『始まりの一歩』④
きりーつ、きをつけー、礼。ありがとうございましたー。
そんなありきたりな挨拶と共に、一日の学習が終わる。とっても良い気分だ。清々しい程に新しい知識を得ていないが、今日はもう学校で勉強しなくていいと思うと、背中に羽が生えたかのように軽やかな気分になる。
「お?早速帰んのか誠哉」
斜め後ろの席が誠哉なのだが、今日はいそいそと帰り支度をしている。いつもは放課後に少し談笑するくらいの暇はあるのだが、予定でもあるんだろうか。別に興味ないけど。
「あぁ。バイトは休みだが今日は両親が仕事で帰らなくてな。家事もしなきゃならんし、雲雀の迎えにも行かなきゃならん」
「あぁそう。大変だなお前も」
「まぁな。んじゃ、また明日」
「おう」
慌ただしく教室から去って行く誠哉。家庭の事情というやつだろうが、大変そうだ。
誠哉の家は大家族で、あいつは5人兄妹の第一子。雲雀というのは一番下の妹だ。保育園に通っているらしい。
他の兄妹に任せても良さそうだが、幼かったり部活だったりで、両親が居ない時は誠哉が一人で世話をしているそうだ。あいつのなんだかんだで面倒見のいい性格はここから来ているのかもしれないな。
(……帰るか)
昴のやつも部活に行ったし、他のやつらもそれぞれで動いている。話し相手が居ないなら特に留まる意味はないので、俺も帰るとしよう。
(篠崎は……夜LINE送ればいいか)
ふと篠崎に目をやるが、相変わらずぼんやりと外を眺めているだけで動こうとしない。また屋上で泣くつもりなのかと思ったが、多分それはないだろうとも思った。
とりあえず教室を出て、通学時よりは軽い足取りで帰路に着いた。
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特に何を思う訳でもなく、いつもの帰り道を歩く。朝方とは違う春先の心地良さが風と共に体を通り抜けていく。
ふと、ポケットの中で携帯のバイブレーションが作動した。
「ん?LINEか」
スマホの画面には特徴的な緑のアイコンと、差出人と送られてきた文章の頭部分が表示される。
篠崎かと思ったが、どうやら違うようだ。差出人の名前は母親だった。
『きゅうり2本・キャベツ1玉・人参3本・ジャガイモ4個・豚バラ肉300g・卵1パック・優くんの好きなお菓子・お母さんへの愛』
「………」
買ってこいって事なんだろう。
今日の夕飯はなんだろうか。お菓子はあれだ、コンソメ味のポテトチップスにしよう。
しっかしすごいな。最近のお使いは母親への愛まで買わせるのか。愛はお金じゃ買えないってお腹の中に居た頃から習ってた気がするのになぁ。世間の皆様への朗報だ。愛はお金で買えるらしい。
メッセージは何も返さず、自宅の近くにあるスーパーに立ち寄る事にした。もうすぐ家に着くところだったしタイミングは良かった。着いてたら行かなかったけど。
「おっ」
「…どうも」
スーパーの目の前で、顔見知りに出会う。同じ高校の後輩の女子だ。同じくお使いでもさせられているんだろう。
「よう瑞穂。お前もお使いか?」
「はい。トイレの芳香剤と洗浄剤とトイレットペーパーです」
「え?あぁ、そうか…」
お使いか?という問いには予想通りの答えだったが、中身まで知りたい訳ではなかったので、そんなに詳しく教えてくれなくてもよかった。ってかトイレオンリーだな。
この子は 小野矢 瑞穂。さっきも言ったが、同じ高校の後輩だ。今年入学して来た。といっても、家が近かったり、母親同士が同じ職場に勤めている事もあり、それ以前から交流がある。具体的には小学校低学年の頃からだ。
おかっぱのようなショートヘアーが可愛らしい印象だが、面と向かうと、まるで生気のない目がとても気になってしまう。
性格も寡黙で淡々としているというか、無口な上、感情の起伏がほとんど無いに等しく、怒ったり笑ったりしているところを見たことが無い。
どんなに親しくなっても敬語が抜けないらしく、どうやら同級生にも同じ感じらしい。
幼い頃、昴と俺と瑞穂で遊んだ時に、一度怒らせてみたくなり、昴が思いっきりスカートをめくったり、事故っぽく水をかけたりした事があった。それでも微動だにせず、全く反応しない彼女に対し、俺たちは罪悪感に打ちのめされ、土下座した記憶がある。ほろ苦い思い出だ。
「優斗さんもお使いですか?」
「おう。俺はトイレ用品じゃないぞ」
「そうですか」
「………」
基本無口なやつだが、問いかけには答えてくれるし、日常会話として同じような質問を投げかけてくれたりもする。ただものすごく淡々としているので会話は続かない。
付き合いは長いが、正直なところちょっと苦手な人種である。
「では。私の目当てはあちらにあるので」
「あ、あぁ。じゃあな」
スーパーに入るや否や、トイレ用品めがけて去って行く。
もっとこう…甘酸っぱい感じとかあってもいいじゃんとか思うっしょ。一切無いの。あの子に限っては。びっくりするくらい淡白。白身魚も泣いて謝るレベルで淡白。
「…はぁ。さっさと帰ろう」
小さくため息をつき、野菜、肉、卵、菓子のコーナーを順番に周る。指示された物をカゴに入れるが、どこを探しても『母への愛』は無いので、売り切れって事にしておこう。
レジで金を支払い、持参しているエコバッグに詰めていく。エコバッグは常に持ち歩く派だ。主婦力云々ではなく、こうして学校帰りにお使いを頼まれる事が多いからである。
こんな日常の中に特に面白い事もある訳なく、買い物を終えた俺はスーパーを後にする。