第五話「創造。」
人間は時折、脳で考えるより早く行動を起こすことがある。
反射というやつである。例えば熱い物に触れた時、自分が熱さを感じるより先に
手を引っ込める動作の事である。龍野の悲鳴と五十嵐の叫び声を聞いた時に、
気付けば俺は『能力』で『足場』を作り、黒松の落下を阻止していた。
一瞬のことである。瓦礫は宙に放り投げられ、重力に身を任せていた。
黒松はしばらく何が起きたか理解できていないようだったが、すぐにこちらに怒りを露にした。
そのまま俺の方へ歩み寄り、俺は胸倉を掴まれ持ち上げられた。
「何故だ。何故助けたのだ…!!
情けか、情けなのか…!憐れみか、憐れみなのかァ!」
その声とその剣幕には威圧感があった。勢いに負けじと俺も声を出す。
「自分でも何故助けたかはよく分かってない。反射でやってしまっただけだ。」
「……よくも恥をかかせてくれたな殺してやろうか。殺してやろうかァァァ!!」
「……お願いがあります。黒松さん。」
龍野が黒松に話かける。黒松が俺の胸倉から手を放す。
辺りはもう暗く、完全に日が沈んでいる。崩れた壁からぐちゃぐちゃに光を放つ街が見える。
ほんの僅かな光しか今、この場所には存在しない。
「お願いです。『降参』してください。貴方はこんな最期を迎えるべきじゃないです。
『降参』したって種族の皆さんは認めてくれます。」
「認めてもらえる……?そんな事が、そんな訳がないだろう!!
我が『降参』すると言うことは我は種族を見捨てたという事だぞ!
我等には負けられない事情があるのだ!生きるために勝たなければならんのだ!
たとえ名誉の戦死をしたとしても、我は種族に恨まれるのだ!我は我を恨むのだ!
その上で自らの命惜しさに『降参』しろだと……!?そんなことはできん!!」
「だったら!!!」
黒松の声を遮り、龍野の声が辺りに響く。物も少ない閑散とした廃ビル内に声が響く。
涙で顔を濡らしながら、龍野はしっかりと黒松を見つめていた。
その目には、揺るぎ無い意志を感じる。
「種族が第一なら恥を忍んで生き延びてください!
こんな所で死なないでください!もう一度言います!
私は戦う為にこの世界にやってきたんです!殺すために来た訳じゃないんです!」
「龍野殿……!!貴方は甘いお方だ。甘すぎる。
そんな考え方では魔王なんぞ勤まらん。」
「理想に進んで何が悪いんですか……理想を語って何が悪いんですか……!
これは戦じゃないんです。あくまで魔王を選定する『式』なんです。
だったら死ぬ必要もないでしょう。『降参』と言う選択がある以上、
殺害は最終手段です……!!」
「……だが我は『降参』はせんぞ。」
「ならもう『降参』もしなくていいです。」
ここに来て、龍野がとんでもない事を言い出した。
「なっ!?」
「りゅ、龍野!?」
「『降参』すればあなたは死なずにすむが戦闘への参加はできなくなる。
それが嫌なら、もう『降参』しなくていいと言ったんです。
貴方には昨日、私を殺せるチャンスがいくらでもあったでしょう。
それを全て見逃してくれたんですから。私も今、見逃しましょう。」
「……」
「図々しいですが、もし貴方が今も尚、
あの事で私に対して、私の種族に対して恩を感じていてくれるのなら、
これで恩を返してください。」
龍野は全てを言い終わった後、少し微笑んだ。
黒松は体を震わせ、その後龍野の前に行き、手を地に着き頭を下げた。
これは所謂土下座というヤツだ。
「……龍野殿。貴方は何故そこまでして我にそう言って下さるのだ。」
「……私の父親は優しい人でした。私の父親は間違ったことはしてないです。
父親は『悪』をも受け入れてしまっただけなんです。
