エピローグ「僕の隣は。」
「というわけで母さん。この子と暮らしちゃ駄目かな。」
ゴールデンウィーク三日目。午後8時。夜。
一日目の夜を思い出すような静かな夜だった。
俺は自分の家に帰っていた。龍野も一緒に家に来ている。
俺の家は赤石の家ほど立派では無いが、それなりにでかい二階建て一軒家である。
母親、佐藤連は先程から一向に喋ろうとしない。
龍野の方はというと、母親に目を合せながらすごくびくびくとしている。
年齢は三十代ギリギリのはずだが、見た目はそこまで老いているようにはみえない。
俺の通う、私立龍成学校群の日本史教員をやっている。気前がよく、そこそこ人気である。
そんな母が喋らない原因は、俺が龍野との同棲を認めてもらおうとしているからであろう。
龍野の正体の事については話ていないが、訳有りだということは伝えた。
高校生の分際で同棲をしかも教員相手に頼む、という暴挙である。
買い物に行った時の赤石の発言のせいで村田がおもしろがり茶化され続けた結果、
断れない雰囲気になり、こうやって母親に言わざるをえなくなってしまった。
自分を含み、選択を迫られた時きっぱりとノーと言えない人が増えているというのは、
現代社会において非常に由々しき事態であると思う。これからの未来が心配である。
そんな関係のない事を考えていると母親は訝しげな顔をしながら口を開いた。
「……その子、帰る場所はあるの?」
「昨日まで野宿で、飯もロクに食べていないそうです。」
「ハァー……」
母親がでかい溜息をつく。龍野が先ほどよりさらにびくびくしている。
「いいよ。」
「「えっ。」」
「訳有りの人間を突き放せるほど薄情に生まれてないの、私。
ましてやそれが息子にくっ付いてるならなおさらね。」
この母親が許可を出すなんて驚きだ。絶対に断られると思ったのだが。
「く、くっ付いてないです……」
龍野が俯きながらぼそっと反論していた。
「じゃあ、あんたの隣の部屋に入れてあげなさい。」
そう言われて俺はなんとなく母親の意図が分かった。
龍野を連れて二階へと上がる。俺の部屋の隣の部屋へと案内する。
ドアには掠れてしまいしっかりとは分からないが、花のシールが数枚貼ってある。
ドアノブに手を伸ばす。手の震えを隠すことはできそうにない。
「佐藤さん……?」
龍野が不思議そうにこちらの顔を覗き込む。
仕方ない。そう思い、ドアノブを掴み扉を開く。
シンプルなベットの上にたくさんのぬいぐるみが置いてあり、
可愛らしいカーペットに可愛らしい机がある。そしてこの部屋は、とても綺麗だった。
部屋に入ってみると、しばらく使っていないにもかかわらず埃は殆ど無い。
本棚には少女漫画と青年漫画とでしっかりと分けてあった。
不思議である。家具も雑貨もあって確実に人がいると分かるはずの部屋だが、
俺にとってこの部屋はここにもう人がいないということを伝えるだけの場所になっていた。
「……佐藤さん?大丈夫ですか?」
「あ、ああ。なんでもない。」
酷い立ちくらみを感じる。
地面に散らかっている洗濯物もない。仕舞われていない雑誌もない。
ゴミ箱からゴミが溢れている訳でもない。机の上も奇麗な状態だ。
どうして、この部屋はこんなにも寂しく感じるのだろう。
「ここ、どなたの部屋だったんですか?佐藤さんの部屋ではなさそうですけど……」
「……ここはな、元々、俺の姉が使ってた部屋だ。」
村田の首を締めた時の衝動が今も自分の中で渦巻いている。
やつ当たりしたところで一体何になると言うのだ。
苦しがっていた村田の顔を思い出して、衝動を抑える。
「……何かあったんですか?」
「……一ヶ月前くらいに俺さ、姉と一回喧嘩したんだ。
些細なことで、俺が勝手に怒って家を飛びだしたんだ。
姉は、そんな俺を探そうと家を出たんだ。その時に、殺されたんだ。」
「!?……そんな……」
「なんというか不思議な事件だったそうだ。
血の乾き方から死亡からそんなに時間が経っていないにも関わらず、
肉が腐っていたそうだ。犯人は今も捕まっていない。まぁ当然だと思う。
自慢になるが、俺より『強い』姉を殺したような人なんだしな。
……俺が家から出ていかなかったら姉は死ななかった。
俺が殺したようなものなんだよ。」
「そんなことありません!佐藤さんは何も悪くないです!」
「俺が家出なんてことしなきゃこんな事にはならなかったんだ。
こればかりは変わらない事実だ。
だからこそ俺は、少なくとも自分の目の前のトラブルくらいには、
力になりたい、っていう野次馬根性と言うかしょうもない偽善と言うか……
そんなのが今の俺の行動理由なんだ。」
「立派なことだと私は思います。佐藤さんのお陰で、私も助かったんですから。
そんな自分を卑下しないでください。」
龍野がはにかむ。
以前赤石の家で見た時とは違い、寂しさも感じられない、満面の笑みだった。
「……おうおう、同棲決まった瞬間にいちゃつきだすな。」
「「わぁっ!?」」
母親がいつの間にか部屋の前に立っていた。足音一つ立てなかったぞこの母親。
「夜中にギシギシうるさかったからマジで叩き出すからな。」
「なっ……!?え、あの、し、しませんから!」
「おーおー、赤くなっちゃって。もしかしてコウノトリとかまだ信じてた?
