2.不可解で、頑なで
翌日も、原田は言われた時間にやってきた。
ボールを持って来いと指示を出し、たらたら歩いて用具室に向かう彼女に気のない発破をかけながら、今日はバレーだと説明する。
「俺がこれを打つから、おまえはそれをレシーブする。レシーブ。わかるか? 両腕を伸ばして、そこでボールを跳ね返す。俺に向かってな」
こうだと、一応教師らしくフォームを取り、手本を見せる。
「投げてみろ」
原田は興味もなさそうにボールをためつすがめつし、龍一へと放った。それを龍一は軽やかに跳ね返す。ボールはきれいな弧を描き、元の彼女の手の中へすぽっと収まった。
「こんな具合だ」
龍一は得意顔を向けた。
しかし彼女は感心するどころか、だからなんだと言わんばかりの眼差しで俺を見返した。
にわかに龍一の顔が険しくなる。それに気づいたのか、原田はまたぞろ顔を伏せ自分の殻に入った。すると気配まで薄くなるのだから、忍者かよ、と胸の内で突っ込む。
(いかん、いかん)
気を鎮め、芽生えた棘を抹殺する。
龍一はひとつ息を吐いてから、
「それじゃあ、構えて」
とできるだけ穏やかに言った。
原田はためらう素振りもなく、ひょいと組んだ手を前に出した。龍一は顔を仰いだ。
「おいおい、お祈りじゃないんだぞ。見せただろ。こうだ、こう。もっと脇しめて、腕を前に出すんだよ」
ほら、と手首を掴もうとした瞬間、鋭い殺気が龍一の額を貫いた。
目を瞬く。しかし不可解な激情になんだと思う間もなく、
「ボールは取れます」
原田が言った。補講を始めて、初めて口にした言葉だった。言下に、いいから投げろ、という命令を聞き取る。
(このアマ……!)
龍一は唇を噛み締めた。
放出されたただならぬ空気にまんまと気圧された自分が腸がよじれるほど悔しかった。不遜な物言いに敏感な彼はすぐさま己を立て直すと、
「ちゃんとフォームがあるんだ。そんな格好でどこでボールを取るってんだよ。手か?」
大人げないとわかりながら、小ばかにしたように鼻先で言い返した。
「跳ね返せればいいんでしょう?」
原田の目は本気だった。
龍一はぐっと言葉に詰まった。
なぜならただの反発にしてはすこし気色がちがう気がしたからだ。
意地でもフォームを取りたくないという必死さ、気迫というか、とにかく拒絶の熱量が半端じゃない。
(ええい、くそ)
不本意だったが、龍一はとりあえずボールを放ってみた。
思ったとおり、原田はボールを手で跳ね返した。不恰好ではあったものの、奇跡的にボールは龍一の元に返った。しかし、龍一が作り出したような緩やかな軌道は皆無に等しく、ほぼ直線に彼の元に跳ね返り、ちょっとびびった。彼女の気持ちがボールに伝染って、俺を襲おうとしているのかと思ったほどだ。
「見ただろ。こうなるんだよ。これじゃあチームの仲間にパスをやれない」
「……」
それでも大義は果たしたとでも言いたいのか、原田はまたあの目で俺を見返す。
龍一は途方に暮れたように、息を吐いてゆるゆると頭を振った。
(補講のためにネットを出すのはなぁ……。でもこのままレシーブさせても、こいつじゃあ変わらない気がする)
もういいや、と龍一は開き直った。
「後は体育館の中を10周走って終わりにしよう。時間もないしな」
原田はめずらしく素直に頷いた。
ステージに腰かけ記録をつける龍一の眼下、原田ははじめて殊勝なところを見せた。言われたとおり、床を縦横に走る線の外側を黙々と周回する。
(いつもこんな感じでいろよな)
バレーは散々だったが、他のものでこれを補い、それなりにやることをやらせれば一応数字としての体裁は整う。あの小憎たらしい担任に二度とあんな顔をさせないよう、今は、やるべきことを無理強いするよりも俺に対する頑なな反抗心と運動全般に対する後ろ向きな姿勢を緩和することが先決だとわかった。こうやって素直になるときもあるなら、それをできるだけ尊重すればいい。懐柔なんて出来るキャラじゃない。だからひとまずはこれでよしとしよう。
余った時間で他の仕事を片付けようと思っていた龍一は、背後から聞こえてきた小気味よい足音に動かしていた手を止め、不思議そうに顔を上げた。
……だれだ?
いや、この場にいるのはまだ俺とあいつだけなはず――。
「こんなスピードでも走れんじゃねぇかよ!」
振り返るや否や龍一は声を上げ、思わず持っていたボードをステージにたたきつけた。
しかし原田は龍一の言動にもびくともせず、颯爽と体育館の中を駆けつづける。そのスピードは運動部もかくやというもので、走り方もそれなりの指導を受けてきたように様になっている。龍一は目を疑った。
(あいつ、俺をおちょくってんのか?)
龍一は舌打ちした。それじゃああのふざけたシャトルランはなんだったんだ。
「あれ、誰か走ってる」
「補講だろ。てかあれ、やべぇでかくね?」
「すっげー。めっちゃ揺れてんじゃん。跳んでるとこ見てー」
「うるせー変態!」
そのとき、ギャラリーから突然、粗野な笑い声が降ってきた。