『悪』をも庇ってしまっただけなんです。私は『悪』を許しません。『悪』を憎んでいます。
だから、『悪』じゃない人を、貴方を、救いたいと思うんです。
それだけじゃだめでしょうか?」
「……先程の言葉を取り消させてもらおう。貴方は『魔王』にふさわしい方だ。」
「ありがとうございます。」
黒松が頭を上げて、立ち上がった。
「佐藤殿。すまなかった。申し訳無いが五十嵐の拘束を解いてやってくれ。」
「あ、ああ。」
念じることで『籠』は消え去った。
五十嵐は、不機嫌そうな顔でこちらを向いた。
「……面倒臭いことをしてくれたな。」
「いや、先に手を出して来たのはそっちだろ。」
「それもそう、か。まぁいい。いずれお前とはしっかり片をつけよう。」
五十嵐はふらふらと出口へ向かっていった。
後を黒松が追おうとして、こちらに振り返った。
「佐藤殿。五十嵐の分を含め深く謝罪しよう。」
黒松がこちらにも頭を下げて来た。
命を狙ってきておいて、それだけで終わりというのは少し癪に障ったが、
龍野が気にしていないのでこちらも気にしないことにした。
「いや、気にしていない。」
「失礼を承知で言うが、今の戦いの最初の方、佐藤殿は自分の『能力』を完全には理解してはおらなかっただろう?」
「まぁそうだな。基本、肉弾戦だったし。」
「思うに、佐藤殿の『能力』は恐らく、かなり強い部類の物だと考えている。」
「そうなのか?」
「そこで不思議に思ったのだが、『能力』を使った後、何か体に異変は無かったか?」
能力を使い終わったあとの異変と言われて思いついたのは一つ。
『水分』である。『能力』を使った後、声が出なくなるレベルで喉が渇いたのだ。
「喉が乾く。それも異常な程だ。」
「なるほど。いいか佐藤殿、能力には『反動』という物が発生する。
魔力の無い人間が魔法を使うためには、何かを代償にしなければならないのだ。」
なんだか物騒なことを言われている。
代償という事は一度消費すると、失われるものはもう戻ってこないのだろうか。
「佐藤殿の場合、それが『水分』なのだろう。ちなみに五十嵐は『怠惰』が反動だ。」
「『怠惰』?」
「まぁ曖昧なものだが、ようは怠けていたいとか面倒臭いと思う気持ちのことだ。」
「……それ、無くなったら凄い真面目な人間になるんじゃないのか?」
「うむ。五十嵐は精神的な物が代償になっていると体に影響が出にくい。
だが、佐藤殿のように、物質を反動とする場合、体に影響が出やすいが故に、
精神的な物より、回復を行いやすいのだ。」
確かにそうだ。俺の場合、『能力』を使った後に水分を摂取すればいいだけだ。
怠惰が代償とか言う場合、回復方法がぱっと思いつかない。
そう考えると確かに俺の能力は確かに強いのではないのだろうか。
「回復をしやすい『反動』といえども、やはり消費が激しいようだな。
体に反動がかかり過ぎると『反動過多』という状態になる。
例え反動にするものが精神でも物質でも如何なるものであってもだ。
能力は魔物の技能と比べ強力な代わりにデメリットがある。
まぁ恐らく死ぬことは無いだろうが、どうか戦う際は気をつけた方がいい。」
「なるほど。ちなみに、『反動過多』って何か症状が出るのか?」
「うむ。だるさ、熱、頭痛、吐き気、失神等がそれだな。」
「なるほど。つまり今の俺はその状態なんだな。」
「……は?」
流石に意識を保つのも限界に近い。
実はというとだるさ、熱、頭痛、吐き気を俺は黒松が土下座した辺りから感じていた。
戦闘が終わった時、黒松を『円柱』で突き飛ばした時点で軽く喉の乾きに限界が来ていた。
ペットボトルは空、もう俺は『水分』を持っていないため、回復もできない。
