 でもあの仕草を見てしまってはそれが頭に残って、ともすれば自分まで原田を傷つけることになると思った。


(にしてもくだらない。高校生にもなって、よくそんな思春期盛りの中坊みたいなことが言えるな)

 

 聞いててこっちが恥ずかしいくらいだ。高校生なら彼女作って、彼女の生乳を揉ませてもらえよ。


「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞアホども! さっさと出てけ!」


 龍一が怒鳴ると、男子たちはケタケタ下卑た笑いを響かせながら来た道を戻っていった。


 後には、おそろしく冷え切った静寂が二人を包む。

 一触即発のようで、なんとか均衡を保っていた補講はこのとき、終わった、と龍一は確信した。先の男子たちを憎らしく思いながら龍一は懸命に言葉を考えた。


「……おまえ、ずっとレシーブをまともなフォームでしようとしなかったり、体力測定でわざと手を抜いたり、そもそも体育の授業を途中から欠席してたのって、そういうコンプレックスがあったからなのか?」


 原田は耳まで真っ赤になりながら、小刻みにふるえるアゴを抑え、かろうじてひとつ頷いた。


「そうか……」


 龍一はこめかみに触れて、低く唸った。さきほどのあれは、さすがにやりすぎだった。

 一昨日の反応と、そして今。さらにはできるだけ目立たないよう自分なりにかんがえて努力していたという苦労を知り、そのうえであらためて抑えきれない感情が吹きこぼれている様子を見れば、彼女がいかに我が身の胸の大きさに苦悩しているのか、その度合いの高さは手に取るようだった。


(でも、そういうことは先に言えよ、とは言えないしな)


 プールの前の体調不良申告とは訳がちがう。高校にもなれば、女子の誰もが羞恥心など微塵もなく、生理、の三文字を口にする。

 しかし、この件に関して、同じく女の問題でありながらそうならないのは、たぶん、共感を得られる割合の低さゆえだろう。

 自身が男であるだけに、龍一はどう声をかけるべきか考えあぐねていると、


「……だから、共学なんて、いやだったのに……ッ」


 原田が目を真っ赤に充血しながら、絞り出すようにそう言った。


「原田!」


 次の瞬間。涙の溜まった双眸を隠すように俯いて、くっと顔をこわばらせると、原田は弾かれたように体育館を出て行った。


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