悪いことしちゃったね。ん?でも恥ずかしがるってことは知ってたのかな、お?」
「さ、佐藤さんとはそういう関係じゃないですから!」
真赤になって否定している龍野をからかう母親を見て、とんでもなく下衆だな、と思った。
以上が、俺のゴールデンウィークでの過去に味わってきたどんな厄介より厄介な、
どんな面倒より面倒な、どんな衝撃より衝撃な、そしてどんな危険より危険な、
そんな出来事は以上でほぼ全てである。
四日目と五日目は「この年の女の子なんだから行かせたほうがいい、
というか制服姿を見て萌え死にたい」と言って母親が龍野を学校に通わせようと、
いろいろと手続きや準備をしていた。ここで働いているとはいえ、
二日間でよく転入させることができたものだ。一体裏で何をしたのだろうか。
「ほら、あの先生に話しかければいいから。」
「わ、分かりました。」
ギクシャクと歩く龍野。緊張しているのだろうか。
職員室の担任に龍野を渡して、俺は教室へと向かう。
連休明けで久しぶりに友人と会う生徒達の騒ぎ声が廊下に響いている。
少し暑いと感じる今日は、学生のテンションを上げることに一役買っているのだろうか。
龍野は担任曰く、俺の隣の座席に座らせるらしい。青髪という時点でクラスは驚きだろう。
その点は外国人ということで話を母親に合わせてもらった。
自分の教室へと入る。クラスのほぼ全員がもう既に久しぶりにあったということで会話をしている。
各々が自分自身の休日にあった事を話して盛り上がっている。
また一部は他人の宿題を借りて写しをやっている人もいた。
休日明けのよくある風景である。
「うむ。おはようだ、佐藤。」
席につこうとしている時に、一人で机に突っ伏していた赤石が起き上がった。
「おう。そうだ、龍野、今日から学校来るぜ。」
「む。手続きができたのか。それは予想外だ。」
「俺もだわ。」
「俺もだ。」
「……!五十嵐!?」
五十嵐が普通に話に入ってきた。忘れていた、こいつ同じクラスじゃないか。
すぐさま距離を取り、『能力』がいつでも使用できるように精神を集中させる。
この至近距離では回避はおろか、防御すら間に合わない。
「お、おい馬鹿やめろ!流石にここじゃやらねえし、やる気もない!」
周りを見てみるとクラスは静まり返ってこちらを見ていた。
事情を知らない人からすればただの馬鹿である。恥ずかしい。すぐに席に座る。
「別に狙ってるわけでもなくて、
純粋に手を『治癒』してくれた礼がしたかったんでな。ちょうどいい。」
よくよく見ると、確かに五十嵐の手は元に戻っている。
「そっちから仕掛けてきたくせに……」
「それに関しては申し訳無い。まぁよろしくたのむよ。」
五十嵐がそう言う終わると、狙ったかのようにチャイムがなった。
色々と釈然としないが、割切ることにした。担任の教師が教室に入ってきて挨拶をする。
ふと自分の席の隣を見てみると確かに座席が一つ増えている。
担任の教師が淡々と連絡をし、その後少しトーンを上げて喋り出す。
「皆さん、突然ですがこの教室に、転校生が来ます。」
「「「……ええええええええ!!!」」」
ある程度予想はできていたが、このクラスのテンションの上り方は凄い。
「それじゃ、入ってきて下さい。」
教室の前のドアが開き、龍野が入って来る。
細身で、オーバーに言うと力を入れればすぐ折れてしまいそうな程で、
とても美しい青く長い髪。失礼ながら体に少し釣り合っていない大きな胸。
水のように透き通っているような肌。お姫様という言葉が似合いそうだった。
性別を問わず魅了されるその外見に、クラスのテンションはマックスであった。
クラスの雰囲気に気圧され、オドオドとしている龍野と目が会う。
親指を立てて頑張れと合図を送る。龍野も親指を立ててこちらに合図を送って来る。
黒板に「龍野初代」と書き、こちらを見る。クラスが水を打ったように静かになる。
「皆さんはじめまして、海外から来ました龍野初代と申します!
これからよろしくお願いします!」
「「「イェエエエエエエエエエ!!!」」」
物凄いテンションの上り方である。半端ではない。
そう言って龍野は俺の隣の座席へと座って、
「よろしくお願いしますね!佐藤さん!」
こちらに向かって、そう言ったのであった。クラスの盛り上がりは収まらない。
ふと、このテンションの教室に向かって、「僕の隣の座席はドラゴンです。」と、
紹介したらどうなのだろうかと考えた。恐らく本気で信じるような人間は、世程いないだろう。
一般の生徒の中に、ケンタウロスやドラゴン、
音速で走る人間を見たことがある奴も、恐らくいないだろう。
だが現にそういった『非日常』を経験した自分や五十嵐、赤石が、
普通に『日常』を過ごしているのを見ると、
そういった不思議も、もっと不思議な事も以外と近くに内在しているのではないかと思う。
俺達が知らないだけだったのかもしれない。今の俺にはその両方がとても素晴らしいものに見えたのだった。
何もともあれ、こうして俺の『非日常の序章』は幕を閉じたのであった。
これからさらなる『非日常』が俺を待っているかもしれないが、関係ない。
俺は龍野を守ると決めたからだ。
そして今の俺の最優先ですべきことは、
「はい、それでは課題を集めますー。」
何だかんだで三分の二しか終わっていない課題の消化であった。
僕の隣の座席はドラゴンです。
第一部 「非日常の序章。」
-fin-