それにも関わらず黒松の落下を防ぐために『足場』を作ってしまった。恐らくそれが原因だろう。
全身から力が抜け、立つこともままならない。受け身もとれず頭から倒れ込む。
その衝撃がとどめになったのか、俺の意識はゆっくりと闇に落ちていった。
「佐藤さん!?」
最後に聞こえたのは龍野の慌てた声、その後に複数人の駆け寄る足音だった。
意識が戻る。
天井。天井である。家の天井。家の天井である。
具体的に言うなら、赤石の家の天井だ。廃ビルではない。
「あ、起きましたね。」
声が聞こえる。
村田。村田である。ベット。ベットである。
具体的に言うなら、村田のお膝の上だ。廃ビルではない。
「……」
「どうしました、佐藤先輩。」
「いつからだ。」
「貴方と最初に出会ってからずっと今の今まで……ずっと一緒ですよ。」
「待て!ファーストコンタクトが膝枕で、それ以来膝枕ってどういう関係だ!」
「私と先輩みたいな関係じゃないですかね?」
「一般的な先輩後輩はそんな関係を持たない!」
あまりにショッキングな事態に飛び起きた。
この後輩め、何てことをしてくれるんだ。ぼんやりとした意識が一瞬に覚醒した。
辺りを見回してみると、やはりここは赤石の部屋であった。
時計を見ると午後八時を廻っている。いつの間にかここに運ばれたようだ。
「ふむ。起きたようだな。だが体調はよろしくなさそうだな。」
赤石と龍野が部屋に入ってきた。
そう言われてみると、確かに身体が非常にだるく熱っぽい。
意識した途端、立っていられないほどつらくなった。ふらふら倒れる。
「だ、大丈夫ですか!?」
龍野に受け止められる。甘い香りが仄かに感じられる。
「あ、ああ、すまない……。」
「『反動』についての説明がちゃんと出来てなくて、本当にごめんなさい!」
「いやいや、あの時は俺の『能力』がちゃんと分かってなかったし、
龍野は何も悪くないよ。」
「いや、でも……本当にごめんなさい!!」
龍野が慌てふためいている。
ドラゴンの姿の時の頼もしさはどこに行ってしまったのだろう。少し落胆する。
ともかく、こんな姿を守ることが出来てよかったと安堵する。
「そうだ、あの後結局あいつらはどうなったんだ。」
ベットで横になりながら全員に聞いてみる。
「黒松さんと五十嵐さんは佐藤さんを廃ビルの前まで運んでいって、
『能力』を使って颯爽と帰って行きました。」
「うむ。もう一度戦闘が始まるかと思ったが、そんなことも無かった。」
「で、そこからは私がドラゴンになって運ぼうとしたんですけど。」
「駄目だよ!?羽ばたいちゃ駄目だからね!?」
「同じことを村田さんに言われて、赤石さんと村田さんが両手両足持って、
ここまで運んできました。」
「な、なんだ。良かった。」
空を飛んで運んだりなんかしたら、ここら一帯に未確認飛行物体が出たと言って、
騒ぎになるだろうし、騒ぎが起こることで、他の敵も気づいてしまうだろう。
と、他の敵ということを考えて俺が不思議に思っていた事を思い出す。
「なぁ。龍野。一つ聞きたいんだが。」
「なんですか?」
「お前の父親って、なんなんだ?」
すると、龍野が固まった。
「……知りたいですか?」
「できるだけ。契約もしたしな。」
「あ、佐藤先輩、契約したんですね。」
「ああ。やった。」
「あらやだ、ヤっただなんて……」
「なんでも下ネタに持っていくんじゃない!!」
村田とふざけたことを言い合っていたが、龍野の様子が明らかにおかしい。
触れてはいけないことだったのだろうか。
しばし沈黙が流れる。
「……魔王十二議会のことは話しましたよね?」
「ああ。十二種類の種族が魔界を統治しているんだよな。」
「……実はというと実態としては、
『子』『丑』『寅』『卯』『辰』『巳』
『午』『未』『申』『酉』『戌』『亥』の十二種族が
最初期からずっと議会に所属しているんです。」
「あぁー、私たちの世界で言う所の『干支』ってここから来てるんですね。」
「黒松さんは『丑』の種族、ミノタウロスなのですが、
ミノタウロス族はずっと昔から議会に入っているのにも関わらず、
酷く差別を受けていたんです。私の父親はそれを止めるように政策を行ったのです。」
「……ん?ってことはもしかして龍野、お前の父親って……」
「はい。私自身は『辰』の種族の代表で、私の父親は『魔王』です。」
なんということだ。俺は『魔王』の娘と契約を結んだのか。
あまりの事態に面を喰い、上手く頭が回らなくなる。
だが他に気になっていることがあったのでそっちを聞いてみる。
「じゃあ父親の事を『気の毒だった』と黒松が言ったのはなんでだ?」
「選定式は十年に一度行われる以外にもう一つ開催される理由があるんです。」
「『不祥事の発覚』だったか?」
「父は不祥事など起こしていません!!」
龍野が突然立ち上がり怒り出した。
我に返ったのか、すぐに落ち着き床に座った。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、気にしないでいいよ。俺が無神経だった。」
「……この選定式が始まる少し前、事件が起きました。」
龍野がぽつぽつと、何が起きたのかをしゃべりだした。
「突如として、議会の所属している種族の内、
『辰』以外の種族が攻撃を受け、その内のほぼ半数の種族が壊滅、
『卯』の種族が滅亡しました。」
「なっ!?」
魔界の規模と言うのは俺達にはわからない。だがほぼ半分の種族が壊滅とは一体どういうことだ。
想像するだけでも異常な事態だということがわかる。
「……『辰』だけが傷を受けてないんです。
そう考えたら『辰」の種族がやったと考えるのが自然でしょう。
当然、全ての種族が『辰』を非難しました。
しかし、身内自慢になりますが私の父親はいい『魔王』でした。
本当に『辰』がやったのかと疑う者もまた、少なくなかったのです。
しかし私の父親は、否定しなかったのです。
今回の事件は自分一人がやったのだと、言ったのです。」
部屋の空気が凍る。赤石や村田も難しい顔をしていた。
「私の父親は全てに対し、平等に接していました。
恐らく、『悪』にも同じように接したのだと思います。
やがて『魔王』という地位を利用し、自らに罰を課しました。
『辰』の地位に着くドラゴン族に対する全ての非難を止めるために。
流石に見かねた残りの議会に所属する十一種族は、私の父親と交渉をしました。
結果として条件付きで処刑を延ばしました。
私がこの選定式で『魔王』になった時、初めて父親の処刑を破棄することが出来るのです。
その時点で『魔王』の権限が私に移りますし……」
「……なるほど。」
ようやくわかった。龍野が何故『魔王』に成りたがっていたのか、
何故黒松が龍野の父親のことを言ったのか。
恐らく黒松を逃がしたのも、自分が父親の為に戦っていることに対して、
種族の為に戦う黒松に引け目を感じていたからだろう。
「本当にすみません。佐藤さん。こんなことに巻き込んでしまって。」
「大丈夫だ。俺が好きで巻き込まれてるんだから。」
龍野は気高い目的を持っていた。成し遂げなければならない目的を持っていた。
俺は、再び、龍野の力になりたいと強く思った。
昨日の夜、あまりにも体調が悪かったので、
携帯電話で家族に家族に連絡を入れて、赤石の家に泊まることにした。
赤石のベットを借りて眠っていたがなんだかんだ昨日は戦闘が終わってしばらくしてすぐ眠ってしまったせいか、
朝早くに目が覚めてしまった。時計を見てみると朝の4時。二度寝ができるほどの時間帯だ。
まだ頭痛や吐き気は完全に取れていない。欠伸を一つして周りを見渡してみる。
ベットのすぐ側で赤石が眠っており、龍野がベットに寄りかかりながら眠っていた。
何というか、ビバ雑魚寝という感じだ。こういう雰囲気は悪くない。
音を立てないように扉が開かれた。
「……あ、起きたんですか。」
村田が部屋の中に入って来た。どうやらトイレに行っていたようだ。
「……あ、起きたんですね。」
「……なんで二回言ったんだ?」
「あー。いや佐藤先輩の息子の方がかなと。」
「お前ぶっ潰すぞ!?」
相変わらずとんでもないことを言ってくる後輩である。
そう思っていると龍野の隣に座り、ベットに寄りかかるように倒れこんだ。
ブラインドで光があまり入らず暗い部屋の中、村田の横顔が少し見えた。
いつも通り少しにやついてたがさびしそうな印象を受けた。
「佐藤先輩、本当に契約したんですね。」
「ああ。」
「やっぱり興味本位なんですか?」
「……それもあると思う。だけどアイツを助けようという気持ちは本当だ。」
「ハハ、でしょうね。先輩はそういう人です。」
村田はベットに顔を沈めながら笑っていた。
「……『創造』。」
「ん?」
「佐藤先輩の能力の名前を考えました。『創造』。
物体を作るって聞いたんで。佐藤先輩に合う『能力』の名前でしょ?
かっこつける時にでも使ってくださいよ。」
「まんまじゃねーか……でもまぁ、ありがとう。使わせてもらうよ。」
「お代は体で払ってくださいね。」
「……普通そういうのは男が言ってドン引きされるパターンじゃないのか?」
「いいじゃないですか。たまには言いたいんですよ。」
「お前の場合、たまじゃないだろ!?」
そんな馬鹿な話をしていると再び眠気が襲ってきた。
「すまん、村田、俺は二度寝する。」
「私も二度寝しますよ。気にしないでください。」
目を閉じる。
「なぁ村田。明日、というか今日どっか遊びいかないか?」
「いいですよ。というか私は買い物に行こうと思ってます。」
「どうして?」
「龍野ちゃんのこれからの生活用品を買わないといけないので。」
確かにそうだ。
あいつのこれからを考えなければならない。それは大切なことだ。
「そうだな。いろいろ頼むかもしれんがいいか?」
「お代は体で払ってくださいね。」
「欲求不満なのか?」
「はい。」
「……あ、うん。」
「……そ、そっちが照れないでくださいよ。こっちまで恥ずかしいじゃないですか。」
俺に責任は無いと思う。
「まぁ、でもなんらかの形でお前にはお返ししないとな。
いっつも迷惑かかってるし、赤石にだってそうだ。」
「……迷惑なんかじゃないですよ。私がかけている側ですし。」
「謙遜すんなって。」
「……」
「俺はいっつも皆に迷惑ばっかりかけてるしさ、
今日だって手伝わせて、俺だけ勝手に突っ走ってさ。
あげく契約とかして、勝手に自己完結してるだけなんだよ。
というかたまには先輩ぶらせてくれよ。お前らの完璧具合見てると凹むんだよ。」
「……」
自らに対する嘲笑を交えながら会話をするが村田の表情は少し曇っていた。
どうしたのだろうか。
「村田?」
「どうしてそんなに私たちに劣等感を感じてるんですか?」
村田に言われる。劣等感。久しぶりに言われた言葉だ。
「……俺とお前らじゃ、頭の出来が違うんだよ。」
「普通そういうのは頭がいい人が言うんじゃないんですかね?」
おどけてみたが空気は重いままだ。村田が一呼吸つく。
「……先輩はやっぱりまだ、お姉さんのことを。」
頭が真っ白になった。ぶん殴られた様な衝撃と、内臓をかき回されるような。
気が付けば俺は村田の首を絞めていた。気が付いたので俺は手を離す。
村田はゲホゲホと咳をする。
「あ……」
「大丈夫ですよ。そんなきつくなかったですし。」
村田の首が俺の手の形に少し赤くなっている。
違う、違う。違うんだ。こんなことをしようとしたんじゃない。
謝罪と言い訳をしようとしたが声が出せない。
「大丈夫です。」
村田がそっと、俺の身体を抱きしめた。頭に昇った血が降りていくのが分かる。
時計の針の音が聞こえるほど、部屋が静かになった。
女子の体というのは何故こんなにやわらかいのだろうか。
自分の身体の固さが逆に伝わる。甘ったるい香りが体を包む。
相手の体温がちょうどよくタオルケットの冷たさと混じる。
胸の鼓動が静かに伝わる。一定のリズム。優しいリズム。吐息の音。
「大丈夫ですから。」
村田が耳元でまた、そっと、湿り気のある声で、ささやく。
頬に水が垂れるのが分かる。俺は泣いていた。
そっと村田を抱き返す。少し村田の体が震えた気がする。
声がうまく出そうになかったので、一度咳払いをする。
「……赤石の事、シスコンとかって……馬鹿にできねぇな……俺も……」
「変態ですね、佐藤先輩。」
「もう少し気の利いたこと言えよ……」
「いいじゃないですか、私たちらしくて。」
「……そうか。」
「うぅ……」
「「!?」」
龍野が突然声を上げた。冷静になる。俺達は抱き合いながら何を話しているのだろうか。
そっと離れ、先ほどの位置に戻る。村田は顔が赤い。多分俺もだろうが。
「ね、寝ましょう佐藤先輩。今、体すごい熱かったですよ。」
「そ、そうだな。寝るよ。」
タオルケットを被る。
今の瞬間、沸き上がった劣情に似た何かよくわからない感情はさっと引いていき、
代わりに痛烈な眠気が体中を掛巡る。それに身を任せるように目を瞑る。
きっと二度寝すれば、体調は回復するはずだ。
「……『創』って文字には『傷』って意味があるんです。
『創造』、『傷』を『造る』能力。佐藤先輩、また傷を作る気ですか。」
村田が言った言葉は、半分意識が飛び掛けていた俺には、
ちゃんと聞き取ることができなかった。
ゴールデンウィーク三日目。午前11時。晴れ。少し涼しいくらいの天気となった。
午前4時時点ではまだ少し気持ち悪かったが、二度寝をし、
起きた後は不思議とすっきりと取れていた。全員で近くのデパートへと向かう。
昨日の戦闘のせいで、服がボロボロになっていたので一旦家に帰って服を調達した。
母親にボロボロになった衣服を見つかり、「なんじゃこりゃぁ!?」と言われたが、
「気のせい」とだけ言って外に飛び出したが大丈夫だろうか。
薄い半袖のYシャツにチノパンという格好で出かけた。
「うお、赤信号になりそうだ、急げ。」
全力ダッシュ。何とか赤になるまでに向こう岸に辿り着く。
「佐藤先輩、病み上りなのに元気ですね。」
後ろを振り返ると全員渡ってなかった。
赤石はパーカーにジーパン。村田はジーンズジャンパーにカーゴパンツに帽子にイヤフォン。
こうしてみると、二人とも読者モデルとか出れるんじゃなかろうかと思う。
大して龍野はデカイ帽子に赤石のジャージ。俺や村田があげた服もあったが今日は着てなかった。
それよりも全員信号機が渡れなかったのが気になる。
そんなに早く走った気はなかったのだが、契約効果なのだろうか。
信号機の光が緑色になるまで待って、全員で揃って歩いた。
鳥が飛んでおり、爽やかな風が吹いている。龍野の方を見ると、何やらオドオドとしていた。
「龍野?どうかしたのか?」
「あ、いや、あの、なんでもないです。」
「……どうかしたのか?」
「あ……あぁ…えっと、その、お買い物って言っても私、そんなにお金持ってなくて……」
「そんなこと心配してたの。大丈夫、全部佐藤先輩が払ってくれるから!」
「おーい、村田?割勘だろ?」
「え?だって何か返してくれるんですよね?」
「……今お金ないからちょっと待ってくれよ……」
「冗談ですってば。プライドくらい持ってくださいってば!」
何故か蔑まれた。最近そんなのばっかだ。
そうこうしているうちに目的地についた。デパート「桜島ジャスパー」だ。
「ジャスパー」というのは、「ジャイアントスーパー」の略である。
名前の通り元々はでかいスーパーだったのだが、
人気により規模が拡大し、デパートになったのだ。
名前を変えないのはジャスパーという言葉の響きが皆気に入っていたからで、
「桜島デパート」という名前に改名した時に、苦情が来るほどであった。
キャッチコピーは「シャープペンシルのキャップから宇宙戦艦まで」。
すごく馬鹿っぽいが確かに品揃いはそれに恥じることは無い。
実際に宇宙戦艦も買えるらしいという噂を聞いたのだが、本当なのだろうか。
車の出入りが激しい。今日も大盛況のようだ。自動ドアが開く。
外と店内の気圧差で少し風が顔に当たる。
「わぁ……なんですかこれ!?なんですかこれ!?」
龍野が店内を見てテンションが上がっている。なんというか犬っぽい。
無理もない。六階建てのこのデパートは度重なる改装により、
常に最新設備、尚且つ今も拡大工事中である。一体何と戦っているのだろう。
「おいおい、走り回るな龍野よ。」
「龍野ちゃん、服買いに行きましょうよ。」
赤石と村田が走り出す龍野を追いかける。
なんというか愉快だ。昨日の戦闘から一転して追いついた雰囲気。
『非日常』から急に『日常』に引き戻されている。落ち着く。とりあえず、全員で服屋にいく。
「龍野ちゃん、これどうですか?」
「わー!かわいいですね!」
村田と龍野がはしゃいでいる。赤石と俺は外のベンチに座った。
こういう時はやはり、男が荷物持ちというのは決まっているようなものだ。
赤石はそっとベンチから立ち上がり、どこかへ行った。
俺は一人になっていた。周りの声が急に大きく聞こえる。
この世界にはもう俺一人しかいないのではないかという感じである。
酷く自意識過剰なものだ。どうにかならないものか。
自分は昨日契約をし、『非日常』に足を踏み入れた。
堂々と序章を終える、等と宣言はしていたがその実感が今になってやってきた、
という言い方が一番正しいのではないかと思う。
『日常』と『非日常』のギャップが、言いようのない寂しさを感じさせる。
爽快感が首の後ろを走る。
「あひぁ。」
情けない声が漏れる。
「どうした。柄にもなく難しい顔なんかをして。」
「俺だって悩む時ぐらいあるさ。」
「……ふむ。」
「待て、本気で感心しないでくれ。」
赤石は立ち上がり、飲み物を買ってきてくれたらしかった。
俺の好きなエナジー飲料である。ありがたい。赤石の方は乳酸菌飲料。こいつらしい。
「……なぁ佐藤よ。一つ思うことがあるのだが。」
「どうした赤石。」
「このまま龍野を僕の部屋に置いていくのはまずいと思うんだ。」
「何故?」
「お前たちは契約したもの同士だろう?だったら常に一緒にいるべきだ。」
「……待て。」
「だからこう思うのだ。」
「待て待て待て待て待て待て。」
赤石の言うことはだいたい予想がつく。だからこそ止めたい。
俺にはそんな余裕なんかないし、母親だって怒るだろう。
周囲のざわつきがさらに大きく聞こえる。
龍野と村田が丁度戻ってくる。なんかこの服かわいくないですかー!的な事を言っている。
「お前と龍野は共に暮らすべきだと思うのだ。」
赤石は全員に聞こえるようにそういった。
-fin-